使徒行伝

64 主の守りの中で
使徒 21:27−36
詩篇   28:1−9
T 激しい敵意の中で

 「ところが、その七日がほとんど終わろうとしていたころ、アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、全群衆をあおりたて、彼に手をかけて……」(27)事件の発端です。

 「アジヤから来たユダヤ人たち」とは、恐らく、ヤコブにパウロのことを知らせた人たちであろうと思われます。29節に出て来るトロピモは、パウロの同行者(20:4)です。エペソ人とありますから、エペソ教会から献金を持って来たのでしょう。このユダヤ人たちは、パウロもトロピモも見知っていましたから、少なくともエペソ教会と関わりがあった人たちと思われます。さらに言うなら、パウロがマケドニヤやギリシャ地方を巡っている間にエペソ教会に入り込んで来たユダヤ人、つまり、会堂から送られた「凶暴な狼」と見て差し支えないでしょう。ルカはそんな含みをもって書いているようです。

 彼らは叫びました。「イスラエルの人々。手を貸してください。この男はこの民と律法とこの場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です。そのうえ、ギリシャ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています」(28)神殿の外庭です。彼らはなぜ、こんなにまでパウロを非難したのか。一つには、パウロがトロピモを宮に連れ込んだと誤解した(29・実はトロピモはその場にいなかった)ことがあげられますが、それは彼らのパウロに対する敵意から生じたもので、その敵意はエペソからずっと続いていました。そんな彼らが、ヤコブの好意を受け、ホームグランドではないエルサレムで、その敵意を存分に発揮することが出来たと想像します。彼らはパウロを告発しました。エペソのユダヤ人たちが最初(18:20)と二回目(19:8)の出会いではパウロに好意的だったのに、それが敵意に変わったのは、コリントなど、マケドニヤからのユダヤ人がエペソに来て、彼らに敵意を植え付けたからではないかと思われます。彼らが言う「至るところで……」は、その辺りの事情を物語っているようです。パウロは、異邦人信仰者への割礼には反対しましたが、律法を守ることにおいては、かつてのパリサイ人らしく真剣でした。だからこそ、ヤコブの提案を受け入れたのです。神殿に敬意を払うことも、並のユダヤ人以上だったでしょう。すると、告発の動機として、彼らの敵意だけが残ります。

 しかし、彼らの叫びに呼応する声が拡がっていきます。「そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外に引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた」(30)そのころ、イスラエルの国内事情は非常に悪化していて、何かというと暴動が起きていたようです。民衆の不満のはけ口が、たまたまこの騒動でパウロに向かったと見ていいでしょう。それ以外の理由はありません。サンヒドリン議会所属の神殿警察長官の命令によって、内庭から外庭に通じる宮の門が閉じられたのは、暴徒に荒らされることを恐れたからでしょう。迅速に行われたのは、度々そんなことがあったためと思われます。


U ローマ軍の介入で

 彼らは、パウロを神殿域から引きずり出しました。発端は内庭(婦人の庭より更に内側)だったようですが、騒動は神殿域外の外庭に移っていきます。神殿域を血で汚すまいという意識が働いたためと思われます。こんな状況下でよくもそんな意識が……と思いますが、もしかしたら、神殿警察長官の力が働いたのかも知れません。人々、少なくともエペソから来たユダヤ人たちは、パウロを殺害しようと極めて強い意志を持っていました。異邦人が神殿に入ることは死罪に当たるとして。内庭に通じる一角に、「非ユダヤ人は、神殿のまわりに造られた柵とテラスの内部に入ってはならない。ここで逮捕される者は、その結末についての責任、すなわち死罪を自ら負うことになる」という規定が掲げられていたそうです。この時の異邦人とは、エペソから来たトロピモです。しかし、彼らが打ち殺そうとしているのは、トロピモではなく、彼を引き込んだであろうと推測されるパウロです。彼らの意識は、ただただパウロに向けられ、初めから徹底的にパウロを狙っていたのです。それほど彼らは、アジヤでのパウロの活躍に激しいねたみを持ち、敵意を膨らませていました。ですから、パウロの行く先々に通達を送り、パウロの集会に乗り込んでは、迫害を繰り返していたのです。そのパウロがエルサレムに行くと聞きました。彼らがエペソ教会に出入りしていたとすれば、パウロから使者が来て、長老たちがパウロに会いにミレトまで行った、そんな情報をキャッチすることは容易だったでしょう。トロピモが一行に加わったことも知っていて、彼らがエルサレムに来たのは、決して偶然ではありません。もしかしたら、神殿から出て来たパウロを見つけたことも、どこかから情報があって、待ち受けていたのかも知れないと邪推してしまいます。その情報は、どこから出たのでしょうか。

