使徒行伝

74 見つめるべきを見つめて
使徒 25:1−12
イザヤ   59:19
T フェストの法廷で

 ユダヤ州のローマ総督が、ペリクスからフェストに代わりました。59年のことです。フェストについては、使徒行伝の記事以外ほとんど知られていませんが、二年後の61年に急逝したようです。行動派だったらしく、着任すると三日後(1)に、エルサレムに向かいました。ユダヤ人指導者と接触するためです。総督としては当然のエルサレム行きでした。が、しかし、ユダヤ人指導者たちがカイザリヤに挨拶に来ないで、フェスト自身が彼らのところに行ったというのは、統治者にとって、ユダヤ人がいかにむつかしい民族であったかを物語っているようです。そんな情報を、この総督はいくつも仕入れて来たのでしょう。むつかしい民族を絵に描いたように、ユダヤ人指導者たちは、自分たちのことしか考えていません。指導者たちとは大祭司を初めとするサンヒドリン議会の議員たちで、フェストを新任総督と見るや、早速パウロのことを訴え出ました(2)。

 「パウロのことを訴え出て、パウロを取り調べる件について自分たちに好意を持ってくれるように頼み、パウロをエルサレムに呼び寄せていただきたいと彼に懇願した。彼らはパウロを途中で殺害するために待ち伏せをさせていた」(3)新共同訳には「好意」ということばは省かれていますが、新改訳のように訳出するほうがいいでしょう。この待ち伏せは、23:12-15で共同歩調をとった、40人の暗殺集団だったのかも知れませんが、前回失敗したため、今回は大祭司たちが首謀者になっています。フェストに会う前に、そのように打ち合わせていたのでしょう。フェストは、ユダヤ人たちがパウロの身柄引き渡しを要求していると理解したのでしょうか。彼は「パウロはカイザリヤに拘置されているし、自分はまもなく出発の予定である」と答え、とりあえずその要求を断りました。しかし、これを拒否と聞くことはできません。9節でパウロに、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の面前で裁判を受けることを願うか」と尋ねているからです。囚人よりもユダヤ人指導者と仲良くしようという、総督の常識が見えて来ます。ただ、ローマ総督としてのメンツは守らなければなりません。「だから、その男に何か不都合なことがあるなら、あなたがたのうちの有力な人たちが、私といっしょに下って行って、彼を告訴しなさい」(5)と、カイザリヤでの法廷開催に拘ります。


U ユダヤ人寄りの審理が

 エルサレムの指導者たちが、煮ても焼いても食えない者たちと実感したのでしょうか。エルサレムには八日あるいは十日ばかり滞在しただけで、フェストはカイザリヤに下って行き、翌日、裁判の席にパウロの出廷を命じました(6)。「八日あるいは十日ばかり滞在」と曖昧な言い方は、パウロの記憶が定かでなかったことを示しています。ということは、他のパウロの記憶に基づく断定的な証言は、「着任すると、三日後に」(1)とか、ペリクスの裁判の模様など、極めて正確だったということなのでしょう。有力な指導者たち数人が、フェストといっしょにカイザリヤに下って来たようです。「パウロが出て来ると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは、彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった」(7)

 「多くの重い罪状」とあります。いくつもあったのでしょうが、注目すべき罪状は、パウロが「私はユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません」(8)と言った通り、「カイザルに対する罪」でした。これは騒乱罪とでもいうのでしょうが、彼らは今回も証人を連れて来ませんでしたから、パウロの罪状に対して証拠を上げることはできず、従って、パウロも証拠立ててこれに反駁はしていません。現代の私たちにはまるで予備裁判のように見えますが、両者の言い分がちくはぐで平行線を辿っている、フェストにとって決着をつけることがむつかしい裁判の席で、ユダヤ人たちが上げたのは、「カイザルへの罪」でした。これがパウロの方向を決定づけました。

