使徒行伝

80 ルカの溢れる証言に
使徒 27:33-44
詩篇  46:1-11
Ⅰ 極限の不安の中で

 暗やみの中、錨を降ろした船の中で一夜を明かした人たちが、どれほどの不安の中でその夜をすごしたことか、想像に難くありません。助からないと覚悟していたらまた違ったでしょうが、助かるかも知れないと、一縷の望みが芽生えた一夜です。もしかしたら、夜の間に船がさらに陸地に向かって進み、暗礁に乗り上げてしまうか、もっと沖に流されてしまうかも知れない。そうなったら、もうボロボロになった船です。船はたちまちのうちにバラバラになって、沈んでしまうでしょう。水夫たちも、もう一度逃げ出そうとするかも知れません。あれやこれや、彼らの不安は、ふくれ上がるばかりではなかったかと想像します。

 そんな長い夜が明けました。きっとみな、一睡もしていなかったでしょう。そんな時パウロはみなに、食事をとることを勧めました。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、14日になります。ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません」(33-34)食べ物がなかったわけではありません。船を軽くするためにたくさんの積荷を捨てましたが、ローマに納める荷物の一部(麦)と自分たちの食料分だけは確保していたのでしょう。しかし、食べることが出来なかったのです。船のひどい揺れのために、プロの船乗りたちでさえ、何も口にしていませんでした。そんな中で、パウロは食べることを勧めたのです。食べることで、「助かる」という確信が生まれて来るということなのでしょう。「あなたがたの頭から髪一筋も失われることはない」とはイエスさまのことばですが(ルカ21:18)、聞く者たちにどれほどの勇気を与えたことでしょう。実際、体力をつけておかなければ、そこに見えている陸地にまでも、たどり着くことが出来ないからです。

 始まった食事は、弟子たちが守って来た「主の食事」に似た風景でした。「パウロはパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づけられ、みなが食事をとった」(35-36) ある写本には、「そしてそれを私たちに分け与えた」とあります。「聖餐式が行われた」とルカは感じたのでしょう。助かった人たちのいのちを主にささげ、感謝しています。276人もいますから、この中の何人が主の祝福に与ったか分かりませんが、かなりの人たちがイエスさまを信じる者として誕生しただろうと想像します。「船にいた私たちは全部で276人であった。十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした」(37-38)276人が十分に食べて満足した後、残っていた積み荷の麦を海に投げ捨てました。吃水線を低くするためです。


Ⅱ 一刻の猶予もなく

 「夜が明けると、どこの陸地かわからないが、砂浜のある入り江が目に留まったので、できれば、そこに船を乗り入れようということになった。錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った」(39-40)船長(恐らく、船主)と百人隊長の許可を得て、麦を投げ捨てたのは、もちろん船乗りたちが率先してのことでした。ユリアスは、その責任を負う覚悟だったのでしょう。逃げ出すことに失敗し、小さくなっていたであろう、船乗りたちの仕事が始まりました。四つの錨を切り離し、舵(二つの操舵櫂)を固定していた綱も解き、前の帆(船の方向を定める小さな補助帆?)を上げて慎重に入り江を目指します。「彼らがいなければ助からない」とパウロが言った通りの局面です。これらの作業は、もちろん熟練した船乗りたちでなければ出来ません。

 しかし、弱まったとはいえ、強い風が完全に収まっていたわけではありません。しかも、入り江は船が進入できるようなところではなく、海底がどうなっているのか、船乗りたちにも分かりません。ゆっくりゆっくり進んではいたのでしょうが、大きな船です。いったん動き出すと、現代の船のように止まったり、前進、後進の細かな切り替は不可能です。ついに「潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて座礁し、へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始め」(41)ました。もう捨てるものがありませんから、吃水線をそれ以上、下げることは出来ません。暴風の中でも奇跡的に守られてきた船体が、ついに破れ始めました。頑丈な船体がメキメキと音を立てて壊れていきます。ただちに脱出しなければ、船の分解に巻き込まれ、大怪我をしたまま海に投げ出されてしまうでしょう。そうなっては助かる見込みもない。一刻の猶予もありません。


