預言者の系譜
30  ミカ(2)
この時代に何を

ミカ書  2:1−11
Uテモテ 4:1−5
T 神さまと預言者の怒りが

 預言者ミカの2回目です。先週は1章から、悲しみの預言者・求道者ミカの姿を、ほんの少しですがかいま見ました。滅亡の危機に直面する主の民・北イスラエルに、深い悲しみを感じつつ、哀歌とともに、ミカは、おそらくサマリヤ界隈のヤーヴェの預言者たちを通して、このメッセージを送り届けました。しかし、北王国の人たちは聞く耳を持たず、ミカの目は南に向き始めます。

 しかし、南王国に目を向けたミカは、そこでも北王国と同じ悪逆が行われていることを知ります。「ああ、悪巧みを計り、寝床の上で悪を行なう者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ」(2:1)と、厳しいことばでその悪事を暴き立てますが、それらの根は、金と権力を持ち、高度な教育を受けた指導者階級にありました。ここでは、特に地主たちと思われます。「悪巧みを計り、寝床の上で悪を行なう」と、彼らが悪知恵に長けていたと暗示します。すでに十分に持っている者が、「畑を欲しがって、これをかすめ、家々をも取り上げる」(2)のです。それは、ミカ自身が味わった経験だったのかも知れません。

 ミカは彼らの罪を、8−9節にもう一度取り上げます。これらのメッセージは、実際に街角で語られ、それ(2:1−5)を聞いた人たちが強く反発しています。8節以降は彼らへの反論だったのでしょう。そのような現場感覚は、ミカの大きな特色の一つでしょう。順序が後先になりますが、彼らへの再度の罪の指摘から聞きたいと思います。「ところが、あなたがたは立ってわが民の敵となり、いくさのことを知らずに、安らかに過ぎゆく者たちから、平和な者たちから、上着をはぎ取り、わが民の女たちをその楽しい家から追い出し、その子どもたちから、わが栄えをとこしえに奪う」(8−9・口語訳)<上着をはぎ取り>は、アモスが「彼らは、すべての祭壇のそばで質に取った着物の上に横たわり」(アモス書2:8)とあるのと同じ情景でしょう。その上着は大きな一枚の布で作られており、寝具も兼ねていました。それは、借金のかたにされても、夜までには返さなければならないと律法の教えにあるのです。「あなたがたの欲望が、貧しい者たちの日常生活をむしばんでいる」と神さまとミカの嘆き、怒りが聞こえて来ます。そして、そのような問題は、現代にも重なり始めていると感じられてなりません。


U なおも神さまのことばを

 ミカのメッセージを聞いた地主たちの反発が、6−7節に見られます。ここは口語訳と新共同訳を見たほうが分かりやすいでしょう。「彼らは言う。『あなたがたは説教してはならない。そのようなことについて説教してはならない。そうすればわれわれは恥をこうむることがない』と」(6・口語訳)「『たわごとを言うな』と言いながら、彼らは自らたわごとを言い、『こんなことについてたわごとを言うな。そんな非難は当たらない。ヤコブの家は呪われているのか。主は気短なお方だろうか。これが主のなされる業だろうか』と言う」(6−7・新共同訳) <たわごと>とは、街角に出て主のことばを取り次ぐ預言者の<説教>を指していますが、それは、イスラエル一般民衆にとって、神さまヤーヴェを近くに感じ、自分たちが主の民であることを思う貴重なチャンスでした。預言者がイスラエルにとって誇りの象徴となったのは、預言者が民衆とヤーヴェの間に立って執り成し、希望を与えてくれるからでした。彼らは預言者のメッセージを聞くことで、自分たちが主の選びの民であると確認していたのです。しかし反対に、その怒りが向けられる者たちにとっては、現代のマスコミが政治家や悪徳企業家たちの不正をあばき立てるように、自分たちの隠れた欲望が白日にさらされる不安材料になり、街角で語られるミカのメッセージ・その告発が自分たちに向けられていると、街の顔役でもある彼らの圧力がかかり始めます。「説教してはならない」。彼らはもはや、正義も良心も、神さまさえ認められない状態にありました。現代そのものの世界が広がりつつあったと言えそうです。

