使徒行伝

72 知恵を尽くして
使徒 24:10−21
箴言 3:3−6
T 祈りに支えられて

 カイザリヤ、ローマ法廷でのテルトロの告発が終わり、パウロの弁明に移ります。
 「閣下が多年に渡り、この民の裁判をつかさどる方であることを存じておりますので、私は喜んで弁明いたします」(11)と、当時の慣例に従ってパウロも、短いですが、テエルトロと同じように総督への謝辞から始めました。対話相手として、彼の胸中には、テルトロがいたようです。ペリクスの総督在任は52-59年の7~8年間で、この時6年目だったようですから、パウロは何回もの伝道旅行で長年ユダヤを離れていたのに、よくぞ総督ペリクスのことをここまで……と、感心します。そうした情報は、もしかしたら、ピリポ(21:8-)かマナソン(21:16-17)のところで仕入れたのかも知れません。それは、パウロがこの事態を予想していたことを暗示しており、同時にまた、マナソンたちの祈りを感じさせてくれます。いかにパウロが優れた人物であっても、背後の祈りなくしては、この戦いの場に立つことはできなかったでしょう。この法廷に立ったパウロは、単に裁かれる者としてではなく、主が定められた福音宣教の地、遠くローマの皇帝の前で主をあかしする自分を見つめていたのですから。パウロは、恐らくこの段階で、テルトロの問いかけに答え始めていたと言えるのではないでしょうか。

 しかしテルトロには、それほどの主のご計画があるなど、想像すら出来なかったでしょう。
 エルサレムでサンヒドリン議会に立たされたときパウロは、まず弁明から始めようとしましたが、議長である大祭司アナニヤの資質を知っていましたから、その法廷では、無罪を勝ち取るのではなく、何よりも、有罪にされてはならないと決意したようです。ですから、大祭司を罵倒したり、陪席していた議員たちがサドカイ人とパリサイ人であることを見て取り、「死者の復活という望みのことで裁かれている」(23:6)と、議会の混乱を狙う発言をしたりして、計画通りローマの懐にはいることに成功しました。

 しかし、カイザリヤのローマ法廷では、そんな小細工なしに、堂々と弁明を始めます。


U 裁判の延期を

 「お調べになればわかることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上って来てから、まだ12日しかたっておりません。そして、宮でも会堂でも、また市内でも、私がだれかと論争したり、群衆を騒がせたりするのを見た者はありません。いま私を訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができないはずです」(10-13)「さて私は、同胞に対して施しをし、また供え物をささげるために、幾年ぶりかで帰って来ました。その供え物のことで私は清めを受けて宮の中にいたのを彼らに見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。ただアジヤから来た幾人かのユダヤ人がおりました。もし彼らに、私について、何か非難したいことがあるなら、自分で閣下の前に来て訴えるべきです。でなければ、今ここにいる人々に、議会の前に立っていたときの私にどんな不正を見つけたかを言わせてください。彼らの中に立っていたとき、私はただ一言『死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです』と叫んだにすぎません」(17-21)

 なぜかパウロは、告発に対する回答を二つに分けていますので、その部分から取り上げましょう。

 第一にパウロは、「礼拝のためにエルサレムに来てからまだ12日しか経っていない」と申し立てました。ですから「宮でも会堂でも、また市内でも、私がだれかと論争したり、群衆を騒がせたりするのを見た者はない」と言い切ったのです。そんなことは、権力者が調べればすぐに分かることです。パウロは、テルトロが演説の中で彼の「仕事」をした部分の、「宮さえもけがそうとした」という告発に答えます。それはテルトロへの挑戦でした。12日とは、いつの時点での12日なのか分かりませんが、恐らくパウロは細かなところを省いて、清めのため宮にこもっていた7日(21:27)と、カイザリヤに大祭司たちが来たときの、5日後(24:1)を足しただけの日数を言ったのでしょう。宮をけがしていると告発されるような時間は、まったくありません。宮にはいる前の一日とか、省いた細かな日々を考慮にいれても、「宮でも会堂でも、また市内でも……」は、事実その通りでした。テルトロは、これが中心の告発であるとばかりに、「宮さえもけがそうとした」と言いましたが、何の証拠も提示していません。それに対してパウロは、事実関係を証拠として、反論しました。「誰もこの訴えに証拠を示すことはできない」はずだと。これが第一の論点です。

