預言者の系譜
17  エリシャ(11)
唯一の神さまを

U列王記 9:1−10
  ロマ書 9:22−26
T 不信仰にメスを

 先週は8章から、ダマスコまで出掛けたエリシャが、そこでクーデターを起こすことになるハザエルに会ったと見てきました。彼はイスラエルに敵対する者として神さまが選んだ器でした。イスラエルはカナン文明を追いかけ、彼らの神バアル崇拝に走り、神さまを見失っていました。ハザエルを立てたのは、そんなイスラエルの不信仰を排除するためだったのでしょう。彼については、神さまがエリヤに『油を注いでアラムの王とせよ」と言われていましたが、恐らくエリシャは、イスラエルの存続を願うあまり、彼を立てることを引き延ばしていたのではと思われます。しかし神さまのご計画なのでしょうか、ついにハザエルが彼の前に姿を見せます。エリシャは涙を流しながら、ハザエルの将来を予見します。「私は、あなたがイスラエルの人々に害を加えようとしていることを知っている。あなたは、彼らの要害に火を放ち、その若い男たちを剣で切り殺し、幼子たちを八つ裂きにし、妊婦たちを切り裂くだろう」(8:12)

 これまでエリシャはイスラエルのカナン化に目をつぶって来ました。カナン化とは、明治維新に日本が欧米の文明や技術を取り入れようとして、ついにその退廃的文化にまで手を出し、鹿鳴館時代と呼ばれる騒々しい文化を作り上げていった様子と似ています。彼はイスラエルの文明化に歯止めをかけることは出来ないと考えていたのかも知れません。そしてむしろ、イスラエルが諸国と平和を保つことが出来るようにと、積極的に王の相談役になり、アラムとの交渉に気を使っているのです。しかし神さまは、イスラエルの文明化ではなく、神さまを見失っていくあり方を問題にしたのです。イスラエル・カナン化の第一の首謀者たる王家に敵対するために、ハザエルを立てます。エリシャもまた、エリヤの後継者として、どうしてもその任務を遂行しなければならないと腹をくくったのでしょう。今までずっと避けてきた、政治的関与の手を広げようとします。オムリ王朝撲滅への第一歩、9章のエフーへの油注ぎです。


U 全権を帯びて

 エフーへの油注ぎは、神さまがエリヤに言われたことでした。「ニムシの子エフーに油を注いで、イスラエルの王とせよ」(T列王19:16) エフーもまた、それを聞き知っていたようです(10:10)。ハザエルのクーデターをきっかけに、エリシャは託されていた神さまの命令を実行しようと決意しました。彼は預言者のともがらの一人を呼んで言います。「腰に帯を引き締め、手にこの油のつぼを持って、ラモテ・ギレアデに行きなさい。そこに行ったら、ニムシの子ヨシャパテの子エフーを見つけ、家にはいって、その同僚たちの中から彼を立たせ、奥の間に連れて行き、油のつぼを取って、彼の頭の上に油を注いで言いなさい。『主はこう仰せられる。わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とする。』それから、戸をあけて、ぐずぐずしていないで逃げなさい」(9:1−3)

 何故かエリシャは自分でエフーのところに行こうとはせず、エフーの油注ぎに代理人を立てます。〈預言者のともがらのひとり〉とありますが、4節を見ると『その若い者、預言者に仕える若い者」となっています。エリシャはそんな若者に今、油を注いで任職し、預言者の一人として送り出すのです。その理由を考えてみたいのですが、若者は預言者として送り出されましたが、緊急のことでもあり、一目で預言者と分かる特異な風体でエフーのもとに行ったのではないようです。どこにでもいる、若者のままという印象を受けます。エフーへの油注ぎはたぶんに危険を伴うことであり、この若者のような目立たない者を選んでエフーへの油注ぎを断行したのでしょう。彼は若者でしたが、預言者志望の優秀な青年だったのかも知れません。それが危険な仕事であり、エリシャのメッセージを正確に伝えなければならないことも理解していました。エリシャは彼を信頼し、預言者エリシャの全権を託します。失敗すれば、ヨラム王はたちまちエリシャばかりではなく、全預言者集団に襲いかかり、一人残らず剣にかけることは疑いありません。だから、エフーに油を注ぎ、エリシャのメッセージを伝えたなら、「ぐずぐずしていないで逃げなさい」と付け加えるのです。彼もまた、その通り一目散に逃げ出します。


V 唯一の神さまを

 彼がラモテ・ギルアデに着いた時、将校たちは会議中でした。ギルガルはヨルダン川東の山岳地帯で、長くイスラエルとモアブの戦場でしたが、今はアラムとの主戦場です。和睦中しばらくは静かでしたが、ハザエルが王になって、また、両国の戦場に戻っています。その中心部・ラモテ・ギルアデで将校たちの会議、おそらく作戦会議と思われますが、その最中にエフーの面会です! 普段なら当然困難なことが、神さまのご配慮か、容易に実現します。若者も神さまの御手を感じていたのでしょうか、前置きも説明もなく、いきなりエフーに油を注いで言います。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『わたしはあなたに油を注いで、主の民イスラエルの王とする。あなたは主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流された主のすべてのしもべたちの血の復讐をする。それでアハブの家はことごとく滅び失せる。わたしは、アハブに属する小わっぱから奴隷や自由の者に至るまでをイスラエルで断ち滅ぼし、アハブの家を、ネバテの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バシャの家のようにする。犬がイズエレルの地所でイゼベルを食らい、だれも彼女を葬る者がいない』」(6−10)

 これほどのメッセージをエリシャはこの若者に託しました。よくもまあ、こんなに思いきったメッセージを伝えたものだと思うのですが、エリシャは今、エリヤの後継者としての責任を果すべく、北王国の悪の根を断ち切ろうとし、その決意がこの若者を動かしたと感じるのです。神さまのことばを伝えることの覚悟と忠実さを教えられます。若者は預言者に任職されたことに腹をくくり、エフーもまた彼を預言者と認め、彼のことばをその通りに聞きます。エフーもこの若者を通して預言者エリシャの決意を感じ取ったのでしょう。

 このメッセージの中心部分は、「わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流された主のすべてのしもべたちの血に復讐する』とあるところでしょう。エフーはそのことばを忠実に実行し、9−10章はアハブの家への流血で彩られています。何とも生々しく、戦慄すら覚えますが、神さまを中心とするイスラエルであって欲しいという願いが強調されているのでしょう。この後100年と少しで北王国はアッシリヤの手により滅亡しますが、列王記の編者は北王国滅亡の原因を総括して、「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習に従って歩んだからである」(17:7−8)と説明します。私たちの信じる神さまは、天にも地にも唯一であり、生涯をかけてこのお方につくことを要求なさると知らなければなりません。エリシャも若者もエフーも、その一点に目を向け、強烈なまでにその役割を遂行したのです。そして、パウロの証言にもあることですが(ロマ9:22−26)、罪ある私たちをお怒りになっておられる神さまはまた忍耐の神さまであり、豊かな寛容をもって救い主であろうとしてくださることを覚えたいのです。