使徒行伝

65 戦うべきものは
使徒 21:37−22:5
イザヤ  41:10−13
T ローマの正義の中で

 ローマの警備隊が駆けつけ、ユダヤの暴徒たちに殺されかけたパウロを、間一髪で拘束しました。救い出したのではなく、暴動の主原因をパウロと判断し、ローマ法による裁判で罪状を問おうとしたのです。それが統治者・ローマの正義でした。

 その裁判をアントニウス城内で行なおうと、パウロの両手を二重の鎖でつなぎ、兵営・アントニウス城に連行します。アントニウス城は神殿外庭の北の一画にあり、二つの階段で結ばれていたそうですが、暴徒たちがパウロ奪還に夢中になっている中で、警備隊は、その階段を上る時、パウロを担がなければなりませんでした。その時、総督ペリクスは常駐するカイザリヤにいましたから、千人隊長がその任を代行をしています。暴動を押さえなければ、総督代行の任ばかりか、警備隊隊長の職からも更迭されかねません。

 兵営の入り口に来たとき、パウロは、千人隊長に尋ねました。「一言お話してもよいでしょうか」無頼の輩とばかり思っていた囚人が、ギリシャ語で話しかけてきたのです。この千人隊長は、エルサレム駐留の、1000人の補助軍隊でしたが、その警備隊を統括する司令官です。恐らく、地方出身でしょう。当時、世界共通語のギリシャ語が、彼の日常語になっています。その彼が、パウロが話す流暢なギリシャ語を聞いて、この囚人に対する印象をいっぺんに変えました。「あなたはギリシャ語を知っているのか。するとあなたは、以前暴動を起こして、四千人の刺客を荒野に引き連れて逃げた、あのエジプト人ではないのか(ないのだな)」(37-38) 彼は、エルサレムに勤務するようになって、過去のいろいろな報告書に目を通し、記憶にあったのでしょう。史実(ユダヤ戦記・ヨセフス)によると、3年ほど前、荒野からやって来たエジプト人がいました。彼は3万人の追従者を連れてオリーブ山に登り、そこからエルサレムに押し入ろうとしたのですが、ローマ軍に敗れ、壊滅しました。また史実は、ユダヤ人反乱者の多くがシリカ党員(刺客)であったろうとして、バラバやイエスさまと共に十字架につけられた二人の強盗も、そこに属していただろうと推測しています。千人隊長は過去の報告書から、パウロをそのエジプト人と思っていたようですが、史実とは違っていますので、その記憶は正確ではなかったと言えるでしょう。司令官ともあろう者が、いくつかの事件を混同していると、ルカの皮肉が聞こえて来るようです。しかし、ともあれ彼は、この男は犯罪者ではないかもしれないと、パウロに対する認識を一変させました。


U 兄弟たち、父たちよ

 パウロは答えました。「私はキリキヤのタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です。お願いです。この人々に話をさせてください」(39) キリキヤのタルソは東のアテネと呼ばれ、学都として知られていましたから、千人隊長はパウロに対する興味をいっそう深め、演説を許可しました。両手の拘束も解かれ、群衆が上がって来ないよう厳重に警護された階段の上に立って、パウロは民衆に向かって手を振りました。すると、あれほど騒いでいた群衆が静かになりました。

 パウロはヘブル語で話し始めました。「兄弟たち、父たちよ。いま私が皆さんにしようとする弁明を聞いてください」(1)彼がヘブル語で話し始めたからでしょうか、暴徒たちはますます静粛になりました。ヘブル語とありますが、恐らく、パレスチナとその近隣地域で使われていたアラム語です。口語ヘブル語も一部で使われていましたが、それではないようです。パウロがアラム語で話したとしても、彼をユダヤ人と承知していた人たちには不思議ないのですが、もしかしたら、詳しい事情も分からず暴徒に加わった人たちは、パウロを小アジヤから来た異邦人と見ていたのかも知れません。すると、パウロが神殿に入ったという誤報(28参照)でいきり立ったことも、頷けます。彼は親しみを込めて、「兄弟たち」と呼びかけました。これは当時、ユダヤ人の普通の呼びかけでしたから、「自分は皆さんと同じユダヤ人なのです」というアッピールだったのでしょう。これを聞いた人たちが、アラム語で話しかけられ、「兄弟たち」と呼びかけられたことに、演説を前に、予想外に静かになったのも当然かも知れません。彼は、自分たちと先祖をともにする同胞なのか? もしかしたら、自分たちはとんでもないことをしているのではないか……と。