 「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか」(9)フェストはエルサレムでの審理を提案しましたが、これはエルサレムで、祭司長たちがフェストに願った要望でした。一度は否定した提案ですが、このままカイザリヤで審理を続けても同じ結果になり、総督としての自分の履歴に傷がついてしまう。それよりも、ユダヤ人たちにここで恩を売っておいたほうが後々好都合、と考えたようです。それに、自分が裁判官を務めるなら、自分のメンツも立つし、パウロも納得するだろう。審理がユダヤ人側に有利になっても、仕方あるまい。

 しかし、これでこの厄介な問題を解決することができるとした、フェストの思惑はあっさりと反故にされました。パウロは言いました。「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。もし私が悪いことをして、死刑に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します」(10-11)


V 見つめるべきを見つめて

 この裁判が始まった経緯を、もう一度考えて見ましょう。千人隊長ルシヤがパウロを拘束し、その身柄をカイザリヤに移したことも、ユダヤ人側がパウロを殺そうとしたことが原因で、もともと暴動そのものが、アジヤから来たユダヤ人たちの、パウロ憎しと群衆をあおり立てたことに起因していました(21:27-30)。騒動の原因を探ろうと、ルシヤは神殿外庭でパウロに弁明させたり、サンヒドリン議会開催を要求したりしたあげく、舞台がカイザリヤに移され、総督ペリクスによる法廷が開かれ……と推移してきましたが、その過程で、はっきりして来たことがあります。初めは、恐らく推測だったと思われますが、ルシヤが「これはユダヤ人の律法に関する問題のためであると分かった」(23:29)とペリクスに手紙を書き送ったところから、争点が、パウロの神殿不敬罪と律法軽視であるとする、ユダヤ人の宗教問題に絞られて来ました。フェストが法廷をエルサレムのサンヒドリン議会に移行しようとしたのも、そこに的を絞ってみますと、何の不思議もありません。暴動というローマ総督の守備範囲も、パウロが宮を汚したとするユダヤ人の告訴理由に基づきますと、宗教問題として片付けることができます。恐らく、フェストには、パウロをエルサレムのサンヒドリン議会に移そうすることが、ローマとユダヤの裁判権に関わることであるという認識など、全くなかったことでしょう。ところがユダヤ人側には、その意識が強烈に働いていました。ただの宗教問題ではない。彼らの権力保持に関わる重要な問題だったのです。

 ところが彼らは、パウロの引き渡しを執拗に願うあまり、ミスを犯してしまいました。数えたてたパウロの「多くの重い罪状」(7)の中に、カイザルへの罪を加えてしまったのです。フェストの提案通りにことが進むと、密かに始末される危険性があると感じたのでしょう。パウロは、彼らが見せたその隙に乗じました。「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です」 フェストもユダヤ人も、自分をエルサレムに連れて行こうとしている。しかし、「私はカイザルに上訴します」。これは、ローマ市民としてのパウロの切り札でした。危険度から言うなら、どっこいどっこいです。それなら、主のご計画を選択しよう。いや、たとえローマ行きのほうが危険だとしても、パウロはそちらを選んだでしょう。パウロのカイザルへの上訴を受けて、陪席していた総督府高官たちと協議した総督フェストは、決定しました。「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとに行きなさい」(12)「ローマに福音を」という主のご計画が、決定されました。

 この裁判は、長いやりとりがあって当然と思われるのに、ユダヤ人の告訴もパウロの弁明も簡単です。騒動の発端からここまでの経過を見ますと、ペリクスもフェストも混乱するほど、脈絡のない裁判が続けられています。それは、ユダヤ人の、パウロ憎しという感情が前提にあったからです。ですからルカは、ここで整理しました。この裁判の大半の記事を省き、一直線に、パウロのローマ行き決定に突き進んでいます。見つめるべきは主のご介入であると、ルカの信仰が見えて来るようです。


使徒行伝目次