預言者の系譜
13  エリシャ(7)
愛ある信仰の訓練を

U列王記 6:1−7
  Tヨハネ 4:7−11
T もう一つの舞台において

 エリシャについての第一のイメージは、エリヤの後継者として、カナン人の宗教・バアル信仰に陥っていた人々をヤーヴェ信仰に立ち返らせたいと、王家へ戦いを果敢に挑んだ信仰の戦士の姿でしょう。エフーに油を注いで北王国の王とし(9章)、4代続いた強力なオムリ王朝に終止符を打ったことにエリシャの姿が現われています。それは更に、王たちの相談役として彼らを助けたいという願いになっていったようです。王家と預言者、それが彼の本領だったのでしょう。第二のイメージは、シュネムの女に代表される民衆との接触を通して働く預言者の姿でしょう。そして列王記編集者たちは、もう一つ、別の舞台における彼の姿を伝えたいと願っています。6:1−7から、今朝はそんなメッセージを聞いていきたいのです。

 「預言者のともがらがエリシャに『ご覧のとおり、私たちがあなたといっしょに住んでいるこの場所は狭くなりましたので、ヨルダン川に行きましょう。そこからめいめい一本ずつ材木を切り出して、そこに、私たちの住む所を作りましょう。』と言うと、エリシャは『行きなさい。』と言った」(1−2)とこの箇所が始まります。ここから、エリシャのもう一つの舞台を考えてみたいのです。彼らが住んでいたところは、サマリヤの山中にあって、ギルガルと呼ばれていました。ところが、ヨシュア記には「民は第一の月の10日にヨルダン川から上がって、エリコの東の境にあるギルガルに宿営した」(4:19)とあって、カナンに侵入したイスラエルが最初に宿営したところもギルガルと呼ばれており、これを預言者学校のあったところと考える人たちもいます。恐らく、エリヤ時代からの100人に更にたくさんの預言者が加わって、サマリヤ山中の訓練所が狭くなり、ヨルダン川近くのギルガルに移り住んだという事情ではなかったかと想像するのです。今朝は、その移転という舞台を背景に、この記録を残したギルガルの預言者たちと列王記の編集者たちとがどうしても伝えたいと願ったメッセージをいくつか聞いていきたいと思うのです。


U 愛の絆の中に

 ギルガルの預言者集団には、彼を中心とするたくさんの預言者(家族を含む)がおり、彼はその人たちを訓練し、生活のことについてもいろいろと心配し面倒を見ていたようです。この集団を舞台にした記事は4:1−7、4:38−41、4:42−44、6:1−7の4つですが、いづれも彼らの生活に関わった奇跡が語られています。4:43には、大麦のパン20個と1袋の新穀で、飢饉の最中にあった100人の人たち(家族も数えると倍以上になるだろう)に食べさせたという、まるでイエスさまの5000人の給食(マタイ14:13−21)を思わせるような出来事が記されていますが、その100人はギルガルの預言者集団だったと思われます。その100人が次第に膨れ上がり、エリシャの名前がイスラエル中に知られるようになって、各地の別の預言者集団から加わって来たのでしょう。

 その住まいが狭くなってヨルダン川のそばに移転を考えますが、この移転は、集団の自治に任せていたのか、エリシャは決定の報告と最終的承認を求められただけのようです。彼はあっさりと同意し、「行きなさい」とこれは<独立を認めたよ>という言い方に聞こえます。しかし彼らは、エリシャにも一緒に行って欲しかったのです。「あなたもどうか、思い切ってしもべたちといっしょに行ってくださいませんか」、「では私も行こう」エリシャはカルメル山やサマリヤなどにも自分の住まいを持っていて、シュネムの女の家に作られた彼専用の部屋も依然として使っていたものと思われます。だから、彼らはおそるおそる「いっしょに」と切り出しました。ヨルダン川が候補に上がったのは、そこは切り出すに楽な木が多かったからでしょう。パレスチナは豊かな森林が多くはない土地で、ソロモンが神殿を建てた時にも、わざわざレバノンから木材を輸入したほどです。しかし、ヨルダン川はイスラエル随一水量の多い川で、その流域には今も豊かな森林が広がっていました。移転先としては最良の土地だったと言えましょう。

