預言者の系譜
28  ホセア(5・最終回)
愛の答えは

ホセア書 14:1−9
マタイ 28:20
T 深い愛を込めて

 預言者ホセアの最終回です。今まで彼のことを、北王国へ厳しいメッセージを語る預言者としてか見ていなかったのですが、今回、この書を何回も読み返しながら、神さまの北王国への、私たちには思いも及ばない深い愛を、彼が聞き取っていたと感じました。

 「姦淫の女をめとれ」と言われ、ホセアはバアルの神殿娼婦ゴメルを引き取って結婚し、なおバアルに惹かれる彼女に、ありったけの愛を注ぎます。神さまの北王国への愛と彼のゴメルへの愛が重なって、彼のメッセージが展開されました。彼は彼女を、恐らく金銭で贖ったのでしょう。彼を裏切り、彼女が再びバアル神殿に戻ったときにも、彼は銀15シェケルと大麦1ホメル半(奴隷一人の値段)で彼女を買い戻します。これは、十字架に私たちの罪を贖ってくださったイエスさまのひな形とも言えるでしょう。ホセアを見て、彼の北王国へのメッセージより、ゴメルへの愛により強い関心を持ちました。彼はその愛で神さまを見つめようとしたのです。先週11章で聞いた彼のメッセージを繰り返しておきたいのですが、「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。わたしは神であって、人ではないからだ。あなたがたのうちにいる聖なる者であるからだ。わたしは怒りをもっては来ない」(11:8−9)とありました。神さまの内面で、イスラエルへの怒りとあわれみが相戦い、あわれみが勝ったと聞いたのです。

 今朝は14章から彼の最後のメッセージですが、これまであったであろう屈折した思いから、何か解放された伸びやかさを感じます。「イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ」(1)と、まことに堂々としたメッセージです。彼らへの勧めとして、これ以上はないというほど簡潔で、しかも彼のすべての思いが込められています。そのような確信に満ちたメッセージがどこから来たのか、合わせて探ってみたいと思います。


U 信仰の告白を

 これは私の推測ですが、6章で、ゴメルへの彼の断固たる確信に満ちた愛を感じました。以後、彼女のことに触れてはいないのですが、もしかしたら、彼女は間もなく亡くなったのかも知れません。13:14に「わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖う。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている」とあります。これはパウロがイエスさまとイエスさまを信じる者たちの勝利の歌として引用したところです(Tコリント15:55)が、彼女への追悼のことばとも聞こえます。

 これもあくまで私の想像なのですが、たとえ彼女が亡くなっていたとしても、長い時間を彼女とともにいて、愛し、丹誠込めて神さまのことを教えていった彼の教えが、彼女の中に根づいたのではと感じます。この書に語られているメッセージは、時に非常に厳しいのですが、ここに彼の優しさが溢れるほど込められていると見てきました。そのような忍耐強い愛と優しさをもって、彼女を教えたのでしょう。この書のメッセージは、勿論、北王国の人たちへのものですが、同時に、まず彼女に、より易しくかみ砕いて教えられたのではないでしょうか。彼女を教えてホセアは、このメッセージが、まさに神さまの真実の愛から語られたものであると実感したのでしょう。そのように彼女を神さまのもとに送り出し、ブレーキがなくなって(彼を裏切っていた時のゴメルは、まさに預言者としての彼の働きに、重いブレーキとなったことでしょう)、伸びやかに神さまのメッセージを取り次ぐことが出来たのではないかと思うのです。ホセア書最後の14章は、ゴメルという彼のメッセージの聞き手を得て、「これこそ神さまの本当の思いである」と確信をもったホセアの、預言者としての最後のメッセージと聞いていきたいのです。

 ここで彼は「イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ」と簡潔に核心を語り、「ことばを用意せよ」、つまり、「信仰の告白をせよ」と言います。「こう言え」という勧めも極めて単純明快です。「すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。アッシリヤは私たちを救えません。私たちはもう、馬にも乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。みなしごが愛されるのは、あなたによってだけです」(2−3)  彼らに必要な信仰は、実に、この告白ではなかったかと思うのです。ゴメルへの神さまのお取り扱いを見て、北王国への神さまの愛を確信したから、彼はこのように神さまのメッセージを堂々と伝えることが出来たのでしょう。「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。……」(4−7)


V 愛の答えは

 8節がこの書の結語です。冒頭に「エフライムよ。もうわたしは偶像と何のかかわりもない」とあります。偶像との関わりを否定するのは、イスラエルであるとか、イスラエルがいつまでも神さまとバアルとを比べているとか、いろいろな訳がありますが、新改訳が正しいでしょう。イスラエルと神さまとを隔てていたカナンのバアルが、もはや何の力も持たなくなったと、バアルに対する神さまとイスラエルの勝利宣言と見て良いでしょう。ところが不思議なことに、この時期ホセアは北王国滅亡の時点にいるのです。彼の預言活動は北王国滅亡とほぼ同時に終えます。14章のメッセージはその時期のものと見て良いでしょう。それなのに、イスラエルと神さまとの関係が、過去のどんな時期にも優って最良のものとして語られているのです。イスラエルが変わったわけではない、神さまが怒りを収められたからです。今朝、ホセア最後の中心メッセージとして聞いていきたいところがあります。「わたしが答え、わたしが世話をする」というところですが、神さまがその激しい怒りを静め、14章でホセアが確信に満ちたメッセージを語り得たもう一つの理由が、ここに隠されていると思われるのです。

 <答える>とは、祈りに応えることでしょう。神さまは、イスラエルの背信のまっただ中にも、彼らが祈り、神さまに頼ることを待っておられました。「祈りなさい。そうすれば、あなたがたをわたしのものとして祝福しよう」と、これこそ彼らの信仰の回復だったのです。今、エルサレムにある嘆きの壁の前で、ユダヤ人たちが涙を流しながら祈っています。ここに彼らの信仰の回復を見る思いがするのです。しかし、彼らの、そして私たちの祈りより大切なこととしてホセアが掲げたのは、神さまの「答え」でした。もう一つの宣言、「わたしが世話をする」に、その答えが主張されているようです。<世話をする>とは<見張る>の意味です。イスラエルがどのように立ち直り、どのように歩んでいくのか暖かい目で見守っている「父」の愛の目です。現代、子どもたちの中に重大な問題が生じています。それは、彼らの中に愛を育てなかった大人たちの責任と指摘されています。同時に、子どもたちを見守る愛の目を自分たちの中に育てていかなかったところにも原因があるのでしょう。

 しかしホセアは、神さまがそうされたように、妻ゴメルを愛し、見守り、回復を祈り続けてきたのです。それが彼への答えであり、祝福でした。その彼の姿が、しばしば一人になって祈られた、私たちに祈りを教え、祈りを聞いていてくださったイエスさまに重なって来ます。十字架にかかり、よみがえり、そして、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」(マタイ28:20)と約束し、聖霊なる方を送ってくださったイエスさまご自身が、神さまの愛の答えだったと受け止めて頂きたいのです。