 「兄弟たち」、パウロはそのあとに、普通めったに使われない「父たち」を加えます。自分がユダヤ人同胞であることを強調したのでしょうか。それはステパノの演説(7:2)でも使われていますが、そこには父祖アブラハムから始まるイスラエルの歴史が語られていますから、親しみというより尊敬を込めた呼びかけのようです。パウロの場合もそうでした。群衆の中に、年配の長老や祭司など、サンヒドリンの議員たちが混じっているのを目にとめてのことと思われます。
 兄弟たち、父たちよ。どうか私の弁明を聞いて頂きたい。


V 戦うべきものは

 「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。このことは大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取りダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処刑するためでした」(3-5) パウロの弁明は、演説冒頭のこの二つに尽きます。第一に彼は、ガマリエルの弟子であったことを明らかにしました。ガマリエルは、ラビよりさらに優れた教師に贈られる、ラバンという尊称で呼ばれた、当時もっとも有名な穏健派教師(5:34)です。タルムードによれば、「長老ラバン・ガマリエルが死んで以来、もはや律法に対する畏敬と純潔や節制は失せてしまって、ない」とまで言われた人です。パウロはそのガマリエルに師事し、厳格な律法教育を受けていたと言い添えます。それは彼の、終生の誇りではなかったかと思われます。彼の弟子であることは、ユダヤ社会において非常に高い評価につながっていましたから、それだけで十分な弁明になったことでしょう。「私は律法を大切にして来た者である。その私が、この聖なる場所で間違いを犯すはずはないではないか」と。

 そして二つ目は、彼が「この道(キリスト教)の迫害者だった」と明かしたことです。群衆の中に、古馴染みの顔を見ながら……。それがこのような演説の切り出しになったのでしょう。迫害者としてパウロが最も重んじたのが、律法です。律法を大切にしようとしたから、迫害者になった。恐らくこれは、群衆にとっては理解出来ず、何も通じなかった弁明と思われますが、少なくとも律法学者が混じるサンヒドリンの議員たちには、納得できることです。彼らの範疇においてこれは、パウロの十分な弁明でした。

 彼を殺そうとする暴徒たちの中に、律法学者が混じるサンヒドリンの議員たちが……? 責任上、神殿域での騒ぎが気にかかった。恐らく、暴徒の渦に加わってはいなかったと思われます。ところが、時間の経過とともに、暴動の原因となった男がキリスト教徒と分かって来ました。最初、それがパウロとは気づかなかったと思いますが、聞いているうち次第に、その顔を思い出しました。「そうだ、この男だった!」10何年も前のことで、議員の顔ぶれも変わっていましたが、古株がパウロの顔を忘れるはずがありません。暴動制止という、彼らの思いが変化していきます。彼らは、イエスさまを追いかけ回し、十字架にかけた者たちです。イエスさまにこの男をダブらせたとしても、おかしくはありません。そんな彼らの姿は、群衆の陰に隠れ、表だっては見えて来ませんが、この国で「主の福音」を野放しにはさせないぞ!との、どす黒い思いが伝わって来るではありませんか。

 そこに、敵意を隠しながらパウロを排除しようとする、強烈な意思がある。パウロの戦うべき相手が、いよいよはっきりしてきました。ローマの正義と司令官の好意を、ここでも主が用いられたのでしょう。弁明だけではないパウロのメッセージが生まれます。6節から続く演説は、パウロが願った福音の証言です。福音は断じて律法ではない、十字架とよみがえりのイエスさまなのです。この福音を押しのけようとする者、それこそ断固戦わなければならない相手なのです。現代においても!