預言者の系譜
18  エリシャ(12)
神さまの力は今も

U列王記 13:14−21
 Tコリント  1:18
T エリシャ最後のメッセージを

 預言者エリシャを見て12回、今朝最終回を迎えます。「エリシャが死の病をわずらっていたときのことである」(14)と始まりますが、アハズヤ、ヨラム、エフー、エホアハズ、ヨアシュと北王国5人の王たちの時代を生きたエリシャは、80才近くになっていました。彼については、ほとんど病気をしたことがないという印象を受けますが、そんな頑健な彼も覚悟したのでしょう。危篤の知らせを受けてヨアシュが駆けつけ、泣きながら「我が父、我が父。イスラエルの戦車と騎兵たち」(14)と叫びます。エリヤが召された時エリシャが叫んだ言葉と同じですが、イスラエル国家にとって重鎮だった人を失う嘆きに聞こえます。歴代の王の相談役をしてきて、特にヨアシュは、アラムとの戦いに敗れ続けて、騎兵50、戦車10台、歩兵1万しか残さなかった(7)父エホアハズの後を次いだ王でした。王として、国の建て直しに並大抵ではない苦労を重ねたと思われますが、彼は16年間王位にあり、「彼は主の目の前に悪を行ない、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れず、それを行い続けた」(11)と評価されます。いわゆるカナン化の道を目指したヨアシュ王でしたが、一度はカナン化を阻止しようとエフーに油を注いで王とし、オムリ王朝を倒したエリシャが、最後までヨアシュを気にかけ、彼の政策を咎めようとはしていません。エリヤの後継者として、イスラエルのカナン化に対立することを本領とした預言者の筈ですが、こうしたヨアシュ王への対応を見ていきますと、エリシャの本領は優しさではなかったかと思われます。

 きっと、彼自身何度も神さまから優しい取り扱いを頂いたのでしょう。エリシャの生き方は、その信仰に裏打ちされているようです。彼の最後のメッセージから、そのことを聞いていきたいのです。


U 神さまの助けは

 ヨアシュ王が病床に駆け付けたのは、エリシャ自身が彼に来て欲しいと願ったからではと推測します。それは、王に自分の死を嘆いてもらいたいからではなく、エリシャがこれまで王にどのようなアドバイスを行ない、王がそれをどのように聞いたかは何も記されていませんが、王はエリシャを神の人として尊敬していましたが、その忠告を喜んで聞いてはいなかったという印象もついて回ります。そんなヨアシュ王に、エリシャは祝福を与えてから去りたいと願ったのでしょう。預言者を失っても、神さまに目を向け続けて欲しいと、それがエリシャの願いだったと聞こえます。

 エリシャは王にいくつかのことを命じます。「弓と矢を取りなさい」、「窓を開けなさい」、「矢を射なさい」 弓を持った王の手にエリシャが自分の手を乗せたのは、王への祝福だったのでしょう。王が矢を射ると、エリシャは言います。「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを打ち、これを絶ち滅ぼす」(17) アフェクはギルアデの土地の名で、アラムとの戦いで何度か主戦場になったところです。ヨアシュ王は自分を病床に呼んだ預言者の意図を十分に理解し、その上で「矢を取りなさい」、「それで地面を打ちなさい」と言われ、たった3回しか地面を打たないのです。この記事の原著者(恐らく、病床のエリヤに付き添って看病していた弟子の預言者)は「彼は3回打ったが、それでやめた」(18)と記しますが、エリシャは<何度も続けて>との思いを込めて言ったのです。ヨアシュはその回数がアラムへの勝利の回数であると理解してなお躊躇したと、このことばは彼への告発のように聞こえます。彼の躊躇はアラムとの同盟を望んでいたからに他なりません。パレスチナ侵攻を企てるアッシリヤとの戦いに、アラムとの同盟はかかすことが出来なかったのです。かつて、アハブはアラム(ベン・ハダテ1世)との同盟を組んでアッシリヤとの戦いに勝利したことがあります。ヨアシュはその記録を自分に重ねて読んでいたのでしょうか。エリシャもかつてその路線を望んでアラムに接近しましたが、神さまがイスラエルの敵対者としてハザエルをアラムの王にしてからは、アラムとの交渉は控えるようになっていました。神さまの助けはアラムの力、また、他のどんな力をも上回ると、王に覚えて欲しかったのでしょう。それはまた、現代の私たちも聞かなければならないメッセージであると思います。


V 神さまの力は今も

 ヨアシュが3回しか地面を打たなかったことで、エリシャは怒って言います。「あなたは、5回、6回と打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は3度だけアラムを打つことになろう」(19) エリシャの怒りは彼の悲しみだったのでしょう。彼はエリヤの後継者でした。しかしこの時代に、多くの預言者たちを擁するいくつもの預言者集団があるのに、彼にはエリヤへの「エリシャに油を注いで、あなたに変わる預言者とせよ」という神さまのことばがないのです。後継者がいない。ヨアシュ王への遺言とも言える4−19節の記事は、そんな彼の心配から生まれたものかと思われます。自分亡きあと、北王国が舵取りを失って混乱していく様子が見えていたのかも知れません。だから、彼は王に、神さまを見失わないようにと願うのです。これが王への遺言の中心であり、彼の生涯かけた優しさの込められたメッセージと言えましょう。

 エリシャの北王国への不安は的中します。アラムとの争いだけではなく、これまで友好的だった周辺の諸民族がイスラエルに敵対し始めます。20−21節に、エリシャのもう一つの後日譚とも言える記事があります。「こうして、エリシャは死んで葬られた。モアブの略奪隊は、年が改まるたびにこの国に侵入していた。人々が、ひとりの人を葬ろうとしていたちょうどその時、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去った。その人がエリシャの骨に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった」 この記事は、モアブの略奪隊が毎年春になるとイスラエル(多分ヨルダン川沿いのギルガル付近・その辺りにエリシャの墓があった)に侵入していたというところから、恐らく、エフー王朝没落後の無政府時代のことと思われます。この時代、北王国には5人の王が出ますが、その4人までもがクーデターで王を殺害し、自分が王となった者たちです。そして、エリシャからわずか100年ほど後、北王国は滅亡の時を迎えます。

 そんな混乱の時代以降に、エリシャと同じように「神さまに従え」というメッセージを携えた預言者が登場します。一度は途絶えたかに見えた預言者の系譜が、復活するのです。彼らは、聖書の後半に預言者としてまとめられている書物の著者たちということで、記述預言者と呼ばれます。恐らく、列王記の編集者もその一人でしょう。彼らは、イスラエルがアッシリヤやバビロンによって滅亡していく様子を、「それは、わたしを見失ったからだ」という神さまのことばに重ね合わせながら、そのメッセージを伝え続けました。彼ら列王記編集者は、北王国末期の混乱の時代にも神さまの力は失われてはいないと、その証言のために、エリシャの墓に投げ入れられた人が生き返った出来事をここに記したのでしょう。恐らく、生き返ったその人のことは、彼自身の証言もあって、エリシャに働いた神さまの力として長く伝えられました。非常に不思議なことですが、編集者はそのことを神さまの事実として受け止め、後生への記録にとどめたのです。この現代を見渡しますと、いかにも神さまなしで物事が動いているかのように見えますが、その様子は無政府時代と言われる北王国末期の混乱をはるかに上回っているようです。しかし、こんな時代にも神さまの力は失われてはいないのです。パウロは「十字架のことばは救いを受ける私たちには神の力です」(Tコリント1:18)と叫びましたが、私たちのイエスさまを信じる信仰が、どんなに愛と力をもっているかを現代にも具体化していきたいと願います。