 第二に、彼を告発したのはアジヤ(エペソ)から来たユダヤ人たちでしたが、大祭司たちは彼らの一方的な訴えを聞いて、パウロを告発しました。しかしそのユダヤ人たちは、この法廷に姿を見せていません。ですからパウロは、彼ら自身がカイザリヤに来て、総督に訴えるべきだと主張したのです。告発した本人たちがいないのだから、神殿をけがしているという告発は無効であると、これがパウロの第二の論点です。総督は「宮をけがそうとした」というテルトロの告発を、パウロの論点を聞いて、無効と判断したようです。総督は、千人隊長が下って来てから……と、裁判延期の決定(22)をしましたが、そこにはもはや、「宮をけがした」という容疑は、盛り込まれていないとの印象を受けます。


V 知恵を尽くして

 テルトロが何も触れなかったことですが、パウロの弁明には、もうひとつの論点があります。

 「私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることを全部信じています」(14)とパウロは、エルサレム教会のヤコブが指摘した「パウロは律法をないがしろにしている」という、おおかたのユダヤ人が中心問題としている点に触れ、続いて預言者の書に言及します。これはユダヤ人の通例として、「律法」に聖書以外の規定まで持ち出していることに対する批判も含まれていると理解すべきでしょう。パウロが大切にしているのは、聖書であって、聖書に基づかない律法学者たちの通達ではありません。これは、当時のユダヤ教がバビロン捕囚以前から培って来た、国家神学とでもいうべき神学体系への拒否を意味しています。それは、エレミヤやエゼキエルといった捕囚期の預言者たちが、大切にして来た信仰姿勢でした。その信仰の中で、「私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしている」(16)と補足したのです。

 これはテルトロが暗黙のうちにパウロに問いかけた、「世界中に騒ぎを起こしている、それは何なのか」ということへの回答でした。ですから、「(ユダヤ人が)異端と呼んでいるこの道に従って、先祖の神に仕えていることを承認する」(14)と言ったのです。それは、「この道」のことをもっと詳しく調べるようにとの、テルトロへの暗黙のサインであろうと前回触れました。エレミヤやエゼキエルの預言者信仰は、ユダヤの国家神学を徹底的に否定した上に築かれた、神さまの新しい救いの計画に基づくものでした。パウロ神学は、その上に組み立てられていると言えるでしょう。

 パウロは、「福音の、このすばらしい伝播力は何か」という、テルトロの質問に答えます。「義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身が抱いている望みを、神にあって抱いている」(15)のだと。これは、テルトロだけでなく、この法廷で聞いている人たちと、ルカを通してもっともっと広い地域の、時間と空間を超えた、現代の私たちにまで語りかけて来るメッセージです。サンヒドリンで「死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれている」と言ったのは、ただただ議会の混乱を願ってのことでしたが、根底には、イエスさまのよみがえりがあったのです。議会でのそれは、福音宣教とは呼べない提題でしたが、このカイザリヤ法廷では、テルトロという聞き手が耳を澄ませています。間違いなく、パウロは福音の証人であろうとしているのです。

 パウロは無罪を主張しました。しかし、釈放されるとユダヤから安全に脱出することはできない。後半の17-21節は、恐らく、そのための弁明です。これも詳細に見るなら、パウロの無罪が明らかになるのですが、そこまで踏み込まなくてもと、パウロは裁判の手続きを提案します。総督はその提案を妥当とし、「千人隊長が下って来るまで」と、裁判の延期を決めました。ことは、主のご計画通りに進行し始めました。テルトロの反応は分かりません。まるで現代人の反応のように。しかし、それでも私たちは、知恵を尽くして、よみがえりの主の福音を語り続けるべきではないでしょうか。


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