使徒行伝

81 主のいやしこそが
使徒 28:1-10
詩篇 128:4-6
Ⅰ マルタ島の原住民

 「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った」(1)
 いのちからがら上陸したところは、マルタ島でした。そこはシシリー島の南方93㌖にありますが、当時はローマのシシリー州に組み込まれていました。ローマのすぐ近くにまで来ていたのです。しかし、冬の間は動けません。三ヶ月の間、マルタ島に留まることになりました。

 マルタ島は、今は英国領から独立したマルタ共和国で、マルタ語と英語が通用語になっていますが、実はここには新石器時代から人が住んでいて、非常に古い、巨石文化といったものまであるそうです。BC1000年ころ、地中海を我がもの顔に走り回っていたフェニキヤの船乗りたちが移り住み、彼らによって、そこはメリタ島と呼ばれようになりました。ローマの支配下に置かれる前、BC400年ころからカルタゴ人が支配していたようですが、そのころすでに貿易などで栄えていたようです。ローマが支配するようになってもそれは受け継がれていたでしょうから、一部の人たちには、ラテン語やギリシャ語も通じていたのでしょう。「メリタ」とはフェニキヤのことばで「避難所」を意味し、古くからこの小島は、地中海を航行する船の避難場所になっていたようです。ですから船乗りたちは、この島のことを知っていた筈ですが、嵐の中でいのちからがらの上陸でしたから、島の人たちに聞くまで、そこが「マルタ島」であるとは気がつかなかったのでしょう。その入り江は今、「パウロ湾」と呼ばれ、史跡になっているそうです。入り江は島の北西部にあり、中心の港湾都市までそう遠くありません。きっと大半の人たちは、そちらに移動したのでしょう。28章でルカは、その人たちのことに触れていないからです。「島の人々」となっていますが(2、4)、これは厳密には「土着の人々」という意味です。彼らが、彼ら独自のことばで話していたためと思われます。つまりルカは、彼らの話していることばが分からなかったのです。マルタ語というのは、フェニキヤ・ポエニ語の方言だそうですが、その素朴さや迷信などから、フェニキヤ以前から住んでいた原住民のことばだったのではと思われます。28章最初のフレーズから、意思疎通の手段が、かたことのギリシャ語と身振り手振りだったという印象を受けます。

 「島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた」(2) きっと、朝早く、難破したらしい船が入り江に向かって進んで来るのに気がついたのでしょう。心配して見ていると、座礁したようです。泳いで来る者たちもいますし、板切れにつかまって来る者たちもいます。冬にさしかかっていましたから、濡れた体に雨は一層こたえたのでしょう。彼らは、難破した人たちを、たき火で暖めてくれました。


Ⅱ まむしに咬まれたパウロを

 「パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、『この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ』と互いに話し合った」(3-4) もうここでパウロは、遭難した人たちを代表する存在になっています。島の人たちに溶け込んで、てきぱきと働いています。まるで、遭難した人たちをもてなすのが自分の役割だとでも言うように。水夫たちの中にはマルタ語の分かる人もいたでしょうから、パウロが囚人であると話したのでしょうか。島の人たちは、他にも何人もの囚人たちがいると聞いて、大勢のローマ兵士たちがいることにも納得したと思われます。その囚人のパウロが、てきぱきともてなす側に回っていて、隊長と思われる人もそれを当たり前にしています。いかにも奇妙な光景ですが、パウロがくべた柴の中からまむしが出て来てパウロに噛みついたのを見ると、「やはり」という彼らの思いも分かります。現在のマルタ島にはまむしなど毒蛇はいないそうですから、この記述はおかしいという議論もありますが、昔はいたのでしょう。ですから彼らは、毒蛇の怖さを知っていました。「正義の女神」(ディケーの神様-口語訳)は、ギリシャ神話のゼウスの娘、三人姉妹のひとり「復讐する正義の女神」ですから、彼らはギリシャ文化ともつながりがありました。原住民といっても、外の世界の人たちと全く交渉なく生きていたわけではないようです。しかし、その生き方は極めて迷信的なものでした。彼らの中に混じっててきぱきと働くパウロを好ましく見ていたと思われますが、まむしをぶら下げた姿を見て、いっせいに引いてしまったのでしょう。しかし、パウロに何の変化も見られません。パウロは何事もなかったように、まむしをたき火の中に振り落としました。

 「島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、『この人は神さまだ』と言い出した」(6)「(まむしが)取りついた」、これは新共同訳では「絡みついた」(口語訳や岩波訳は「咬みついた」)となっていますが、まむしがパウロの手に取りついて、噛みつかなかったということはあり得ません。手にぶらさがっていたのは、「咬みついた」と見ていいでしょう。それなのにパウロは何の害も受けなかった、というのが真相のようです。それで島の人たちは、パウロは神さまの敵ではなく、神さまご自身だと言い始めたのです。


Ⅲ 主のいやしこそが

 彼らのいう「神さま」がどのような神なのか何も語られていませんが、14:8-18にルステラで、パウロをヘルメス、バルナバをゼウスと呼んで、いけにえをささげようとした記事があります。ある注解者は、否定-肯定の順序が逆ながらそれと似ているとしていますが、ここでは、パウロを神として祭り上げ、供物を供えるなど拝礼をしていませんので、ギリシャの神々というより、土着の神が想定されているようです。神さまと神宿る人(シャーマン)との区別が大きくはない。そんな宗教は、今でもインドネシアやポルネシアなどの奥地に住む原住民によく見られるそうです。ここに言われる「尊敬」も、それらの地域で、ほとんど同じことばが同じ意味で用いられているそうですから、土着宗教の性格がお分かり頂けるのではないでしょうか。島の人たちの宗教心が淡泊だったから、パウロもルカもそれを否定しようとはしていません。それより、本当の神さまは恵み深いお方なのだと、それを伝えたかったのではないでしょうか。

 「さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。またポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼に手を置いて直してやった。そのことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。それで彼らは、私たちを非常に尊敬した」(7-10)

 記事は、マルタ島での出来事、熱病に苦しむポプリオの父のいやしに移ります。この記事の記録者は医者のルカで、彼はその現場に観察者として立ち会っています。医者のルカではなくパウロが、治療によってではなく祈りによって、手を置いていやしました。かつて、イエスさまが熱病で伏せていたペテロの姑をいやされた(ルカ4:38-39)ことがあります。そのときのイエスさまのように、パウロはポプリオの父をいやしたのです。ここには隠されていますが、ルカは、これはパウロ(と私たち)の信じる主がいやされたのだと、難破船の中で起こった出来事と同じだと語っているのです。これはその続きなのです。医者だから「私の分野だ」と出て行く場面ではないと、ルカは医者であることを控えました。この出来事に注目しているのは、島の人たちばかりでなく、難破してここにたどり着いた人たちなのです。そして、この使徒行伝が書かれた当時の、そして後代の読者たちも注目しています。これは、その人たちへのルカのメッセージでした。彼は非常に優れた医師でしたが、だからこそ、主のいやしが絶対の力を持つと、確信をもってそれを私たちへのメッセージとしています。これは、現代に生きる私たちだからこそ、聞かなければならないメッセージではないでしょうか。



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