使徒行伝

63 向かうべき方向は
使徒 21:15−26
ホセア   6:4−6
T ヤコブ派の長老たち

 パウロたち一行は、第三回伝道旅行を終え、エルサレムに帰って来ました。今回、母教会アンテオケには立ち寄っていません。何事もなければ、エルサレムからそこへ戻るつもりだったと思われますが、恐らくそうはならない、とパウロは覚悟しています。ともあれ、ルカは「こうして数日たつと、私たちは旅支度をしてエルサレムに上った。カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである」(15-16)と、エルサレムへの道筋をたどります。後半16節は、前回ルカが中心主題として掲げた、「交わり」に付随するものでしょう。しかしこれは、次の主題「エルサレムでの苦難」にも関わります。キプロス人マナソンは、ピリポたちと同じ初期教会ヘレニストのキリスト者の一人で、恐らく、エルサレムで「兄弟たちは喜んで私たちを迎えてくれた」(17)とある人たちと思われます。彼らは同じギリシャ語を話していましたから、緊張のエルサレムで、大きな慰めになったことでしょう。きっと、カイザリヤの兄弟たち(ピリポを中心に)は、その意味でパウロに同行たのでしょう。

 エルサレムでの活動が始まります。「次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだした」(18-19)第三回伝道旅行の報告です。「私たちを連れて行った」のは、一行にアジヤ諸教会の人たちもおり、彼らは集められた献金を届ける役目を担っていたからです。訪問したのは、ヤコブの家、或いはヤコブ派が集まる家だったと思われます。イエスさまの弟ヤコブは、教会の長老で、第一回伝道旅行後に起こった割礼をめぐる騒動で、エルサレム教会会議で使徒通達の素案(15:13-21)を提出したことから、以後、他の長老たちを傘下に従え、教会の独裁者になっています。その使徒通達自体かなりユダヤ主義寄りでしたが、今では、エルサレム教会は、もはや律法主義教会と言っていいほど、極右化しているようです。そのヤコブのところで、指導者会議が開かれました。エルサレム教会の役員会とでも言っていい会議です。

 パウロはそこに招かれたのでしょう。パウロは、5年に及ぶ長い働きの報告を詳しく(新共同訳)話し始めました。それなのにルカは、パウロの報告には全くスペースを費やしていません。恐らくパウロも、ユダヤ人たちの執拗な迫害には触れなかったでしょう。長老たちはこの報告を、忍耐しながら聞いていたのでしょうか。彼らの「神さまをほめたたえ」は、儀礼的とさえ感じられます。パウロの報告が終わるのを待って、彼ら(ヤコブ)は口を開きました。


U 戦いが今……

 しかし、パウロの宣教報告を一言も記録しなかったルカが、ヤコブの話しは念入りに紹介しています。その場にいて、それを聞いた者の証言として……。「兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。それでどうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳にはいるでしょう。ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に、誓願を立てている者が四人います。この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。信仰にはいった異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました」(20-25)

 ここには、パウロの報告を聞いた者としての、ねぎらいや感謝のことばなど何一つなく、ただ、アジヤから来たユダヤ人たちの報告(17)に基づいた、パウロへの勧告ばかりです。彼は、パウロ到着前に、反対者たちから報告を受けていたのでしょう。アジヤから来たユダヤ人とは、ユダヤ人会堂に属する人たちのことです。主の教会と無関係な者たちが、ヤコブのところに来てパウロを訴えました。ヤコブはそれを当然のこととして聞き、パウロを異端とする人たちに同意しています。おかしなことです。もしかしたら、アジヤの諸教会には会堂から送り込まれた人たちが大勢いて、キリスト者を名乗っていたのかも知れません。パウロが去った後、エペソ教会にそのような人たちが入り込んで、密かに教会の人たちを惑わし始めていたであろうと以前、触れました。そんな人たちが先回りしていたのでしょうか。しかし、たとえ彼らから情報を得ていたとしても、もしヤコブがここでパウロの報告を正確に聞いていたなら、こんな一方的な、パウロを非難するような勧告にはならなかったのではないか。ミレトでエペソ教会の長老たちに、「凶暴な狼がはいって来て群れを荒らし回る」(20:28)と言ったことが、今、パウロの目の前で起こり始めています。戦いが始まったのです。