Ⅲ ルカの溢れる証言に

 ルカはここで、兵士たちと百人隊長の、別々の対応を記しています。兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談しています(42)。この兵士たちは、恐らく、百人隊長ユリアスとともにライン川流域の防衛線任務についていたゲルマニクス人で、抜擢されてローマ守備隊の近衛兵になっていたようです。ユリアスという名前は、ユリウス・カイザルがライン川防衛線をローマの平和と位置づけたとき、ローマ市民権とともに、ゲルマニクスの諸部族長に与えたものでしたから、この百人隊長もその子孫の一人だったのでしょう。兵士たちは、ユリアスといっしょにユダヤに派遣され、総督護衛の任に当たっていたものと思われます。もしかしたら彼らは、フェストといっしょに赴任した、一人一人が考えて行動出来る、優秀な兵士たちだったのでしょう。彼らは、上司の命令だけで動くロボット兵士ではなく、そんな作戦にも関わる相談を、自分たちだけでやっています。もちろん、相談がまとまったからすぐにそれを実行しようというのではなく、「このように相談がまとまった」との報告を隊長にしたでしょうが。パウロを除いた囚人たちについて何の記事もありませんが、おそらく、死刑執行のためローマに護送されていたのであろうと、ある注解者は推測しています。もしその通りだとすれば、パウロの皇帝への上訴は、無罪よりも有罪=死罪になる確率の方が高いと見ていいのではないでしょうか。アグリッパが、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されただろうに」(26:32)と言ったのは、ローマに行けば有罪になるかも知れない、とのニュアンスを含んでいるようです。そんなローマ側の意識として、この兵士たちの相談が的を得ていると考えなければならないでしょう。

 ところが百人隊長ユリアスは、「泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、それから残りの者は、板切れやその他の船にある物につかまって行くように」(43-44)と命じました。ユリアスはもちろん、兵士たちの相談とその決定の報告を聞いたと思われますが、それにもかかわらず、彼は全員の上陸を目指しました。ルカは「(ユリアスが)あくまでもパウロを助けようと思って、その計画を押さえ」と記しています。それはルカの単なる想像ではなく、明らかにユリアスは、パウロに対して好意を持っていました。シドンに入港した時もそうでしたが、クレテの良い港でパウロが出港に反対したこと、みながもう助からないと気落ちしていた時に「助かる」と励ましてくれたこと、また、船乗りたちが逃げ出すのを阻止したこと、みなに食事を勧めて気力を回復してくれたことなど、この暴風の中で、パウロは終始みなの支えになっていたからです。ユリアスにとってパウロは、囚人と護送隊長という枠を超え、生死をともにする共同体の一員になっていました。ルカは、そんなユリアスの意識の中で、パウロがこの船の主役になっていることを感じ取っていたのではないでしょうか。

 「こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった」(44)と、この嵐の中の航海が締めくくられます。陸地まで、それほど遠くはなかったのでしょう。しかし、「泳げない者」もいましたから、276人全員が、わずかな距離であっても、強風の中で、高い波を乗り切って陸地にたどり着くのは至難の業だったと思われます。泳げない者は板切れにしがみつき、ある者たちは船乗りたちに助けられて、みな、無事に陸に上がりました。なぜか、船の乗客276人について、ルカの記事はここで途絶えますが、しかし、この締めくくりにおいて、パウロの一貫したメッセージが「本当だった」と、それは人々の実感だったのではないでしょうか。長々と続いた遭難記事ですが、これは単に、ローマに行く着くまでの報告書などではなく、人間にとって絶対的な力をふるう、これほどの自然の猛威の中にも主の救いがあったと、これをルカの溢れる信仰の証言と聞きたいではありませんか。



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