Uテサロニケ書 1:1−4
ミカ書    6:6−8

 19 全人格を傾けて主を


 
                                                        
T 恵みと平安なるお方

 先週、テサロニケ第一の手紙を終えました。その終わりの部分を見ていますと、パウロは「伝えるべきことは十分に伝えた」と感じていたようです。恐らく、その時点で、第二の手紙を書くことなど念頭になかったでしょう。テサロニケ教会には、愛と信仰の模範的な部分と、そうではない部分とが同居していたようです。パウロは、テサロニケ教会に問題が多いことを承知しながら、それでも彼らが彼の勧めを受け入れてくれるにちがいないと期待して第一の手紙を書き送りました。ところが、それからわずか数ヶ月後(2〜3ヶ月後か?)に、パウロは、再度彼らに手紙を書き送る必要を感じたようです。この書簡を見ていきますと、教会の状況は、第一の手紙の時より悪化しているようです。素直で愛に富む教会のすばらしい部分が、争いや互いの不信感の陰に埋もれてしまったのでしょうか。パウロは、そんな彼らの優れたところを引き出そうと試みているようです。この書簡には、叱咤と賞賛、そんな彼の思いが第一の手紙よりも一層色濃く出いるように感じられます。

 「パウロ、シルワノ、テモテから、私たちの父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように」(1−2) 冒頭の部分は第一の手紙とほとんど変わりません。強いて言うなら、「父なる神と主イエス・キリストから」と加えられたことでしょうか。これは、この手紙のパウロの意気込みを物語るものでしょう。迫害の中でいろいろな問題が表面化し、恵みと平安が失われているテサロニケ教会の人たちが、「神さまのところに溢れている恵みと平安」をどんなに必要としていたか、それを取り戻して欲しいと、パウロの心からの願いでした。そしてそれは、現代の私たちにも当て嵌まるものでしょう。「恵みと平安」はイエスさまご自身です。現代の混乱が急カーブで増大する中で、主ご自身が私たちとともにいて下さるという約束ほど、恵みと平安に生きる確かな保証を見つけることは出来ないと思うのです。


U 私たちの信仰と愛は

 「兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです」(3) この言い方も、第一の手紙同様に、彼らの信仰と愛を賞賛するところから始めようとしています。確かに、パウロが彼らのところに留まっていた時に比べたら、その信仰と愛とはこのように賞賛されるほど成長していました。第一の手紙で学んだとおりです。わずか数週間しか滞在せず、教えの内容がいかに密度の濃いものだったとしても、彼らが聞いたことをその通り理解し、実践していくには余りにも時間が足りませんでした。彼らの成長は、パウロがその地を離れて後のことだったに違いありません。テモテの報告はその彼らの成長を物語っています(T、3:6)。「ひとりひとりに相互の愛が増し加わっている」とは、「お互いに対する一人一人の愛が、あなたがたすべての間で豊かになっている」と訳した新共同訳のほうが丁寧でしょう。恐らく、外部からの迫害という状況の中で、教会内の結束が固められなければ、その困難を切り抜けることは出来なかった。それがたとえ一つの集会内の結束であっても、パウロの感謝は彼らの心に心地よく響いていったのではないでしょうか。もしかしたら、それがパウロのねらいだったかも知れません。

 この賞賛を第一の手紙のそれと比べてみますと、「信仰と愛」という具体的な内容にいかにも乏しいのですが、しかし、内容の濃い褒めことばと聞こえてくるのです。パウロのリップサービスだったのでしょうか。褒められることでその気になるなら、それに越したことはありません。褒められると気分良く、その通りにしなければと思うでしょう。叱咤激励より効果がある筈です。子育てはまず褒めるところから。「だめだ。だめだ」は人を本当にだめにしてしまいます。「信仰と愛にもっともっと成長して欲しい」と、パウロの本音が聞こえてくるようです。恐らく、一つ集会内では相互愛にまとまっていたものが、別の集会になると無関心や反発があったりして、同一教会とは思えないほどの不一致が横行していたのかも知れません。また、指導者と教会員との間にも争いが山積していたようです。そんな人間同士のいさかいも、彼らが「信仰と愛」に成長するなら、解消していくと、パウロのねらいは的をついていたのでしょう。


V 全人格を傾けて主を

 もう一つ、4節からです。口語訳から紹介しましょう。「そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で、忍耐(新改訳では従順)と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇りとしている」 これも賞賛の続きですが、パウロの目はテサロニケ教会ばかりに向いていたのではありません。「神の諸教会の間で誇りとしている」とあり、「迫害と患難」という教会の状況がどの地域にも広がっていたことを示しています。たとえテサロニケ教会の伝わっている「忍耐と信仰」のイメージが現実の状態とは違っていたとしても(第一の手紙からは、模範とはほど遠い彼らの現実が浮かび上がってきました)、彼らの模範とされるイメージは、戦いの渦中にある信仰者たちに一つの目標を示し、勇気づけ、主の群れとして連帯意識を持つ励みになったことでしょう。パウロの願いはそれではなかったかと思われます。そうした意味で、信仰者たちの「忍耐と信仰」は当時の重要課題だったのでしょう。パウロの目は、世界に建てられた主の教会に向けられていたのです。

 その「忍耐と信仰」ですが、パウロは、忍耐がイエスさまを信じる信仰の重要な側面であると考えていたようです。忍耐とは、イエスさまのそれに倣うようにという意識あってのことでしょう。ヘブル書に、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスはご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです」(12:2−3)とあるように、十字架の救いはイエスさまの忍耐の上に成り立っています。苦難と向き合うキリスト者の姿勢は、イエスさまの忍耐に倣うものでした。当時のクリスチャンたちがどんなにイエスさまを見つめようとしていたか、その思いが痛いほど伝わってくるようです。

 しかし、忍耐は、迫害と苦難の中に生きた当時のクリスチャンたちの実感こもる言い方だったのでしょう。現代の私たちのそれとは多少ずれがあるかも知れませんが、そうではない国の人たちもいることを覚えていかなければなりません。新改訳がこのところを「従順」と訳したのは、そんな思いあってのことでしょうか。このことばには本来、「従順」の意味はないのですが、ピリピ書に、「キリストは、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われた」(2:8)とありますので、従順を信仰の側面と受け止めても差し支えないでしょう。イエスさまの従順に倣うという意味で。忍耐も従順も、イエスさまを信じる信仰をことばではなく、生活態度として告白していく時の、キイワードではないでしょうか。イエスさまを信じる信仰は、人格のすべてを傾けて告白していくものでしょう。