使徒行伝

75 福音の枠組みが
使徒 25:13−27
イザヤ  60:1−3
T ローマ世界へ羽ばたいて

 数日(2~3日)経ってから、アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するため、カイザリヤにやって来ました(13)。フェストは何日か前にエルサレムから帰って来たばかりですから、タイミングを計っていたのでしょう。アグリッパ2世はユダヤ地方の領主アグリッパ一世の息子ですが、父王が亡くなると、ローマはそこを総督管理下の直轄地としましたから、アグリッパ2世は父のあとを継ぐことは出来ませんでした。しかし、叔父のヘロデ王が亡くなったため、彼が統治していたレバノン山脈付近の小国、カルキスの王となりました。53年にピリポとの領国交換が行われ、ピリポ・カイザリヤを首都とするガリラヤ北部方面の領主となり、さらにネロ皇帝から付近の町々村々を与えられ、ガリラヤ地方の領主となりました。彼はなかなかの人物で、ユダヤの大祭司任命権も得ていたようです。ベルニケもアグリッパ一世の娘で、三人姉妹の長女、ペリクスの妻ドルシラは三女だそうです。ベルニケはカルキスの叔父ヘロデ王の妻でしたが、この時、ピリポ・カイザリヤで、異母兄アグリッパ2世のところにいました。

 王みずから新任総督を表敬訪問しなければならないほど、この時期の王の立場は弱く、ローマの好意を得なければ、その地位を保つことさえ難しかったのでしょう。二人がそこに長く滞在していたので、フェストはパウロの一件を持ち出し、こう言いました。「ペリクスが囚人として残して行ったひとりの男がおります。私がエルサレムに行ったとき、祭司たちとユダヤ人の長老たちとが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるように要求しました。そのときに私は、『被告が、彼を訴えた者の面前で訴えに対して弁明する機会を与えられないで、そのまま引き渡されるということはローマの慣例ではない』と伝えておきました。そいうわけで、訴える者たちがここに集まったとき、私は時を移さず、その翌日、裁判の席に着いて、その男を出廷させました。訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。ただ、彼と争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいのか』と尋ねたところが、パウロは、皇帝の判決を受けるまで保護して欲しいと願い出たので、彼をカイザルのもとに送るまで守っておくように、命じておきました」(14-21)

 このフェストの言い分は、今までの彼の言動とは微妙に違っています。これは、フェストがパウロをどう見ていたかをアグリッパ2世に明らかにした、ルカの推測によって書かれたもので、法治国家ローマの正義と、その世界への憧憬が強調されたものになっています。


U カイザルの前に

 パウロがカイザルへの上訴を願ったのは、ユダヤ人の告訴状に、カイザルへの罪(騒乱罪か不敬罪)が加えられていたためでした。ところが、その案件は、フェストのこの話の中にはありません。恐らく、ローマ側としては、それは不要なことだったのでしょう。アグリッパに対するフェストの説明に、「私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つなかった」とあります。彼の予期していたことが何であったか分かりませんが、彼は、騒ぎそのものを審理案件に加える意図は初めからなかったと推測されます。審理の事由を、ユダヤ人の宗教問題だけに絞ろうとしています。その中で、「死者の復活」が、イエスさまのよみがえりという具体的問題として浮上してきました。ルカの推理とはいえ、それがフェスト(恐らく、ペリクスにとっても)の大きな疑問のひとつだったと思われます。26章にあるアグリッパとベルニケの前でのパウロの弁明には、そのイエスさまにお会いしたというパウロの証言が再び収録されていますから、これは単なる弁明ではなく、これら高官たちの前でイエスさまの福音を証しなければならないとする、パウロとルカの意識と見て差し支えないでしょう。

