使徒行伝

77 主よ。彼らの心を
使徒 26:24−32
エレミヤ   2:31
T 片隅で起こったことではない

 パウロの弁明を聞いていたフェストが、叫びました。「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」(24)フェストにとって、この新しい教えが、まったく初めて聞いたものではなかったにせよ、非常に高度な内容を含むものであると分かったのでしょう。イエスさまを信じるパウロの信仰の内容は、ユダヤ人の信じる律法と預言者に関わるすべてに上回っていると、フェストは聞きました。それは、パウロの博学なのでしょう。しかし、フェストはローマ人です。イエスさまのよみがえりや、パウロが天から啓示を受けたなど、信じられるはずもありません。「気が狂っている」とこの演説を中断したのは、彼の常識でした。しかしパウロは、アグリッパをこの弁明の証人に立てようとして、言いました。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私はまじめな真理のことばを話しています。王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います」(25-27)この「まじめな真理のことば」という言い方は、「真実で理にかなった言葉」(新共同訳、岩波訳ほか)というギリシャ的論理の思考を指していますので、これはフェストが持ち出した「狂気」に対する明確な反論で、フェストにとっても良く分かるものでした。恐らく、一度はフェストの言い分に頷いたであろう居並ぶ賓客たちにも、これで「パウロの狂気」は撤回されたのではないでしょうか。そしてこれは、特にアグリッパ王に強い印象を与えました。

 これは「片隅で起こった出来事ではない」と、パウロは言いました。それは、パウロとルカの共通の意識です。特にルカは今、福音宣教の枠組みがユダヤからローマを中心とする世界に広がるのだと、わくわくする思いでこの記事をメモしています。王は知っているはずだとパウロが言ったのは、イエスさまのことがすでに、ユダヤ人世界で広く語られていたからです。そうです。イエスさまの出来事は、広く知れ渡っていて、ユダヤ人がイエスさまのあらゆることを否定しているのは、事実の隠蔽に過ぎないと言っているのでしょう。パレスチナのユダヤ人だけではない。パウロの伝道旅行中、海外各地のユダヤ人たちが強硬にパウロに反発したのは、イエスさまの出来事を聞いた彼らの危機意識の現われと見て差し支えないでしょう。エルサレムのユダヤ人が、アジヤから来たユダヤ人の告発を引き継いでパウロを告訴したことも、同じだったのではないでしょうか。


U 王の反応は?

 「あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います」というパウロのことばに、アグリッパは反応しました。「あなたはわずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」(28) アグリッパがパウロの弁明を、引き込まれるように聞いていたことは確かでしょう。ですからアグリッパは、パウロが極めてギリシャ的論理で語るイエスさまのことは、ユダヤ人が古くから教えられて来たことに起因すると、理解したのです。「預言者を信じますか」というパウロの問いかけに、アグリッパが「私をキリスト者にしようとしている」と受け止めたのには、理由があります。それは、イエスさまが、預言者の証言という文脈の中から出て来ているからです。イザヤ書には「インマヌエル」や「主のしもべ」の預言がありますし、ミカ書には「ベツレヘムでお生まれになる」と特定した記事まであり、詩篇にもそれらしいものが多数あります。旧約聖書中、その手の記事は数え切れないほどあるのです。いや、旧約聖書そのものが、イエスさまを指し示していると言っていいでしょう。バビロン捕囚時代にささやかれ始め、帰還以来、中間時代を通して、メシア待望信仰が広がっていて、それはアグリッパが成人してからもなお、盛んにささやかれていたことでした。ユダヤ教に造詣の深いアグリッパが、預言者云々と聞いて、今なお噂に高いイエス・キリストのことを思ったとしても、不思議ではありません。キリストとは、メシアのことだからです。しかし、パウロから問いかけられ、思わず一歩引いてしまったのは、もしかしたら、何人もの自称メシアが出ては消え、出ては消えて行った現実があったからかも知れません。いや、ユダヤ人たちが、イエスさまを本物のメシアと思ったから拒否したという、同じところに陥ってしまったのかも知れません。

