使徒行伝

68 ローマでも
使徒 23:1−11
エゼキエル 13:10-16
T 虚偽に満ちる中で

 「パウロは議会を見つめて、こう言った。『兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました』」(1)議会に立たされたパウロは、議員たちの前で弁明を始めます。のっけからの弁明ですが、釈明を求められたわけでもないのにと、これを奇妙と受け取る注解者もいるようです。しかしこれは、議会の審理模様の、途中からの描写なのでしょう。証人喚問など、ごちゃごちゃした審議入りの手続きなど、一切省いています。アントニウス城前でのパウロの演説がいきなり始まったように、ここでもルカは、パウロの言動から始めようとしています。もっとも、発言を許可したのは、議長・大祭司ではなく、総督代理・千人隊長ではなかったかという疑問は残ります。ともあれ、このパウロの演説は、弁明という性格を色濃く持っています。自分は律法遵守者であるという、パウロはその正当性を主張しました。これはサンヒドリン議会でのパウロ審理の演説ですから、ルカも、パウロの正当性という、その一点に的を絞ったのでしょう。すると、大祭司の発言も頷けます。「すると大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた」(2)彼は、パウロが発言したことにではなく、その内容にいらだったのです。つまり、大祭司は、議長という中立であるべき立場を無視して、パウロ有罪を意図していたと見ていいでしょう。「今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来た」というパウロの発言は、これとは全く違った大祭司アナニヤの生き方を映し出しています。アナニヤは、AD47年に大祭司の職に就き、11、12年間在職しました。「古代史」でヨセフスは、祭司に渡すべき十分の一税を彼が着服した次第を記しているそうですが、彼は、強欲と貪りの象徴的人物として知られていたようです。ユダヤ人とサマリヤ人の流血事件に関与した疑いでローマに護送され、アグリッパの弁護によって大祭司職に復職したと伝えられています。歴史家ヨセフスは、自分の利益のためには暴力も暗殺も平気で行なったと、彼に厳しい目を向けています。

 かつて迫害者だったパウロは、大祭司からキリスト者捕縛の認可状をもらってダマスコまで行ったほどですから、アナニヤはその時大祭司ではありませんでしたが、彼がどのような人物であるか、知らないわけがありません。知っていたからこそ、このような挑発的弁明を始めたのかも知れません。


U 断固とした戦いを

 それにしても、サンヒドリン議会の大法廷という場で、よくもまあ、思い切ってこのように大祭司を罵倒したものとあきれます。「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。あなたは律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか」(3)「白く塗った壁」とは、エゼキエル13:10-16に言われているものですが、倒れかかっているのに、しっくいを厚く塗って、その危険が隠蔽されている状態を言っています。アナニヤは、まさにそんな大祭司でした。パウロの思いの中に、レビ記のことばが浮かんでいたのかも知れません。「不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しくさばかなければならない」(19:15)

 AD66年の反ローマ戦争のとき、アナニヤは水道に隠れていたところを引き出され、反乱軍によって殺されたと言われています。パウロの殉教は67年ですから、その存命中に、ある意味、預言とも聞くことのできる、このことばが成就したことになります。ルカはそれを確認したのではないでしょうか。ともあれ、今は議会でパウロ審議の真っ最中です。アナニヤが権威に依存しているように、その取り巻き連中も大祭司の権威を振りかざし、「おまえは神の大祭司をののしるのか」(4)と言いました。パウロは謝ります。「兄弟たちよ。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない』と書いてあります」(5)出エジプト記にはこうあります。「神をのろってはならない。また、民の上に立つ者をのろってはならない」(22:28)民の上に立つ者は神さまの器である、というのがここの本意ですが、パウロはアナニヤに、これを適用しました。この議会でのパウロのスタンス、作戦が浮かび上がって来るようです。彼はあくまでも弁明に終始しようとしています。彼らに自分を有罪とする口実を与えてはならない。律法に忠実な者で押し通さなければならない。パウロの作戦として、これはいかにも奇妙に感じられますが、この議会に立つことを企てたのは、千人隊長であって、パウロではありません。パウロの弁明を引き出したのは、彼なのです。恐らく、パウロに発言を許可したのも、千人隊長だったのでしょう。その彼のふところに入ることが、パウロの作戦ではなかったかと推測されます。この議会で無罪を勝ち取ることは、考えていなかったようです。

 ここで無罪判決を勝ち取っても、ユダヤ人の憎しみは消えず、むしろ彼らのむちゃくちゃな告発は、さらに面倒を引き起こすばかりでしょう。それより、ただただ、有罪判決を回避できればよかったのです。アナニヤを大祭司であると知りながら挑発したり、皮肉たっぷりに翻弄したり、もともとの意味を曲解してまで、モーセのことばを引用しながら、巧みに自分の正当性を認めさせようとしています。それも、この議会の主導権を断じて彼らに譲ってはならないとする、パウロの決意ではなかったでしょうか。そこまで馬鹿にされても反論することができないほど、アナニヤの律法知識には底が見えています。恐らく、列席する律法学者や長老たちも、同様だったのでしょう。


V ローマでも

 この議会でパウロが述べた、もうひとつのことがあります。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです」(6)ここから議会は、たいへんな混乱となります。21:27から始まるこの騒動で、このことは一度も争点に上ったことがありません。それなのにパウロは、議会の紛糾(7-9)を狙うかのように、死者の復活を持ち出したのです。こんなパウロを批判する現代神学者が多数います。曰く、「これは使徒にはふさわしくない策略」(グスタフ・シュテーリン)「敵の内部に分裂を作り出すようなことはパウロにふさわしくなかった」(F.Wファラ−) こんな批判に対し、そうではないとする意見もあります。パウロが復活を持ち出したのは、福音の証言であり、これは立派な伝道説教であったと。しかし、本当にそうでしょうか。パウロはここで、それをイエスさまの復活のことであるとは、ひとことも言っていません。22章の演説で、パウロと会話している「主」は、「ナザレのイエス」(8)でした。パウロはよみがえりのイエスさまを隠そうとはしていません。そのパウロが、イエスさまを念頭に置いていたとしても、何の脈絡もなく、イエスさまについてひとことも言及することなく、復活を持ち出しています。奇妙と言わざるを得ません。ルカの証言も、「パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であることを見て、こう叫んだ」(6)とあり、死者の復活や御使いや霊の存在を認めるパリサイ人と、そういったものを全く信じないサドカイ人との間に、意見の衝突が起こり、議会が紛糾したとつなげています(7-9)。これは伝道説教ではない、と考えたほうがいいのではないでしょうか。

 一方、パウロは主の証人としてふさわしくない、との批判があります。その一方で、伝道説教をしているとする見解があります。ルカはそれをどう受け止めながら、この記事を残したのでしょうか。それこそ、聞かなければならないことだと思うのです。今朝のテキストには含めませんでしたが、12-15節には、暴動を起こしたユダヤ人たちが、議員たちと手を結ぶ光景が暴露されています。証人はパウロの甥でした。そんな動きを前提にしてルカは、ここでパウロが徹底的に議会を翻弄した、彼のその闘い方が適切であったとしているのです。パウロもルカも、ここで見つめなければならないのは、「ローマでもあかしをしなければなりません」(11)と言われた、主のご計画であるとしています。この「あかし」とは、全身全霊を込めたパウロの在り方でした。千人隊長が兵士たちを乱入させてまで、パウロの身柄を保護し拘束した(10)のは、主のご介入によるものでした。1-9節までのパウロは一貫して、自分を有罪とさせない方針を貫いています。それは主のご介入による、彼の闘い方であったと聞かなければならないでしょう。


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