預言者の系譜
50  イザヤ・第一部(14)
信じて疑わずに

イザヤ書 38:1−8
ヤコブ書 1:2−8
T ヒゼキヤへの不思議が

 先週は36-37章から、アッシリヤ軍のエルサレム包囲とその危機的状況から神さまが助けてくださった出来事を見てきました。その中に、アッシリヤの王セナケリブ(将軍ラブ・シャケが代弁)の神さまをののしることばが、36章のほとんどと37章にもかなりの量を割いて、異常なくらい多く取り上げられていましたが、それは、神さまがご自分の民のために、あらゆる困難を排してその救いを完成されようとしておられるからだと聞いてきました。そして36-39章にはもう一つの中心主題があります。それは、「ヒゼキヤと神さま」です。イザヤには、それを通して見つめていたことがあるようです。今朝は38章から、来週は39章からと、これを2回に分けて探ってみたいと思います。

 「そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへアモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない』」(1) ここは、ヒゼキヤの病気の癒しと、その約束のしるしとして、日時計におりた日の影が10度後戻りするという不思議な出来事が記されます。しばしば私たちは、その神さまの奇跡だけに目を奪われてしまいますが、しかしここには、イザヤが語りたいと願うメッセージが込められているようです。

 「そのころ」というのは39:1にある「そのころ」と同じ時期で、バビロンの王メロダク・バルアダン(BC701年没?)がヒゼキヤの病気回復を祝って贈り物を届けてきたことから、BC702年前後と思われます。伝説では、彼が病気にかかったのが37:36にあるアッシリヤ敗北の3日前とあるそうですが、恐らく、1年近くの間隔があります。ヒゼキヤの年代特定は困難で、少々煩雑になりますが、この辺りの年代を考えておくことは無駄ではないでしょう。ヒゼキヤがその父アハズの政治的失敗から共同政治を執る執政になったのがBC729年頃(12才?)、そして、BC716年頃に王として即位、25才の時でした。29年間の統治の後、BC687年頃(54才?)に亡くなったと考えられますが、彼の祈りを聞いた主が「わたしはあなたの寿命にもう15年を加えよう」(5)とありますので、そうしますと、この病気の出来事がBC702年前後、セナケリブのエルサレム包囲がBC701年頃となるわけです。つまり、彼が死にたくないと願った第一の理由は、アッシリヤの侵攻を心配してのことだったのです。


U ヒゼキヤの祈りと賛美が

 顔を壁に向けて、彼は主に祈りました。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私がまことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行なってきたことを」そして彼は大声で泣いたとあります(2-3)。彼が39才頃のことです。病気も非常に重かったのでしょうが、それよりも、神さまの宣言を「本気」と受け止めたのでしょうね。そして彼は悩みます。アッシリヤがパレスチナに来ており、いくつかの国はその手中に陥ちています。彼らがエルサレムに兵を進めて来ることは間違いありません。そんな非常事態に、しかも、後継者マナセは12才で王に即位していますから、それより15年前、まだ後継者はいないのです。一層、ヒゼキヤは王としての責任を感じているのでしょう。彼はベッドから降りて、泣きながら祈りました。祈りがこんなにも全人格を込めたものであると、覚えておきたいものです。神さまの前に出るのですから。

 その短い、しかし、心のこもった祈りが神さまに届きました。再びイザヤのメッセージがあります。「あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう15年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、この町を守る』これがあなたへの主からのしるしです。主は約束されたこのことを成就されます。『見よ。わたしは、アハズの日時計におりた時計の影を10度あとに戻す』」(5-8) 日時計の影が10度、驚きですね。これは、地球の自転が10度戻ったということでしょう。極ジャンプみたいなことが起きたのでしょうか。しかし私は、その不思議よりも、むしろここでは、いのちを支配するのは神さまの領分であると、そちらのほうに関心を寄せて頂きたいと思います。

 10-20節は「病気から回復したときにしるした」(9)ヒゼキヤの賛歌です。彼は死に直面したときに、こんなにも深い絶望を味わったのでしょう。「私は生涯の半ばで、よみの門にはいる。私は、私の残りの年を失ってしまった」(10)と、この賛歌には非常に素朴な彼のうめきが溢れています。だからでしょうか、その悲しみが後半、平安と喜びに変わるのです。「ああ、私の苦しんだ苦しみは、平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました」(17)「主は私を救ってくださる。私たちの生きている日々の間、主の宮で、琴をかなでよう」(20) 現代の私たちのことを考えるのですが、このような絶望を知らず、うめくこともありません。助けの必要を感じないところに、喜びも希望も見つめることが出来ないのではと思われます。


V 信じて疑わずに

 そして、この章の終わりを飾るように、イザヤが言います。「ひとかたまりの干しいちじくを持って来させ、腫物の上に塗りつけなさい。そうすれば直ります。ヒゼキヤは言った。『私が主の宮に上れるそのしるしは何ですか』」(21-22)  これは、日時計の影が10度戻る、その前のことなのでしょう。「しるしは何ですか」「これがあなたへの主からのしるしです」 それなのに、まるでここだけを独立させたいと思っているかのように、最後に持ってきています。これは推測ですが、37章でヒゼキヤは二度も主の宮に行き、祈りました。恐らく、彼はたびたび神殿に行っており、それを楽しみにしていたものと思われます。先に紹介した伝説では、三日目に病気が直って、彼はすぐに神殿に行き、祈っていますが、その夜、アッシリヤ軍が壊滅状態になり引き上げていったと伝えられます。それは恐らく、U列王記20:5に「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る」とあることによるのでしょう。その「主の宮に上る」こと、つまりヒゼキヤの信仰が、この38章の主題だと聞こえてくるのです。

 そして、もう一つ順序が後先になっていることがあります。イザヤは、本当は先にあったこの出来事を、アッシリヤのエルサレム包囲の記事のあとに持って来ているのです。実は、同じ記事が載っているU列王記18-20章には、ヒゼキヤ賛歌が省かれているのです。ここに「主は、私を救ってくださる。私たちの生きている日々の間、主の宮で琴をかなでよう」(20)とあります。「私たち」とあるので、これは共同体の礼拝で歌われたものであろうと言われますが、きっと、イザヤの主催する預言者集団での礼拝においてでしょう。そして恐らく、編集時に、イザヤ自身がこれを彼のメッセージとして不可欠と判断し、ここに挿入したのでしょう。それはここに、彼の信仰が歌われているからです。しかもその信仰は、病気が癒される前に確立しているのです。だからこそ、ヒゼキヤが再び「主の宮に上る」ことを楽しみにした21-22の記事を最後に持って来て、その信仰を浮き彫りにしたのでしょう。ヒゼキヤの病気回復の記事を別に項を改めて取り上げたイザヤの意図も、そこにあったと感じられてなりません。

 恐らくイザヤは、アッシリヤからイスラエルを救い出された神さまのあわれみとは別に、その救いに預かる者たちの、神さまへの姿勢にも触れなければならないと考えたのでしょう。アッシリヤ軍の撃退は、全く神さまの一方的なお働きによるものでした。このことをしっかりと受け止めなければならないと、それがヒゼキヤの、そしてイザヤの信仰でした。救いは、その信仰を介して完成していくのです。「ただ、少しも疑わずに、信じて願いなさい」(ヤコブ1:6)とあるように、きっと、日時計の影が10度戻るなどということが、ヒゼキヤにもイザヤにも当然のことと受け止められたのでしょう。神さまのなさることだからです。私たちの信仰も、そのところに重ねていきたいですね。