預言者の系譜
57  イザヤ書・第二部(6)
正義の主を

イザヤ書  45:1−8
Uコリント 5:17−21
T 神さまのご計画の中に

 今朝のテキストは、「主は、油そそがれた者クロスにこう仰せられた」(45:1)と始まります。44:28に「わたしはクロスに向かっては『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う」とありますが、クロスという人物が「油注がれた者」「わたしの牧者」と呼ばれ、極めて重要な役割を果たすべく登場してきます。このクロスを通して、神さまのイスラエルへのご計画、そして、現代の私たちへのメッセージが語られていると思うのですが、今朝はそれを聞いていきたいと願います。

 「登場してきた」と言いましたが、実はこのクロスは、バビロンに捕囚となったユダヤ人たちをエルサレムに帰還させ、エルサレム神殿再建の勅令を出したペルシャ王クロスのことです。それは、イザヤの時代から140〜150年ほど後のBC520年頃のことで、イザヤの時代にはクロスはおろかペルシャという国すらまだ台頭していませんでした。ですから、現代の進歩的聖書学者たちは、この箇所をクロスによって捕囚の民の帰還が実現した後に記されたものであるとして、預言者イザヤと切り離し、その時代(捕囚の民の帰還が実現した後)の無名の預言者(これを「第二イザヤ」と名付けた)説を持ち出しています。しかし預言者は、クロスが「捕囚の民を帰還させた」と過去形の時制ではなく、クロスによってそのことが実現されると、未来形の時制で語っているのです。少なくとも聖書の預言者たちは、過去の出来事は過去のこととして、未来の出来事は未来のこととして語っています。その意識に、現代の私たちは何も足してはならないし、また差し引いてもならないと思います。預言者の語る未来形は、神さまの決定事項ですから、5〜6年先も50年先100年先も本質的には何ら変わることがないと、私たちの中にそのことをしっかり確立しておかなければならないでしょう。その意味でクロスの登場は、神さまのご計画の中にあったということなのです。

 こ難しいことを言ったようですが、140〜150年も先のことを「クロス」と名前を上げているこの預言者に、私はただただ驚嘆したと、その思いを伝えたかったのです。


U 70年の時が満ちて

 このクロスはU歴代誌の最後に登場してきます。「これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は70年が満ちた。ペルシャ王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシャの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。『ペルシャの王クロスは言う《天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがたすべて主の民に属する者はだれでも、その神、主がその者とともにおられるように。その者は上っていくようにせよ》』」(36:21-23) 「荒れ果てた時代」とは、イスラエルがバビロンによって滅亡し、その民がバビロンに捕囚とされた期間を言います。そして、「70年」とは、エレミヤによって「この国は全部廃墟となって荒れ果て、バビロンの王に70年仕える」(エレミヤ25:11)と預言された年数を指しているのです。クロスが王位に着いたその第一年(勅令はその年に出された)が、不思議なことに、その「70年」目に当たっています。歴代誌の記事は、クロスが歴史舞台に登場した後に書かれたものを、何人もの編集者が編集したものですが、イザヤやエレミヤ(BC630-580頃・イザヤの40年あとに登場した預言者)は、クロス以前に神さまのそのミステリーを語ったと言えましょう。

 今、イザヤが語るクロスのことも、神さまのミステリーが明らかにされようとしていると聞かなければなりません。先に「わたしはエジプトをあなたの身代わりとし、クシュとセバをあなたの代わりとする」(43:3)と、イスラエルを解放する代償としてクロスにこれらの国々を与えるという神さまの宣言を聞きました。実際は、クロスが死んだ後に、その子カンピセスが彼の意志を引き継いでエジプトを攻略、エジプト王になったのですが、それはこの神さまの約束が成就したものと言えるでしょう。

 イザヤは神さまのことばをこう記します。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。わたしは秘められている財宝とひそかな所に隠された宝をあなたに与える」(45:1-3) イランとトルコの境に位置する山岳地帯にひしめいていたメディアの属王の一人に過ぎなかったクロスが、わずか10年ほどの間にめきめきと力をつけ、メディアを我がものとしてペルシャ帝国を確立、バビロンまでもその手中に収めてしまうのです。その様子がイザヤによってありありと描かれているではありませんか。


V 正義の主を

 「それは、わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることを、あなたが知るためだ。わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼ぶ」(4) クロスは神さまに呼び出され、その時代に極めて重要な役割を果たしました。恐らく、「油注がれた者」「我が牧者」と呼ばれたのもそのためでしょう。神さまの器として働いたということなのです。それは、バビロンに捕囚となっているイスラエルの民を帰還させ、エルサレムに神殿を再建するためでした。歴史家は、民衆に対して力を持っていた祭司階級を手なずけるという目的をもって、彼がバビロンに捕囚された諸民族を解放し、彼らの地に神殿を再建し、彼らの神々を彼らに返すという政策を採用したと推測していますが、恐らく、エルサレム神殿の再建もその政策として行われたのでしょう。短期間にバビロン王となった彼にとって、宗教政策によって民衆を味方につけることは極めて有効と判断したのでしょうか。彼自身はバビロンのマルドゥク神を崇拝していたようです。ですから、イザヤも言います。「あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書きを与える」(4)「あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる」(5) 神さまというお方は、人がどうあれ、選ぼうとする者を選び、用いようとする者を主地位にお用いになられるのです。何回も繰り返される「わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない」(5、6、18、21、22)という神さまの主張は、その絶対主権を宣言しているものと感じます。そして、イスラエルの民たちが帰還してエルサレム神殿の再建が始まると間もなく、クロスは歴史の舞台を去ってしまうのです。荒廃した諸民族の宗教を回復するという政策に、彼はすぐに興味を失ってしまったようで、彼の目は帝国の拡大へと向かい、東方(今のイラン東部)での戦闘で命を落とします。

 いかにも神さまの掌中でのみ輝いた彼の人生であったと感じますが、彼の働きは、実は捕囚民の解放とエルサレム神殿再建ばかりではありません。彼は全く気づきませんでしたが、神さまの新しいお働きのために用いられたのです。「わたしは光を造り出し、やみを創造する。平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。天よ。上からしたたらせよ。雲よ。正義を降らせよ。地よ。開いて救いを実らせよ。正義も共に芽生えさせよ。わたしは主、わたしがこれを創造した」(7-8) クロスはどのように神さまの新しいお働きに用いられたのでしょうか。彼は、ひとつのひな形として、イエスさまを指し示していると思われます。「我が牧者」「油注がれた者」と呼ばれたのは、その意味を込めてのことと感じます。バビロンの圧政のもと正義が失われた時代に、自分の都合からでしたが、少々の正義をもたらしたクロス。少なくとも彼は、新しい主の民の創造が始まろうとする、その先駆けになったことは疑い得ません。そのクロスを通して、彼が道備えをした正義の主イエスさまを見つめたいと願おうではありませんか。正義が失われていくこの現代の渦中で。