V 向かうべき方向は

 ヤコブが自分の立ち位置を正当化しているのは、エルサレム教会の人たちの信任を得ているからでしょう。彼はその数を「幾万」と言っています。この数は、エルサレム教会だけでなく、恐らく、彼の耳に届いている近隣諸教会の報告に基づいているのでしょうが、誇張があるとしても、ちょっと多すぎます。しかし、エルサレム教会と親しくしている近隣のシナゴグの人たちを組み入れるなら、それくらいの数にはなると思われます。彼は、数を誇張したのではなく、主の教会をユダヤ教会堂に近づけたのです。エルサレム教会が、世界に向けて目覚ましく拡大していく福音宣教の時流から取り残され、その名が消えていったのは、ヤコブのこの姿勢と無関係ではないでしょう。ヤコブは勘違いしているのです。イエスさまの福音は、ユダヤ人の律法主義信仰の延長ではないのに……。

 しかし、イエスさまの福音に立つべき教会が、その方向に動き始めています。これは、エルサレム教会だけでなく、世界各地に立てられた教会全体の方向です。エペソ教会にユダヤ人会堂の人たちが入り込んで来たという、そんな事態は、恐らく、建てられつつある海外の教会全体の問題ではなかったかと思われます。凶暴な狼が群れを荒らし始めるというパウロの危惧が、ここエルサレムで、ヤコブの話を聞きながら、本当になりました。ルカもパウロとともに、ヤコブの話を聞いていた一人でした。ですからルカは、パウロの宣教報告を省きながら、ヤコブの話をそのまま記録したのです。なんとか、その流れを阻止しなければならない。ルカの意識が、危機感とともに伝わって来るではありませんか。

 教会が誕生してまだ20数年、ルカがこの第二文書を執筆している時が30年くらいです。教会はまだ、ユダヤ教の新しい一派としか見られていませんでした。しかし、敏感なユダヤ人たちは、教会は彼らとは別のものであると察知し、目の敵にしています。しかも、今、パウロの働きもあって、特に海外で教会が著しく拡大しつつある。福音に敵対する者たちが一層激しく燃え上がったとしても、何ら不思議ありません。そこにルカは、恐らくパウロも、イエスさまに敵対したサタンの力を感じたのでしょう。これは戦いである。だからルカは、ヤコブの話を丁寧に記録しました。恐らく、ヤコブ自身は、そんな力をつゆほども感じてはいなかったでしょう。しかし、だからこそ、サタンは与しやすかったのではないか。神さまに誓願を立てている人たちが、神殿で頭髪を剃る。これは第二回伝道旅行の終わりに、パウロもしたことです。福音とは関係ないことでしたが、無用な摩擦を避けようとしてか、パウロはユダヤ人の風習を踏襲しました。今回もパウロは、ヤコブの申し入れを受け入れました。誓願を立てた四人分の剃髪費用を負担する、という提案です。「そこで、パウロはその人たちを引き連れ、翌日、ともに身を清めて宮にはいり、清めの期間が終わって、ひとりひとりのために、供え物をささげる日時を告げた」(26)とあります。きっと、サタンの攻撃とは別に、ユダヤ人たちが福音と出会うために、パウロ最大の譲歩だったのでしょう。自分も神殿に入って誓願を立てた四人の面倒を見るという、ヤコブに同意した以上の、細やかな配慮が見られます。これが彼の戦い方でした。ルカもそれに同意しています。戦闘が今、静かに幕を開けました。


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