預言者の系譜
16  エリシャ(10)
この時代のために

U列王記 8:7−15
  エペソ   6:18
T 隣国アラムと

 6−13章の、エリシャの本領とも思われる〈政治的関与〉を見ていますが、エリシャは北王国・王家の相談役として、隣国アラムへの対応を自分の役割と考えていたようです。イスラエルには、パレスチナ定着時代から絶えず関わってきた外敵がいました。まず、土着のカナン人です。カナンに住んでいたいくつかの先住民族を指し、土地に根ざした高い文明と専従の軍隊を有する強敵ですが、エリヤが対決したバアルの預言者たちは、アハブの王妃イゼベルが輿入れ時にフェニキヤから連れて来た者たちで、彼らもカナン文化を代表する者たちと言えましょう。次に、高度な鉄文化をもつ、北方から南下してきた海洋民族・ペリシテ人たちです。パレスチナとは、ペリシテ人の国を意味し、広い意味で彼らもカナン人に数えられます。そういった諸民族との抗争を続けながら、イスラエル民族は次第にカナンで共存し始め、そして、彼らとの融合が、イスラエルのカナン化に進むのです。オムリ王朝、とりわけアハブはそんなカナン化の代表でした。系譜としての預言者たちは、そうした風潮に強く抵抗した者たちだったと言えましょう。しかしエリシャには、カナン化への抵抗といったことが何故かこれまで一度も現れていないのです。

 北の隣国アラム〈シリヤ〉がしきりに北王国侵略を企て始めます。東のアッシリヤが強大な力をつけ、地中海方面を傘下に治めようと狙っており、アラムはその通り道にありました。アラムは新たな外敵への対応が急務と感じ、パレスチナ諸民族を支配下に治めることで生き残ろうと、国の命運をかけて南下して来ます。その主役がベン・ハダテ2世でした。これまでのような小競り合いでは決着がつかないと考えたのでしょう。戦力を傾けて戦おうと出て来ます。これが前回見た7章です。恐らくその後に、アラムの略奪隊が赦されて帰還(6章)し、ナアマンの癒し(5章)がありました。今朝の8章は、それに続くアラムに関係するエリシャの記事です。この記事の意味するところを聞いてゆきましょう。


U 奔走しつつ、しかし

 8章7節です。「エリシャがダマスコに行ったとき、アラムの王ベン・ハダテは病気であったが、彼に『神の人かここまで来ました』という知らせがあった」 先の略奪隊やナアマンのことを通して、アラムの王は預言者エリシャを尊敬し、彼を通してイスラエルの神さまを見ようとしていたのでしょうか、礼を尽くして預言者を迎えようとします。しかしここで、ふと不思議に思ったことがあります。エリシャは何のためにダマスコまで行ったのか。王ではなく、他の誰かを訪ねたのなら、何故彼がダマスコに来ていることが王の耳に入ったのか。想像だけで言っていいかどうか迷いながらですが、アラムの王の見舞いのため、北王国非公式の使者としてエリシャはダマスコに行ったのではないかと考えました。恐らく、重態というニュースがヨラム王に届いたのでしょう。つい最近和睦をしたばかりの両国ですが、もし、ベン・ハダテのいのちが危ないとなれば、後継者は誰か。また、アラムの世論は北王国をどう感じているのか。ヨラム王にとってはなはだ気になるところでしょう。大臣級の使者を使わすのは簡単ですが、微妙な時期でもあり、王の重態という事態は、国家機密に属する事柄でした。そこで、アラムにまで名前が聞こえている民間人、預言者・エリシャならば、その辺りの事情も考慮しながら、王の見舞いも可能と考えたのでしょう。そこで、ダマスコに入ったエリシャ自ら、王の耳に届くように、預言者が来ていると打ち上げたのではないかと想像するのです。

 ところが、そんな事情はアラムの王にはどうでもいいことでした。丁度よいときに預言者が来たと喜び、そば近くに仕えていたハザエルに言います。「贈り物を持っていって、神の人を迎え、私のこの病気が直るものかどうか、あの人を通して主のみこころを求めてくれ』」(8)数度の敗戦にも屈しない勇猛な王と思われるのに、病いのため心が弱っていたのでしょう。らくだ40頭に積み込まれたダマスコのあらゆる良い物と、ナアマンのとき以上の、はるかに高価でたくさんの贈り物が用意され、ハザエルが送り出されるのです。


V この時代のために

 ナアマンの時に、預言者は面会することなく、使いの者を通してメッセージを伝えたことを覚えていたのでしょうか。王は宮廷にエリシャを招いてもてなすことなど考えてもいないようです。エリシャもまた宮殿に王を訪れず、使者が訪ねてくるのをじっと待ち、そして、ハザエルがやって来るのです。エリシャは王が知りたいと願ったことをハザエルに伝えますが、もう一つのことも明らかにします。「行って『あなたは必ず直る』と彼に告げなさい。しかし、主は私に、彼が必ず死ぬことも示された」(10) それはハザエルの反逆によってであると、エリシャは彼の心を見抜いていました。「主は私に、あなたがアラムの王になると示された」(13)とあります。ベン・ハダテ1世時代からの廷臣であり、いつかは自分もという思いがあったのでしょう。それがエリシャの指摘で一気に膨れ上がりました。エリシャのことばを携えて宮殿に立ち戻ったハザエルは、王に「あなたは必ず直る、と彼は言いました」と報告しながら、翌日、寝室で王を暗殺し、彼が王になります。エリシャに持っていったたくさんの贈り物が、ハザエルのクーデターの資金になったのではと想像します。エリシャがそれを受け取った痕跡はありません。

 それだけのことなら、古代社会にはままあること、しかも他国のことです。エリシャ物語に収録するほどのことはないと思うのですが、しかし、ハザエルはやがてイスラエルに敵対する重大人物になっていくのです。十数年前、神さまはエリヤに言われました。「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油を注いでアラムの王とせよ」(T列王記19:15) 彼はバアル礼拝を続けるイスラエルへの敵対者として、神さまが立てられた器でした。恩師に語られた主のことばをエリシャが実行したのです。 11−12節にこうあります。「神の人は、彼が恥じるほど、じっと彼を見つめ、そして泣き出したので、ハザエルは尋ねた。『あなたさまは、なぜ泣くのですか。』エリシャは答えた。『私は、あなたがイスラエルの人々に害を加えようとしていることを知っているからだ。あなたは、彼らの要塞に火を放ち、その若い男たちを剣で切り殺し。幼子たちを八つ裂きにし、妊婦たちを切り裂くからだ」 実際にハザエルは、その後何度もイスラエルに戦いを挑み、北王国ばかりか南王国までも蹂躙していきます(8:28、10:32、12:17、13:3)。

 何とかして北王国を救いたいとエリシャは奔走しましたが、神さまの思いは違っていました。イスラエルにはびこる悪の根を断ち切ろうと、ハザエルは神さまの器として用いられたのです。この後、エリシャは主がエリヤに言われたもう一つのこと、エフーに油を注いで王となし、ハザエルの剣を逃れた者たちを排除しようとされます。オムリ王朝の最後に、あの穏和なエリシャが介入するのです。その時の神さまの思いがどんなものであったか、エリシャの涙が物語っているでしょう。私たちも、この現代に、神さまの御手がどのように介入されようとしているのか、そこに焦点を合わせて、このエリシャ物語りを聞かなければならないでしょう。「忍耐の限りを尽くして祈りなさい」(エペソ6:18)とありますが、神さまの前で、涙を流しながらとりなしの祈りを覚える必要がありそうです。