 「あなたがた」とあります。彼らの罪を告発していたのはミカだけではなかったのでしょう。エリヤ時代の北王国のように、預言者集団がいくつも存在していたのでしょうか。ミカがイザヤの弟子であったと考える人たちもいます。真偽のほどは分かりませんが、少なくとも、預言者が当時のイスラエル社会の良心であり、誰もがこぞって悪へ流れようとするところに、真正面から立ち向かう人たちの系譜に属していたと言えましょう。その預言者の系譜は、聖書信仰を継承した現代の私たちにも、引き継がれなければならないと思うのです。


V この時代に何を

 イスラエル指導者たちの罪を、白日のもとにさらしたミカのメッセージを聞きましたが、もう一つの彼のメッセージを聞きましょう。罪を犯した者たちへの厳しい断罪です。3−5節と10−11節の二カ所ですが、それは、「見よ。わたしは、こういうやからに、わざわいを下そうと考えている」(3)と、それが神さまから出たものであると明らかにすることから始まります。

 <考えている>は、口語訳では<計る>、新共同訳では<たくらむ>となっていますが、それは計画を進行中という意味ではなく、神さまの中で思い悩んでいるというニューアンスが強いように思われます。しかし、神さまの裁きは決定し、始動し始めています。「あなたがたは首をもたげることも、いばって歩くこともできなくなる。それはわざわいの時だからだ」(3) この「わざわいの時」は、「その日、あなたがたについて、あざけりの声があがり、嘆きの歌が起こって言う。『私たちはすっかり荒らされてしまい、私の民の割り当て地は取り替えられてしまった。どうしてそれは私たちから移され、私たちの畑は裏切る者に分け与えられるのか』」(4)、「さあ、立ち去れ。ここはいこいの場所ではない。ここは汚れているために滅びる。それはひどい滅びだ」(10)とあるように、やがてそのような滅びの日が来ることを念頭に置いた災いです。この4節は次のように読むと分かりやすいでしょう。「われわれはことごとく滅ぼされる(口語訳)。主はわが民の土地を人手に渡される(新共同訳)。どうして、それはわたしから取り去られるのか(新共同訳)。われわれの田畑は、われわれを捕らえた者の間に分け与えられる(口語訳)」 裁かれる者たちを見た人たちが驚き、嘲って歌う詩の形式をとっています。100年後、BC586年に現実のものとなる南王国滅亡の出来事を指しているのでしょう。

 新共同訳で5節と11節から聞きたいのですが、「それゆえ、主の集会でお前のためにくじを投げ、縄を張って土地を分け与える者はひとりもいなくなる」(5)とあります。その地に自分たちの居場所がなくなる、つまり、神さまがバビロン捕囚を決定した宣言と聞いていいでしょう。「だれかが歩き回って、空しい偽りを語り、『ぶどう酒と濃い酒を飲みながら、お前にとくと預言を聞かせよう』と言えば、その者は、この民にたわごとを言う者とされる」(11) その時代には、耳あたりのいいメッセージだけが流行していました。しかしそれは、神さまの耳にはたわごとにしか聞こえないのです。ミカのメッセージを注意深く読んでいきますと、恐ろしいまでに現代の私たちの様子が語られていると聞こえて来ます。ミカは、南王国滅亡の出来事を飛び越えて、終末の、神さまの時を見つめていたのでしょうか。次第に欲望とエゴーがぶつかり合う時代に突入する中で、この預言者は、私たちのために神さまの御国に場所を用意してくださるお方、救い主をひそかに期待していたのかも知れません。「しっかりやりなさい」(Uテモテ4:2)と聞こえて来ます。