預言者の系譜
25  ホセア(2)
向き合いつつ愛を育てて

ホセア書 3:1−5
Tペテロ 4:7−9
T 預言者の愛を

 神さまから「行って、姦淫の女をめとれ」と言われ、預言者ホセアは、多分、北王国の聖所ベテルの巫女、神殿娼婦だったゴメルを引き取って来ます。きっと、たくさんのお金を積んで彼女を贖ったのでしょう。その様子を先週、1章から考えてみました。姦淫の女と彼女をめとった預言者は、イスラエルと神さまの関係を示すシンボルです。神さまは、ゴメルにイスラエルを重ね合わせながら、愛し、しかし、その罪を告発し、断罪していくのです。そんな神さまのメッセージを忠実に取り次ごうとしている、ホセアの鋭い痛みを感じます。

 ホセアに嫁いでなお、身も心もカナンの神・バアルにささげ尽くしているゴメルを、彼は心から愛したのでしょう。2章には、そんなゴメルと神さまに対する彼の思いが込められているようです。そのように読んでいて心に残ったいくつかの箇所を上げてみたいと思いますが、説明は不要でしょう。「彼女に穀物と新しいぶどう酒と油とを与えた者、また、バアルのために使った銀と金とを多く与えた者が、わたしであるのを、彼女は知らなかった」(2:8)「それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にする」(14-15)「わたしはあなたと永遠に契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知ろう」(19-20)

 今朝は3章から、もう一度、ゴメルと、そして、ホセアの愛に焦点を合わせて見ていきたいと思います。神さまはホセアに言われます。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように」(1) 口語訳は「姦夫に愛せられる女、姦淫を行なう女を愛せよ」となっており、そのほうが意味が通るようです。ゴメルはホセアの愛を裏切り、夫と3人の子どもたちを捨てて家を出て行ったのでしょう。〈再び〉とありますが、同じことが二度三度と繰り返されていたと思われます。恐らく、彼女はバアのことが忘れられず、神殿娼婦に戻って行ったと思われます。そんな彼女を神さまは、イスラエルに重ね、彼らへの警告としてゴメルのことを語るように言うのですが、ホセアはそれ以上に、彼女への思いを込めながら語っているように感じられます。


U 愛と痛みと

 ホセアのそんな痛みが感じられる、二つの記事があります。第一に「そこで私は銀15シェケルと大麦1ホメル半で彼女を買い取った」(2)とあります。ゴメルが神殿娼婦に戻ったのは、自分の身を売ってのことと考えられます。たいした金額ではなかったでしょうが、もしかしたらそのお金は、3人の子どもたちのために、ホセアに渡るようにしたのかも知れないと想像します。しかし、ホセアはそんな彼女を再び買い戻そうとします。彼の職業は不明ですが、聖書学者たちは、農業従事者かパン製造者ではなかったかと考えています。アモスと同様に、彼も預言者集団からサポートを受ける預言者ではなかったようです。ですから、ホセアの生活は、金銭的に非常に切りつめたものだったと思われます。1章で、彼は彼女のためにお金を払ったろうと推測しましたが、バアルの祭司たちは、神殿の所有物であるゴメル引き取りのために、多額のお金を要求したと思われます。裕福でない中からそんなお金をひねり出したホセアには、もう一度彼女を買い戻すための余裕などありませんでした。それで彼は、祭司たちから要求された銀30シェケルの、半分の15シェケルを銀で、残りの半分を大麦で支払うのです。

 これは奴隷一人の値段です。この銀貨30枚の中に、神さまのご計画におけるイエスさまを感じさせられます。そして、その現金の中には、彼女が自分を売り渡した僅かばかりのお金も入っていたのではと、これは私の想像です。大麦1ホメル半のことは、預言者としての活動を、彼が自分の生活の場所に留まりながら行なっていたと想像させてくれます。普段は働きながら、彼の町エフライムとは目と鼻の先ほどのところにある聖所ベテルに出掛けて行って、集まって来る人たちに神さまからのメッセージを語る。近所のことですから、ホセアとゴメルのことを知っている人たちもいる中で、彼は自分の家庭のことを語らなければならなかったのです。しかし、彼の愛と痛みが真実だったから、彼はそんな恥多いことも語り得たのでしょう。


V 向き合いつつ愛を育てて

 もう一つの、彼の痛みを感じさせてくれる記事は、3節です。彼は連れ戻したゴメルに言います。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう」 これは彼女に、「しばらくは家の中で家事に専念し、他のことに目を向けてはいけない」と求めたもののようです。それは彼女にとって辛く、忍耐の期間ではなかったでしょうか。そしてホセアは、彼女のその辛さを理解し、共有しようとします。その長い期間を、彼もまた家にいて、彼女を訓戒し、教育・指導したと理解されています。2:14に「わたしは彼女をくどいて、荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう」とありますが、神さまがイスラエルにそのように接しようとしているのと同じように、ホセアは今、ゴメルに真剣に向き合おうとしているのです。彼女と重ね合わせた北王国は、やがてアッシリヤ軍によって滅亡していきますが、しかしホセアは、ゴメルのその後について何も触れていません。それは、彼が心を込めて愛し、ともに苦しんだ祈りの日々の中で、彼女が立ち直って行ったと想像させてくれるのですが、誤りでしょうか。

 それは本当に長い期間だったのでしょう。彼は、妻のことではなく、イスラエルのこととして付け加えています。「それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ」(4)  希望を見つけることが出来ない期間は、彼とゴメルにとっても、とてつもなく長く、苦しみの連続だったと思われます。しかし彼は、神さまの恵みによる回復を信じ続けたのです。「その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう」(5)とあります。彼はゴメルと会話を続けながら、しかし、依然バアルのとりこになっているゴメルのために、祈り続けました。そして長い忍耐の果てに、かすかにではあるが、ゴメルの回復の兆しを見たのではないでしょうか。

 彼がゴメルを愛したことは間違いないでしょう。それも、二回目に彼女を買い戻してからは、全精力を傾けて彼女を愛し、彼女の不幸を取り去ろうと決意しています。恐らく、彼女の中にも、ホセアを愛する愛が育ち始めたのでしょう。ところが、愛が深まれば深まるほど、彼には自分の「愛の足りなさやもろさ」といった痛みが沸き上がり、ことさら自分の愛と向き合うようになったのではないかと思います。それが彼の、「主の恵み」にのみ期待する信仰へと育っていったと感じるのです。私自身も、かつて同じような経験をしました。自分を見つめれば見つめるほど、愛の足りない自分を思い知らされ、ただ、主に頼ることしか残されていなかったのです。「愛は多くの罪をおおう」(Tペテロ4:8)とある愛を、ホセアは自らの内に育てていったのでしょう。私たちもと願わされます。