使徒行伝

79 主の救いが今
使徒 27:13-32
詩篇  46:1-3
Ⅰ 望みも失せて

 良い港で何日か風向きを見ていたのでしょうか。「おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした」(13-14)風が穏やかになったから出航したのですが、突然、クレタ島の2500㍍にも及ぶ高い山から吹き下ろして来る「ユーラクロン」によって、海は荒れ始めました。陸地に沿って、ピニクス港80㌖までは何とか行けるだろうと思っての出港でしたが、盾になってくれるはずの陸地が、襲いかかって来たのです。舵など全く利かず、帆を降ろして吹き流されるままです。「クラウダという小さな島の陰にはいったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた」(16-17)クラウダ島は、ピニクス沖50?ほどのところにある小さな島です。暴風のため、そんなところにまで流されていました。スルテスはアフリカ北部の、流れ動く砂州と予想もつかない潮流のある入り江で、魔の浅瀬と恐れられ、船乗りたちはめったなことでは近づきません。船乗りたちは、そこまで流されることを心配したのでしょう。船尾に引いていた小舟を引き上げ、浅瀬に乗り上げないよう、船具(恐らく海錨)を投げ入れて速度を落とし、あとは流れに任せます。さすがはこの海をよく知った船乗りたちです。これほど恐ろしい目に遭いながら、すべきことを心得ていました。「私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた」(18-19)船乗りたちばかりではありません。ルカや他の乗客、兵士たちまでも、船長の指図を聞いて懸命に働いています。

 それなのに、「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」(20)「太陽も星も見えない」とありますから、船が今どこにいるのか分からない状態が続いていました。ある注解者は27節にある「14日目」から計算して、漂流は11日間であったろうとしていますが、それくらいの日にちは経っていたと思われます。積荷や船具を捨てたときには、まだ助かる望みを持っていましたが、気力も失われてしまったのでしょうか。これは、ルカさえも覚悟を決めた?かのような言い方に聞こえます。


Ⅱ 主の希望に

 ところが、そのルカが唐突に、「だれも長いこと食事をとらなかった」(21)と記しました。きっとそれは、ルカだけでなく、船にいたみなの意識が、「そう言えば食べていなかった!」と、今更のように気がついたという印象を受けます。ルカの記述では逆になっていますが、それは、パウロのことばを聞いてからのことでした。恐らく、パウロの話の途中で食事云々を思い出したのでしょうが、ルカがこれをこのフレーズ冒頭に書き記したのは、意味のあることでした。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます」(21-26)こう聞いて、助かる望みが出て来たから、「そう言えば食べていなかった!」と思い出したのでしょう。恐らく、ルカとアリスタルコを除いて、誰もが信じられないようなことでしたが、「もうダメだ!」と絶望していた矢先ですから、「カイザルの前に……」というパウロの話の大半は分からなかったとしても、「助かる」という希望が、ここにいる人々の間に出て来たのではないでしょうか。それは、パウロの神さまが教えてくださった希望であり、人々の目が神さまに向けられたということなのでしょう。

 それは、裏返しますと、助かりたいと精一杯努力をして来て、しかし、もはや人間の努力などではどうしようもなくなった者たちの、見るべきところは、神さましかなくなったということではないでしょうか。それはまだかすかなものに過ぎなかったとは思いますが、ルカはこの航海の前に、パウロの証言を聞いたアグリッパ王の反応を記しました。この難破の記事は、その続きであると聞こえてきます。アグリッパは信じることを拒みました。しかし、難破しかかったこの船の人たち(全員ではなかったにせよ)は、少なくとも、パウロが幻のうちに主(イエスさま)の御使いを見たと言ったその証言を、信じたのです。「自分たちは助かる!」と、そのかすかな希望が、冒頭の「食事云々」という記事になりました。それは彼らの、信仰の告白ではなかったでしょうか。だから35-36節でパウロは、「パンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった」と、聖餐式のようなことを行っているのです。


Ⅲ 主の救いが今

 以下の記事は、21-26節で語られたパウロのメッセージが(それはまさに福音宣教のメッセージでした)、確かにその通りになったという、ルカの確信に満ちた証言です。「14日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。水の深さを測ってみると、40㍍ほどであることがわかった。少し進んでまた測ると、30㍍ほどであった。どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜の明けるのを待った」(27-29)「アドリヤ海を漂っていると」とありますから、暴風もいくらか収まって来たのでしょう。しかし、船は相当傷んでおり、自力で航行することができないまま、何日も漂っていたと思われます。そこが「アドリヤ海」だと分かったのは、船乗りたちがその辺りを熟知していたからでしょう。暗い中ですから陸地など見えませんが、辺りに気を配っていた船乗りたちが、「どこかの陸地に近づいたように感じた」その勘は、さすがです。アドリヤ海はアベニン半島(イタリヤ)とバルカン半島(ギリシャ)に挟まれた、おもに北のほうの海を指しますが、南のイオニヤ海も含む、相当広い範囲と考えていいでしょう。だから、さすがの船乗りたちも、船がどれくらい移動していたのか分からなかったのです。実はこの陸地は、28:1によりますと、イタリヤ半島の一部とも言える、シチリア島の南93㌖に浮かぶマルタ島でした。ローマに行くには、イタリヤ半島とシチリア島の間にあるメッシーナ海峡を通り抜けて北上すればすぐです。そんなところまで流されていたのです。激しいユーラクロンを乗り切って漂流した距離は、800㌖を超えています。この船を破船から救ってくださったお方は、まさに主ご自身であると聞くのはおかしなことでしょうか。

 幾人もの人たちは、そう聞きました。だから、陸地も見えない暗闇の中での一夜を耐えたのです。しかし、船のプロだった船乗りたちは、逃げ出そうとして、「へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろして」(30)いました。それを見てパウロが、百人隊長や兵士たちに言いました。「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助かりません」(31)船乗りたちは、「主ご自身が……」とは、聞かなかったのでしょうか。いや、岩の突き出た危険な暗やみに小舟で漕ぎ出すなど、いかにも奇妙なことでしたから、もしかしたら、プロだったから、そのまま船に止まることに恐怖を覚えたのかも知れません。今まで先頭に立って懸命に働いて来た彼らゆえの、錯乱ではなかったかとも想像します。パウロのことばを、百人隊長が信頼して受け入れました。これも奇妙なことですが、小舟は上陸のため必ず必要になると思われるのに、兵士たちは綱を切ってその小舟を流してしまいました(32)。しかし、こうした海難では、そんな理屈に合わないことが起こるのが普通なのでしょう。そして、そんな、まるで狂気のような状況が膨らみながら、現代の私たちを取り囲んでいます。今、私たちも、パウロとともに、「元気を出しなさい」ここに主の救いがあると、聞かなければならないのではないでしょうか。



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