 ともあれ、この問いかけは、アグリッパがイエスさまを信じるために、神さまから与えられた貴重なチャンスでした。しかし、彼はそれに応えることが出来ませんでした。ユダヤ教信者としては珍しいほど、幅の広さを持ち合わせていた人なのに、応答という段階で二の足を踏んでしまった。現代人を思わせるアグリッパです。パウロは言いました。「ことばが少なかろうと多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです」(29)

 フェストは彼の無罪を確信しましたが、ここはローマの模擬法廷です。アグリッパ王の前に引き出された囚人パウロの手は、鎖につながれていたでしょう。しかし、そんな姿にもかかわらず、パウロには、少しのみじめさもありません。まるで、居並ぶ賓客たちを主のもとに導く先導者のように、雄々しいまでの姿ではありませんか。


V 主よ。彼らの心を

 王と総督とベルニケ、および同席していた人たちは、立ち上がりました。それは、この会合の打ち切りを示しています。彼らにとって、パウロの弁明はもう十分でした。必要なことは出尽くした、と受け止めたのです。少なくとも、アグリッパはそうでした。なぜなら、彼には、パウロの立脚点がよく分かったからです。これ以上聞いても、パウロは、キリストについてもっと切り込んだ弁証を仕掛けてくるだろう。それに反論できるだけの材料をアグリッパは持っておらず、拒否を貫く以外、彼には逃げ道がなかったのです。会合を閉じたのは、アグリッパだったと言っていいでしょう。彼は総督から、この会合の名誉ある司会役を託されました。しかし彼は、「あなたはわずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」(28)と、不本意にも自ら醜態をさらけ出してしまいました。これ以上醜態を重ねることはできない。それには、会合を打ち切る以外、方法はなかったのです。その見返りに彼は、提案された皇帝への報告書に書くべき事柄を、造作なく教えたでしょう。それくらいのことなら、簡単でした。ユダヤ教絡みの事由をそれらしく書けばよかったからです。そして彼は、その報告書に、パウロは無罪であろうと、カイザリヤ法廷の意見書をつけたのではないでしょうか。「あの人は、死や投獄に相当することは何もしていない」(31)とは、列席者みなの意見でした。「無罪」の主張も、アグリッパから出たと思われます。総督も同じ思いでしたから、ただちに同意しました。それは、パウロのメッセージを聞きながら信じることを拒否した、アグリッパの良心ではなかったかと感じられるのです。

 「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに」(32)と、アグリッパはフェストに愚痴っているようです。最後の最後まで弁解しなければならなかったアグリッパ、彼の名はここで途絶えます。しかし彼は、やがて皇帝となるヴェスパシアヌス将軍のもとで、ユダヤ戦役には、初めから終わりまで一貫して、ユダヤ北部の自らの軍隊を率いて参加しています。その功績からかローマ貴族に名を連ね、評議員となって終生ローマに忠誠を尽くしました。ヘロデ王朝最後の一人として、ガリラヤを離れることはありませんでしたが、彼の心はユダヤから離れていたように見えて仕方ありません。それは彼の中に、このパウロの一件が痛みとして残ったからではないかと想像します。ネロ皇帝によるキリスト教徒迫害の遠因となったかも知れない、パウロのローマ行きを阻止することができなかった。もしかしたら彼は、そんな思いとともに、AD100年に73才で亡くなるまで、パウロのことばを終生反芻し続けたのではないかと想像します。彼がイエスさまを信じると告白したなら、歴史は少し違っていたかも知れないと、これは私の思い込みでしょうか。現代にも、アグリッパ王のように、問いかけられて応えることの出来ない人たちが多数います。主がその方たちの心を開いてくださるよう、祈るばかりです。



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