 そして、この箇所にはもう一つの物語が隠されていると思われます。エリシャはもはやギルガルの預言者集団だけの指導者ではなく、移転したからといって彼の全国を忙しく駆け回る生活が変わったとは思われません。そんな東奔西走する彼の健康状態を弟子たちは心配して、どうしても一緒に暮らしたかったのです。ヨルダン川のそこから少し上流に遡ると、召されてから多分まだ一度も帰ったことのない彼の故郷があります。しかし今、ギルガルの預言者たちが彼の家族だったのでしょう。この前半の会話は後半の奇跡物語の伏線のように見えますが、それ以上に彼らとエリシャの親密さを物語ってやまないものを感じます。


V 愛ある信仰の訓練を

 人間と人間とのつながりにおいて、何が大切か、エリシャとギルガルの預言者たちとの親密な在り方から、「<愛情>こそが最高の絆だよ」と言われているような気がします。しかし、この物語には、もう一つのメッセージがあることを忘れてはなりません。

 「ひとりが材木を倒しているとき、斧の頭を水の中に落としてしまった。彼は叫んで言った。『ああ、わが主よ。あれは借り物です。』神の人は言った。『どこに落としたのか。』彼がその場所を示すとエリシャは一本の枝を切って、そこに投げ込み、斧の頭を浮かばせた。彼が『それを拾い上げなさい』と言ったので、その人は手を伸ばして、それを取り上げた」(5−6)とあります。当時の斧は普通、恐らく斧ばかりではなく武器も含めて刃物はほとんどが銅製であり、石製のものもあったでしょう。ところがこの斧は鉄を現わす言葉です。すでに士師記の時代にカナンに定着していた海洋民族のペリシテ人たちがこの鉄製の刃物を持っており、それは非常に強力な武器であって、そのためにイスラエルの人たちは長い期間を彼らに隷属しなければならなかったほどです。パレスチナという言葉はペリシテの国という意味です。そのペリシテ製の鉄の斧など、なかなか手に入るものではありません。作業を迅速にするために、そして「めいめい一本ずつ材木を切り出して」という提案に、自分の分だけではなく他の人たちの分までと考えて、それを借用してきたのでしょう。彼はそんな大層なものを借りることが出来る人だったということです。預言者集団という言葉で、ほとんどの人たちは名前も出て来ませんが、恐らく一人一人は優れた存在だったと、この預言者集団が当時一級の人たちを擁していたことに気づかされるのです。少し脱線しますが、現代の教会に置き換えて考えてみますと、名もない者たちの集まりでありながら、一歩外に出た先で、一級の人物として通用するクリスチャンであるかと、私たちの在り方が問われる必要を教えられます。ところが、そんな人物が「借り物です」とおたおたするのです。ヨルダン川のその辺りは深く、流れも急だったから、潜って探すことはとても出来ないと落胆したのでしょうか。ところがエリシャは、深い流れの中から失った斧の頭を浮かび上がらせて取り戻します。

 エリシャの奇跡に多いことですが、ここでも小道具が使われています。「一本の枝」と、「投げ込み」というまるで演技でもしているかのような彼の所作です。それをそのまま記録として残したのは、事実だった以上に、そこに神さまが働いてくださったと確認をするためでした。そして、その確認こそ、預言者学校で最も大切な訓練だったのです。信仰の訓練を受け入れた生き方、それこそ現代の私たちの生き方でありたいと願います。その信仰の在り方が、エリシャの人柄の暖かさにくるまれて人を引きつけていたのでしょう。「愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう」(Tヨハネ4:7)とあるように、愛ある信仰をイエスさまから訓練されていきたいと願います。