 「彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた」(31-32) 千人隊長とは、通常は約6000人のローマ軍団長ですが、エルサレムには、神殿北側のアントニウス城塞に1000人ほどの守備隊(補助軍隊)が常駐していましたが、彼はその司令官でした。その中から2~3個の中隊、恐らく200人くらいの兵士を連れて現場に駆けつけたと思われます。


V 主の守りの中で

 新約聖書中、千人隊長のことはヨハネ福音書と黙示録に一回づつ出て来るだけで、あとはすべてこの箇所の同じ人物として描かれています。それはルカが、この事態をローマが重く見ると判断したためと思われます。この時、総督はカイザリヤにいましたから、エルサレムの全責任は、この千人隊長にかかっていました。恐らく、この時期(五旬節)、エルサレムに非常事態が起きると予測されており、実際、その通りに暴動と混乱が起き、彼は司令官として出動したのでしょう。

 駆けつけて来た兵士たちを見て、暴徒たちはパウロを打つことをやめました。ローマの兵士たちは、戦争の最中でも、一目でそれと分かる服装をしています。同士討ちを避けるためです。また、ローマ軍だと分からせることで、敵の戦意を喪失させる意図もありましたから、この時、戦闘用より軽装だったとは思いますが、槍の穂先を高く掲げ、隊列を組んで駆けつけたのでしょう。もちろん、暴動を制止する明確な意図と意思を示しながら……。暴徒たちはその意思に気づき、ひるみました。軍の到着が遅ければ、恐らくパウロは打ち殺されていたでしょう。それほど彼らは殺気立っていました。人数から言っても、守備兵より断然、暴徒たちの方が多いのです。

 「千人隊長は近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。しかし、群衆がめいめい勝手なことを叫び続けたので、その騒がしさのために確かなことがわからなかった。そこで千人隊長は、パウロを兵営に連れて行くように命じた。パウロが階段にさしかかったときには、群衆の暴行を避けるために、兵士たちが彼をかつぎ上げなければならなかった。大ぜいの群衆が『彼を除け』と叫びながら、ついて来たからである」(33-36)

 隊長はパウロを逮捕しました。暴行を加えている者たちではなく、被害者を逮捕したのです。現代感覚からすると奇妙な感じが否めませんが、暴動の原因になった人物ということで、彼はパウロを危険人物と見なしたのでしょう。すぐに二重の鎖でパウロを拘束しました。彼を逮捕したと、暴徒たちに分からせるためです。ローマ軍を見て暴徒たちはいったん静まりましたが、それも束の間、彼らはまた騒ぎ出しました。隊長はパウロの素性を尋ねますが、暴徒たちがめいめい勝手なことを叫びつづけ、全く聞き取れません。パウロ自身に尋ねなかったのは、身なりは整っていますが、パウロを犯罪者と見ていたからでしょう。しかし、ローマ法に基づいて裁かなければならないのです。ですから彼は、取り戻そうといきり立つ群衆からパウロを守り、兵営に連行しようと担ぎ上げてまで、暴徒の手が及ばないよう気を遣いました。それはローマの正義によるものでしたが、その背後にあってパウロを守ったのは、ここでもやはり主ご自身ではなかったでしょうか。