テサロニケ書 2:17−20
ゼカリヤ書 2:7−13

 7 主の誇りの冠として

                                                         
T あなたがたの顔を見たいと願って

 2:1−16の弁明に続いて、パウロは、「テサロニケに行ってあなたがたの顔を見たい」という切なる気持ちを訴えていますが、願ったテサロニケ行きがどうしても実現せず、代わりに遣わしたテモテからの報告を聞いて、そんな思いを伝えたいと、この手紙になりました。この箇所は2:17から3:13まで続きますが、少しづつ区切りながら見ていきましょう。今朝は2:17−20です。

 「兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたので、―といっても、顔を見ないだけで、心においてではありませんが―なおさらのこと、あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。このパウロは一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが私たちを妨げました」(17−18)

 パウロがテサロニケを離れたのは、ユダヤ人たちの妬みが激しくなり、彼らの扇動により、街なかで暴動さえ起こったからでした。パウロが留まり続けるなら、誕生したばかりの教会が迫害のターゲットにされると心配したのではと思われます。ですから、教会の人たちの手引きでテサロニケを脱出しては来ましたが、きっとパウロには、心ならずという思いがあったのでしょう。「あなたがたの顔を見たいと切に願って」パウロは、ユダヤ人の憎しみがまだ続いていることを承知しながらも、テサロニケに戻ろうと決心します。二度までも。「サタンが私たちを妨げた」とありますが、ユダヤ人たちがパウロをかばったヤソンと兄弟たちの幾人か(テサロニケ教会の人たち)を町の役人のところに連行していったときに、町の役人たちはユダヤ人たちの告発を受け入れ、彼らに罪ありと認めて、ヤソンたちから保証金を取って釈放しました(使徒17:9)。パウロたちを再びテサロニケに連れ戻すことがないようにという意図があったのではと考えられます。それらを意識しての、「サタンが妨げた」ということだったのかも知れません。しかし、なぜパウロはそれほどまでにテサロニケに行きたいと望んだのでしょう。


U イエスさまにお会いすることができる信仰を

 テモテがどれほどの期間をテサロニケで過ごしたのかよくは分かりませんが、数ヶ月と考えますと、パウロがテサロニケを離れてからこの手紙を書き送るまで1年ほどの時間が経っているかも知れません。「私たちだけがアテネに留まることにして、同労者テモテを遣わしたのです。それは、あなたがたの信仰についてあなたがたを強め励まし、このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした」(3:1−3)とありますが、パウロが立ち去った直後から始まった教会への迫害は、時間が経っても収まる気配はなく、ますますひどくなっていたようです。そんな報告をパウロは、何人もの人たちから何回も聞いていたのでしょう。テモテの報告にも、そんな激しさを増した迫害の様子があったでしょう。ですから、パウロが戻っていくなら、その迫害はますます激しいものになるに違いありません。にもかかわらず「行きたい」と願っているのは、「あなたがたの顔を見たい」という気分的なことではない、彼の決意のようなものが感じられます。そこには、彼の重大なメッセージが隠されていると思うのです。

 19−20節に、「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです」とあります。「イエスさまの再臨」のことは1:10にも見られ、すでにテサロニケでパウロが教えていたことでした。それはクリスチャンにとってとても大切な信仰の内容です。しかし、前後の脈絡もないまま、なぜこんなことをここにと、いかにも唐突の感じがします。考えてみなければなりません。「再臨のイエスさまにお会いできる」というメッセージは、この書簡の一つの中心主題ですが、きっと、間もなく再臨のイエスさまにお会い出来るという希望が、何年にも及ぶ伝道旅行中の迫害のすさまじさを生き抜いて来たパウロを励ましてきたのでしょう。クリスチャン迫害の指導者であったのに、イエスさまにお会いして劇的に変えられたパウロでしたから、そのことが格別に彼のイエスさまを信じる信仰の中心だったのでしょうか。そんな信仰を迫害下にあるテサロニケ教会の人たちの顔を見ながら直接証言したい。彼らの励ましのためにも。テサロニケ行きを願うパウロの気持ちの中に、そんな強い思いがあったのではと想像するのです。

 イエスさま再臨という終末を見据えた信仰の緊張感を持ち続けるなら、迫害という尋常ではない緊張も帳消しにしてしまうでしょう。2000年に及ぶキリスト教の歴史には、迫害を忍び抜いた殉教者たちの記録がたくさんありますが、そのいづれもにも、イエスさまにお会いする喜びを、迫害者たちは取り去ることができなかったという証言に溢れています。


V 主の誇りの冠として

 しかしパウロは、迫害に対する抵抗力を養うために再臨のイエスさまを見つめるようにと、そんなことを言っているのではありません。イエスさまを信じる信仰は、忍耐しつつ歩めということが中心ではなく、愛や喜びや望みに溢れながら輝いていく生き方であると覚えて頂きたいのです。イエスさまを信じる信仰に立つとは、愛に生きることであり、心からの喜びある生き方、人生に最高の希望を見据えた歩みなのです。「私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか」「あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです」と繰り返しているのは、パウロだけのことではなく、テサロニケ教会の人たち、そして、私たちにも当て嵌まるのだと聞こえてきます。イエスさまを信じる兄弟姉妹を、私たちは自分のことのように喜び、愛し、誇りに思う。そんなイエスさまを信じる信仰の愛の共同体に招かれているのです。

 パウロは、テサロニケ教会の人たちが、ユダヤ人たちから迫害される苦痛というリスクよりも、イエスさまを信じる信仰のそんな生き方に立つことのほうが何倍もすばらしいのだと、何度も何度も反復して祈り考えた末に(「二度までも」というのはその意味でもある)、テサロニケ行きを選択したのでしょう。その第一の理由が見えてきたような気が致します。ですから彼は「サタンが妨げた」と洞察しました。イエスさまの福音に立つことを何よりもサタンは恐れたのでしょう。イエスさまに敗北して以来(荒野の誘惑)、サタンの攻撃目標は「信仰者」「私たち」に変更されました。もし、私たちが信仰の妨げを受けるなら、それは外側からであると内側からであるとに関わらず、私たちがイエスさまに近づいていくことを喜ばない者の仕業であると覚えていかなくてはなりません。喜びを奪い、愛を奪い、望みを奪う者は決まって彼なのです。エペソ書で有名な「神さまの武具」のことを、パウロはこのテサロニケ書で描き出しました。「信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう」(5:8) 覚えたいですね。

 最後にもうひとつ。パウロが「私たち」と主張するときに、それは福音を委ねられた者として、つまりイエスさまご自身の言い分を代行しているのだと聞いてきたことを思い出してください。「あなたがたは私の望み、喜び、誇りの冠である」というパウロの思いは、実は、イエスさまの思いでもあると聞こえてくるではありませんか。「誇りの冠」というところに注目したい。私たちはイエスさまの誇りの冠と言われるのです。立派な信仰の持ち主だからではありません。そんな者では断じてない。疑いも迷いも、悪い思いも人一倍持っている。でも、そんな私たちのために救い主は十字架にかかってくださいました。「あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ」(ゼカリヤ2:8)とまで私たちを大切にしてくださる主に、私たちの信仰を献げようではありませんか。