 フェストの説明を聞いてアグリッパも、パウロに興味を示しました。「私も、その男の話を聞きたいものです」「では、明日お聞きください」(22)使徒行伝最大の場面が、セッティングされました。「翌日、アグリッパとベルニケは大いに威儀を整えて到着し、千人隊長たちや市の首脳たちに付き添われて講堂にはいった。そのとき、フェストの命令によってパウロが連れて来られた」(23)会場は講堂です。新共同訳では「謁見室」となっており、どちらの訳も可能なことばが用いられていますが、まるで、その会場が使用されたのは、ユダヤ人の領主を迎え、その審理がかくまで大々的に、盛会に開かれたと言わんばかりです。アグリッパとベルニケが大勢の従者を従えて威儀を整えたのは、ローマへの敬意を表するためでしたが、ローマ側も負けじと、千人隊長たちや市の首脳たちを集めました。これは、総督府武官の長たちと市の高官たちが、賓客として招待されたことを示しています。アグリッパ王が敬意を込め、フェストはその威勢を誇ったのです。フェストがこれを「取り調べ」(26)と呼び、カイザルに送る訴状に書き込むために、パウロの罪状を探るため(25:26-27)としているにもかかわらず、これはもはや、数日前の、カイザリヤ法廷における裁判の延長などというものではありません。パウロ問題に決着をつけようという実質的目的に名を借りた、ローマの(或いは、フェスト自身の)威信を示すための謁見でした。総督フェストは、つい最近カイザリヤに赴任して来たばかりです。しかしルカは、これほど盛大な集まりで、ほぼ26章全体に及ぶパウロの演説を記述することで、ローマでパウロがカイザルの前に立つことを想定しているのでは、と想像させてくれます。


V 福音の枠組みが

 フェストは、この場の亭主として、居並ぶ賓客たちに謁見の挨拶を述べます。「アグリッパ王、ならびに、ここに同席の方々。ご覧ください。ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでもここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います。しかし、彼自身が皇帝に上訴しましたので、彼をそちらに送ることに決めました。ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事がらが一つもないのです。それで皆さんの前に、わけてもアグリッパ王よ、あなたの前に、彼を連れてまいりました。取り調べをしてみたら、何か書き送るべきことが得られましょう。囚人を送るのに、その訴えの箇条を示さないのは、理に合わないと思うのです」(24-27)アグリッパにとって、パウロのことは、カイザリヤに来てから耳にしたことでしたが、カイザリヤ在住の人たちには、恐らく、街の噂になっていた事柄だったのでしょう。カイザリヤには、ペテロから福音を聞いてバプテスマを受けた百人隊長コルネリオもいましたし(10:1)、ピリポもいました。エルサレムのマナソンも、度々カイザリヤに来ていたでしょう。当然、キリスト教に関わりのある人たちが多数いたと思われます。新総督が手掛ける最初の法廷です。フェストの手腕を、街中の人たちが注視していたのではないでしょうか。そんな人たちに、新総督の公明正大さを印象つけなければならないと、彼は声を張り上げたのです。

 「ご覧ください。ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでも、ここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います」と、フェストはパウロを紹介し、パウロの無罪が主張されています。わざわざそれを加えたのは、カイザリヤの街には、ギリシャ人やローマ人など、異邦人が大勢いたからでしょう。恐らく、パウロがカイザルに上訴した段階で、フェストの顔は、ユダヤ人から皇帝のほうに向きを変えました。ユダヤ人が度々帝国内で問題を起こし、ローマの嫌われ者になっていたことも背景になっていると見ていいでしょう。ユダヤ教対キリスト教という軸足は薄れつつある。福音が語られる枠組みは、もはやユダヤではなく、ローマを中心とする「世界」なのだという、ルカの認識が見えて来ます。テルトロとパウロの、余人には隠された会話(24:2-21)もありました。そこから始まったのでしょうか。そして今、パウロはそこに踏み出そうとしています。罪なき者として。しかしそれは、殉教への道であり、彼の伝道旅行の集大成でした。パウロは、王の王たる主を掲げ、皇帝支配の中心・ローマに行こうとしているのです。



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