使徒行伝

71 パウロへのエールが
使徒 24:1−9
エレミヤ 23:23−24
T 弁護士テルトゥルス 

 5日の後、大祭司アナニヤは、数人の長老およびテルトロという弁護士といっしょに下って来て、パウロを総督に訴えました(1)。弁護士を伴った大祭司たちの到着が5日後だったと、ルカが冒頭にそんな細かなことまで書き留めたのは、恐らく、彼らがこの裁判をそれほど重要視していたと見たからでしょう。彼らは、サンヒドリン議会を招集し、パウロ有罪の判決を下すはずでした。それは、千人隊長の開催要望を受けてのものでしたが、パウロを裁くのは我々であるという、彼らの強い意志で開催した大法廷でした。それなのに、大法廷はパウロの作戦にはまって混乱し、有罪判決することもできないままローマ側にパウロを奪い取られ、果てはカイザリヤに舞台が移ってしまうなど、一歩も二歩も後退してしまったのです。ですから、今度こそパウロ有罪を勝ち取らなければならないと、彼らは弁護士を探し、カイザリヤに急いで来ました。法廷はギリシャ語で行われたのでしょう。ギリシャ語とラテン語に堪能な、恐らく、ギリシャ人の弁護士テルトロ(テルトゥルス)を伴って来たのは、その意識のためでした。少なくともテルトロは、大祭司たちのそんな意識を理解していましたから、ユダヤ事情にも通じていたと思われます。ここだけに用いられる「弁護士」ということばには、「雄弁家」という意味があるそうですから、ギリシャの詭弁家として知られる、ソフィストの一人だったのかも知れません。彼は非常に有能な人だったようです。彼の述べた告訴状を見てみましょう。

 彼は、ここがローマの法廷であることを考慮したのか、ユダヤ人社会に平和と改革をもたらしたと、まず総督に対する謝辞から始めます。権力者への謝辞から始めるのは、当時の演説の慣例です。平和と改革(秩序或いは配慮)は、ペリクスの暴動に対する厳しい対処を指しているようですが、もしかしたら、タキトゥスの書にある「ローマ人は荒廃の状態をつくり出して、それを平和と呼ぶ」という、ローマに対する地方の怨嗟の声を知っていて、それを皮肉ったのかも知れないと考える注解者がいます。ただし、これが皮肉だとすれば、彼は、ペリクスも大祭司たちも誰一人この皮肉に気づかない愚か者だと、馬鹿にしていたのでしょう。ペリクスはたしかにそんな総督でした。但し、パウロは(ルカも)テルトロのそれを見抜いており、テルトロもまたパウロのそんな視線を充分感じていたようです。彼は、この度を過ぎた丁重さが目立つ冒頭の部分に、演説の半分ほども費やしています。これは聞いていたパウロの記憶を資料にしているのでしょうが、当時の慣例とはいえ、彼はペリクスの好印象を得ようとしたのでしょうか。いやむしろ、ユダヤ貴族社会と新しいユダヤ教一派との対決を、おもしろがって揶揄しているように見えます。噂に聞いていたパウロに会って見たかったのでしょうか。


U 世界中に……

 それより、見なければならないのは、告訴状の中身です。「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人一派の首領でございます。この男は宮さえもけがそうとしましたので、私たちは彼を捕まえました」(5-6) ペストは当時しばしば流行していた恐ろしい疫病ですから、これはテルトロ自身のことばでしょう。もっとも、ペストを指す「ロイモス」ということばは、新約聖書中、こことルカの福音書21:11の2箇所だけですから、このことばを選んだのは、ルカだったのかも知れません。疫病のように世界中に広がっていると言い切っていますが、この場合の世界中にとは、「世界中のユダヤ人の間に」ということですから、疫病のごとき「悪い教え」は、あくまでもユダヤ人にとってという、限定された意味で聞かなければなりません。

 ところがこの「世界」には、文中からペストとユダヤ人を省いた、もう一つの意味が込められているようです。テルトロ自身にそんな意図があり、ルカが、そしてパウロも、そう理解したと思われますが、その「世界」には、ローマ帝国の広がりに重ね合わせた、イエスさまの使信を中心とする「世界」がひそかにイメージされているようです。ここには、そんな意味を含ませたことばが用いられています。

