使徒行伝

62 交わりの構築を
使徒 21:1−14
詩篇 133:1−3
T 教会を捜し出して

 エペソを発ったパウロたち一行は、エルサレムを目指して航海を続けます。「私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した」(1-3)途中、いくつかの港に寄港し、船を乗り換えたりしています。フェニキヤで乗り換えた船はシリヤ向けの遠洋航路船、旅行日数を短縮するためでした。

 さて、ツロに着きました。船荷を降ろすために、一週間停泊しなければなりません。ここはかつて、イエスさまが弟子たちを連れて来たことがあります。そのとき、悪霊に憑かれた娘をいやしてもらおうと、カナンの女性がイエスさまにつきまといましたが、なぜかイエスさまは、「わたしはイスラエルの滅びた羊以外のところには遣わされていません」と冷たいのです。彼女は食い下がり、「小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」と、なおも娘のいやしを願い、イエスさまは「あなたの信仰は立派です」と、娘をいやされた記事があります。それから20数年経っていますから、ツロに彼女たちがいたかどうかは分かりませんが、ユダヤ人迫害で散らされた人たちが、宣教対象の町としてここに来ていたことはまちがいないでしょう(11:19)。ここに主の教会があり、15:3から、パウロとバルナバがここを訪れていた可能性もありますが、はっきりしません。少なくともルカにとって、ツロ教会訪問は初めてだったようです。パウロたちは、その教会を探し出しました。

 「私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに7日間滞在した。彼らは御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。それから私たちは船に乗り込み、彼らは家に帰って行った」(4-6)短い記事ですが、密度の濃い内容がぎっしり詰まってます。まず、ここからいくつかのことを見ていきましょう。


U 各地の教会で

 第一に、ここでパウロは、何もメッセージを語っていません。7日間もいたのですから、そこで礼拝が行われたのは間違いないと思うのですが、奇妙なことにルカは、そのことに何も触れていません。他に中心とすべきことがあった、と見ていいでしょう。第二に、7日間の滞在中の記事が、唯一、「彼らは御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した」という点です。しきりにとありますから、何回も、繰り返されたのでしょう。彼らは、それを聖霊に示されたとありますが、パウロのエルサレム帰還は、「御霊の示しに」(19:21)よるものだった筈です。恐らく、これは、パウロを心配するあまりの、彼らの勝手な警告と見ていいでしょう。ところが奇妙なのは、ルカがそれらを整理していないということです。ある注解者は、この記録そのものが珍しく未整理だったと推測していますが、むしろ、ルカが強調したかったのは、彼らの「心配」であったとするほうが自然です。そのため、こんな言い方になったのでしょう。もちろんそれは、ここでルカが書き進めている、「ある目的」のためと思われます。第三に、ルカは、7日間のことには全く触れず、ツロでの記事を、別れの日のことだけに集中させています。まるで、この別れの情景が、ツロでの主要記事だと言わんばかりです。「彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた」と、ツロ教会の人たちは、家族ぐるみでパウロを見送ります。ピリピ教会誕生の時にも家族が出てきますが(16:33-34)、「妻や子どもたち」まで出て来るのはここだけです。教会とは家族なのだという、ルカのメッセージなのでしょうか。いや、それ以上に、ルカは、彼ら信仰者の交わりの濃さを強調したかったのではと思われます。ここで彼が強調した中心メッセージは、「交わり」なのです。

 ルカは、ツロを出航したパウロたち一行がエルサレムに着くまで、なお二カ所に滞在した短い記事を挿入しています。一カ所は、最後の寄港地トレマイです。「私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した」(7)たった一日の滞在ですが、そんな記事をわざわざ加えているのです。そしてもう一カ所は、航海の最終目的地カイザリヤです。「翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの7人のひとりである伝道者ピリポの家にはいって、そこに滞在した」(8)ここからエルサレムまで、3日くらいでしょうか。五旬節の日までに到着したいと急いでいましたが、もう大丈夫です。何日かここでゆっくりしています。


V 交わりの構築を

 ピリポは、エルサレム教会初期に選ばれた7人の執事の一人ですが、いづれも伝道者として散らされた中で、サマリヤと海岸地方の伝道者として、カイザリヤに家を構えて働いていたようです。パウロたち一行にとっては大先輩、いろいろ聞きたいことがあったでしょう。しかし、ルカはここでも、ここで起こった奇妙なことだけを記します。「この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。幾日かそこに滞在していると、アガポという預言者がユダヤから下って来た。彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人たちに、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています、と言った。私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。するとパウロは、『あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています』と答えた。彼が聞き入れようとしないので、私たちは『主のみこころのままに』と言って、黙ってしまった」(11-14)アガポ二回目の登場(11:28)ですが、細かいことは避けましょう。

 ここでも、ツロと同じようなことが起こりました。エルサレムでパウロが苦難に遭うことが、いよいよはっきりして来たのです。しかし、ルカは、それを言うためにこの記事を載せたのでしょうか。そうではない。それほどの深い交わりが、ここカイザリヤでもあったと証言したのです。

 交わり、これは第三回伝道旅行の終わりから、ずっとルカの中心主題になっていました。トロアスでの、新約聖書唯一の証言として上げられた、日曜日礼拝もそうです。パウロのメッセージが徹夜で語られ、そこには聖餐式さえ見られます。ミレトでの、エペソ教会の長老たちとの再会に見られる密度の濃い交わりは、信仰と祈りと働きの共有でした。しかも、苦しみの共有という、極めて奥深い交わりにまで踏み込んでいます。長老たちは、ユダヤ人による迫害の中に、非常な決意をもってパウロを送り出しました。航海の途中で立ち寄ったツロ教会の人たちは、妻や子どもまで動員してパウロを見送っていますし、トレマイでも、たった一夜でしたが、兄弟たちとの深い交わりがあったのでしょう。そして、カイザリヤでの、先輩ピリポとその家族との交わりも……。預言者アガポによるパウロのエルサレム行き阻止も、交わりの範疇に入るでしょうし、恐らく、エルサレム途中でのキプロス人マナソン宅での一泊(16)も、この交わりに含めていいでしょう。これほど多くの交わりがここに列記されたのは、キリスト者の交わりは、ただの麗しい楽しい現象を目指すものではなく、イエスさまを信じる信仰の本質をなすものであるという、ルカのメッセージであろうと思われます。愛も慰めも誠実も、信仰さえ、この交わりの中で育てられ、成長していくものであると……。何よりもそれは、神さまの本質に関わる部分なのです。神さまが人を創造されたとき、「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう」(創世記1:26)と言われました。ここにある「神」はエロヒームという複数の言い方ですが、それは神々ではなく、よく言われるように三位一体でもなく、敬意の複数形でもない。関係の複数形と言っていいでしょう。ご自身の中に、神さまの本質の中に構築された「関係」が、「われわれ」なのです。交わりはその発露なのです。人は、交わりを築くことで、神さまの本質に預かることが出来る。そんな交わりを、みことばに基づいて、私たちの中に構築していきたいと願います。