テサロニケ書 3:1−5
箴言    3:1−1

 8 みことばとともに

                                                         
T 細やかな牧会者の祈りが

 「そこで、私たちはもはやがまんできなくなり、私たちだけがアテネにとどまることにして、私たちの兄弟であり、福音において神の同労者であるテモテを遣わしたのです」(3:1−2)と始まりますが、パウロが願って果たせなかったテサロニケ行きに、彼の分身とでも言うべきテモテを遣わすことでテサロニケ教会の人たちを励まし、彼らの信仰を守り通そうとしたパウロの思いを聞いてゆきたいと思います。「私たちだけがアテネにとどまることにして」とありますが、アテネに行ったのは、パウロ一人だけのようです。その辺りの事情が使徒17−18章に記されていますので、いくらかその経過に触れておきましょう。テサロニケを出たパウロ一行は、80キロほど離れたベレヤに向かいますが、そこでもさっそく伝道を開始しました。そして、それを知ったテサロニケのユダヤ人たちが押しかけて来て、暴動が起こります。そのためにパウロだけがアテネに向かうことになり、シラスとテモテはベレヤに留まるのです。彼がアテネにいた期間はあまり長くはなかったようで、じきにコリントに移りますが、そのアテネからテモテに指示したのでしょう。テモテがパウロの代理者としてテサロニケに戻っていきます。この手紙は、テモテとシラスがコリントのパウロのところに戻ってから送られるのですが、コリントに長期間滞在して、イエスさまを信じた人たちももかなりの数になり、加えて「アクラとプリスキラ」という夫婦の協力者に出会って、伝道に専念出来るようになったためでしょう。もしかしたらこの箇所は、アテネにいる時に書き始められていたのかも知れません。

 こう見てきますと、パウロの動きは非常に精力的です。ユダヤ人たちに追い回されて他の町に移動したはずなのに、行った先々で必ずイエスさまの福音を伝えようとしています。ユダヤ人の反発などまるで意に介せず、イエスさまに遣わされた福音の大使そのもののように堂々と、片手間ではない懸命な伝道を展開しているのです。それがコリント教会のような大きな教会が建てることになったのでしょうね。しかし、そのような中でもテサロニケ教会を忘れず、細やかな牧会者の祈りが溢れて、この手紙になったのでしょう。


U 優しい目で人を

 ところで、代わりがなぜテモテだったのでしょう。使徒17章を見ますと、「彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った」(4)「兄弟たちは、すぐさま夜のうちにパウロとシラスをベレヤに送り出した」(10)とあって、テサロニケ教会の人たちは、パウロと同じみことばを語る伝道者としてシラスを認めていたようです。彼も同じベレヤに留まっていたのですから、年長者シラスの方が適任だったと思うのですが。

 しかしパウロは年若いテモテを送りました。後年、テモテはピリピ教会やエペソ教会の牧師になっていますので、年若いテモテを育てようとしたのかも知れません。また、彼がユダヤ人ではなかたことも一因でしょう。そして又、テモテの人を見る目の優しさが買われたのではと思われます。6節には「ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うように、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました」とあります。誕生間もないテサロニケ教会の人たちの目線に立ち、彼らの信仰の不十分さよりも、苦難に耐えている姿を驚嘆の目で眺める、若いテモテが適任だったのではないでしょうか。伝道者としても人間としても未完成なだけに、教会の人たちに祈りをもって受け入れられたのではないかと想像します。

 まだ20才を少し過ぎたばかりのころですが、東京の神学校で学んでいた私に、九州の母教会から副牧師として帰って来るように要請(命令?)がありました。一年間の予定でしたが、母教会ですからほとんどの人たちをよく知っていて、しかも年上の方たちばかりです。よくもこんな若い半端な者を忍耐して育てて下さったことと、今でも忘れることができませんが、お家に招待して下さったり、作りたてのご馳走を届けて下さるなど、独身者の食べる心配までして下さいました。訪問先のお家で勧められるままに夕食を頂いたことも度々でした。年輩の(私には父親のような)役員さんたちから「伝道者は面の皮が厚くなくてはいけない」など、また祈りの心得とか、聖書信仰の基本まで、丁寧に教えてく下さいました。


V みことばとともに

 信仰者の中味を「優しさ」という目で見つめる。これは特に私にとって、何よりも心に刻んでおかなければならないことと響いてきます。イエスさまを信じる信仰、優しさが大切なんですね。ここから二つ、パウロのメッセージを聞いてゆきたいと思います。

 第一のことです。テモテがどれ位テサロニケにいたのか、恐らく数ヶ月だったでしょう。この手紙には、テサロニケ教会の人たちの信仰と愛と望みが各地の教会に知れ渡っていると称賛の声がありますが、そのような彼らの信仰の成長は、テモテと一緒だった時のことではないかと想像します。もちろん、パウロに教えられた福音理解が基本にあるのでしょうが、パウロがいなくなってからも、自分たちでみことば(旧約聖書と使徒たちの教え)を繰り返し学び、福音を本質の部分で受け入れていたのです。そのように「みことば」に自分自身で接することを、テモテと一緒に学んでいったのではないかと思われます。テモテ書にこうあります。「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだか知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです」(3:14−15)みことばへの信頼が信仰の基本というテサロニケ教会の人たちの信仰姿勢は、テモテのものとぴったり符合しています。

 そして、もう一つのことですが、彼らの信仰の成長は、テモテが行ったことばかりではありません。ここでパウロが直接要因として上げているのは、「苦難」です。「クリスチャンと苦難」は兄弟みたいなもので、イエスさまを信じたときから、誰もが必ず何らかの苦難を負わされていますね。私など、クリスチャンにならなければ良かったと思うことが度々でした。それでも神さまに捕えられたのですから、手遅れ? ピリピ書に「キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜っている」(1:29)とありますが、「あの苦しみは神さまの恵みでした」と後になってから分かったことは数え切れません。「あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められている」(3)とはそのことを言っているのでしょう。その苦難とはユダヤ人の迫害を指しているのですが、パウロは、自分が去った後に激しくなると予想していたのでしょう。迫害の中にはユダヤ教への改宗という誘惑も入っていました。イエスさまを信じる信仰から別のものへの転身ということで、現代の私たちの問題でもありましょう。テサロニケ教会の人たちがテモテとともにその戦いを勝ち抜いてきたとを覚えながら、私たちもみことばに教えられつつ、私たちの戦いを進んでいきたいものです。