 当時、大半のキリスト者たちでさえ、パレスチナのユダヤ人内部の世界しか意識になかった段階で、パウロの世界伝道は始まっていました。その働きはまだ、アンテオケ教会など一部の人たちしか知りません。ところが、テルトロのパウロに対する評価は、ユダヤやサマリヤなどというパレスチナの一地方を飛び出し、いい意味でか悪い意味でかは別にして、「世界中に騒ぎを巻き起こしている存在」と、その世界史的な重要性を指摘しているのです。この「パウロが世界中で……」というくだりは、大祭司側の主張によると思われますが、彼らの意識は、騒ぎの発端がたまたまエペソから来たユダヤ人の告発にあったというだけで、それが世界的展望を指しているなど、分かっていなかったでしょう。ここにテルトロが用いた「騒ぎ」ということばは、新約聖書中に用いられる5つの「騒ぎ」の4つまでが文字通りの「騒ぎ」なのに対し、「しっかりと立ち続ける」状態を指す、原意から来ているものを用いていますから、これは「暴動」に類する騒ぎではなく、世界の知識人たちに論争を巻き起こしている、という意味で聞かなければなりません。この「世界史的な重要性を持つ」という認識は、恐らく、テルトロ自身のものと思われます。これほどの本音を隠しながら、ユダヤ人側の弁護士として堂々と告訴状を読み上げたテルトロは、イエスさまの福音の本質にまでは到達していなかったと思われますが、キリスト教というものに対する、相当な好意を感じさせてくれます。

 これは世界帝国であるローマ法廷での告訴でしたから、「世界中に」という表現が極めて有効であることを考慮しても、今、広がりつつあるキリスト教会の力を、彼がかなり正しく認識していたと驚かされます。いやルカが、テルトロのその認識に驚いたのではないかと思うほどです。

 当時の知識人の、非常に早い段階でのキリスト教評価が見えて来るようで、興味を惹かれます。
 もしかしたら彼は、小アジヤ辺りでキリスト教に接していたのでしょうか。


V パウロへのエールが

 パウロをナザレ人一派の首領とする認識は、教会側が意識していなかったにもかかわらず、的を射た指摘でした。彼の演説もここまで来ますと、雇い主に依頼された告発という、「仕事」もしなければなりません。ナザレ人一派とは、大祭司側がイエスさまを意識して用いたことばで、以前からそんな言い方があったようです。それをそのまま用いたのは、テルトロがイエスさまのことをほとんど知らなかったからでしょう。しかしパウロは、首領であるかどうかはともかく、ナザレ人一派という指摘を受け入れました。しかも、テルトロの言い方を訂正してです。「私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを承認いたします」(14)パウロはテルトロに、もっと「異端と呼ばれているこの道」のことを調べるように、暗黙のうちにサインを送ったのではないでしょうか。恐らく、テルトロが密かに示したキリスト教に対する好意への敬意も込めて。法廷という席での両者の暗黙のこの会話、聞き応えがあります。

 「この男は宮さえもけがそうとしましたので、私たちは彼を捕らえました。閣下ご自身で、これらすべてのことについて彼をお調べくださいますなら、私たちが彼を訴えております事がらを、おわかりになっていただけるはずです」(6-8) 7節が抜けていますが、これは別の写本に「律法にしたがって裁くことに決めました。ところが千人隊長ルシヤが干渉して、大部隊を招集して彼を私たちの手から引き離してしまい、彼の告訴人たちには、閣下のところに出頭するようにと命じました」とあり、原典にあったこの部分が、何らかの事情で消失したのではと考えられています。テルトロは言いたいことをここまで言って、本来の自分の仕事に戻ったのでしょう。この程度の告発に対処できないようならたいしたことはないぞと、テルトロの声が聞こえて来るようです。この演説で彼は、ユダヤ人側には何の興味も示さず(ユダヤ人側も、彼の真意に全く気づいていない)、ひたすらパウロに語りかけています。恐らく、パウロもルカもそれに気づき、異邦人世界にイエスさまの福音への関心がこれほどまで広がっていると、これを主の励ましと聞いたのではないでしょうか。ここもまた主の励まし「勇気をだしなさい」(23:11)に続くのだと、ルカのメッセージが聞こえて来るようです。


使徒 21:15−26