使徒行伝

60 義の栄冠を目指して
使徒 20:13−24
詩篇  135:1−3
T 決別説教

 パウロは、トロアスで一行を先に船に乗せ、自分は徒歩で半島を横切り、アソスに向かいました。そのほうが早いと判断したのでしょうか。もし、船より早く着いたなら、そのまま先に出発しようと考えていたのかも知れません。しかし彼らは、アソスで順調に合流して船で南下、途中何カ所かに立ち寄り、ミレトに着きます。そこでも船荷の積み卸しがあったのでしょう。何日か停泊します。そこでパウロは、エペソ教会の長老たちに、「ミレトまで来てほしい」と使いを送りました。約60`の道のりです。3~4日かかって、長老たちが駆けつけて来ました。「それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼はできれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたいと旅路を急いでいた」(16)とありますが、これで間に合うと安心したのでしょう。25節には「あなたがたの中を巡回した」とありますから、アジヤ州各地に建てられた諸教会からも、何人かが駆けつけて来たのかも知れません。その中には、もちろんユダヤ人もいましたが、「ユダヤ人にもギリシャ人にも」(21)とありますので、多様な人たちが含まれていたと思われます。ヨーロッパとアジヤを結ぶ、架け橋となる人たちです。決別説教として知られる、パウロの話が始まります。

 「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、ユダヤ人にもギリシャ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」(18-24) 長いメッセージですのでここで区切りますが、このところから、いくつかのことを聞いていきたいと思います。ここにはルカもいましたから、パウロのメッセージはほぼそのまま記録されましたが、そこに編集されたルカのメッセージが加わえられた、と言っていいのではないでしょうか。


U 信仰と祈りの交わりに

 この決別説教から、ルカが伝えたいと願った中心のひとつは、交わりです。その交わりに関して、ルカが取り上げたことはいくつかありますが、その第一は、パウロと長老たちの間に培われていた、信仰の交わりが色濃くにじみ出ている点です。長老たちばかりでなく、エペソ教会の人たちは、3年にも及ぶ月日を、パウロとともに歩んで来ました。「謙遜の限りを尽くし、涙をもって」とは、誇張でもないし、自慢でもない。まさにその通りのパウロだったのでしょう。これはルカのメッセージと聞かなければなりません。34節には、彼らが、差し出されたパウロの節くれ立った両手を見た様子が描かれますが、それは、彼らが見慣れたパウロの手でした。パウロは天幕作りをしながら、宣教を働き抜いて来たのです。また、彼らはパウロから、聖書を学ぶ手ほどきをしっかりと受けていました。二つのサンプルがあります。ひとつはベレヤで「毎日聖書を調べていた」(17:11)ことであり、もうひとつはトロアスの教会で徹夜でメッセージが語られた(20:7-12)ことです。そのみことばに対するスタンスは、エペソでも同じだったのでしょう。32節には、「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねる」とありますから、そのみことばに対する彼らのスタンスが、イエスさまを信じる信仰の土台になっていると見ていいでしょう。みことばに裏打ちされた信仰の交わりこそ、パウロとエペソ教会の人たちの、第一に重要な、深い交わりであったと言えるのではないでしょうか。

 そして、第二に上げられる交わりの土台は、パウロの「涙」に感じられる、祈りではなかったか。パウロが書き送ったエペソ書には、何回も彼らのために祈る、パウロの様子が見られます。そんなパウロの姿を、エペソ教会の人たちは目に焼き付けていた。パウロは「3年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒して来た」(31)と言っていますが、ここにはまさに、彼の祈りがにじみ出ているではありませんか。そんな祈りに支えられた彼らも、パウロのために祈ったでしょうし、もちろん、他の人たちのためにも……と、想像します。トロアスで三階から落ちて死亡した青年ユテコが、パウロの手によって生き返った。彼が本当に生き返ったことがみんなにはっきりしたのは、パウロたち一行が出発した後でしたが、それが、恐らく、旅行の途中だったパウロのところに、手紙か何かで届きました。「ひとかたならず慰められた」(20:12)のは、パウロたち一行(ルカを含む)もであったろうと触れましたが、祈りの交わりが、ここにも語られているようです。それは、交わりの中心に、主がおられたことに他なりません。私たちの交わりからこの祈りを省いては、交わりが成立しません。聞いておきたいところです。


V 義の栄冠を目指して

 パウロとエペソ教会の人たちとの交わりで、もうひとつのことを忘れてはなりません。パウロは、「ユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えた」と言いますが、試練・苦しみは他にも沢山あったことでしょう。アルテミス神殿にまつわる騒動(19:23-41)は、異邦人社会における、困難な問題のひとつのサンプルではないでしょうか。ここにある交わりは、その苦しみを共有していたという交わりのことです。ユダヤ人の陰謀は、第一回伝道旅行からずっとつきまとっていましたが、記事としては、次第に少なくなって来ているかのように見えます。エペソではわずか19:9に、「ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしった」とあるだけですし、エペソからマケドニヤ・ギリシャへと旅立って、コリント教会を発とうとしたときに、「彼に対する陰謀があった(と判明した)ため、マケドニヤを経て帰ることにした」(3)と、それだけです。しかし、記事が少なくなっているから、事件そのものが少なくなっているとは限りません。少なくとも、激しさは増しています。パウロがコリントから船で帰ろうとしたとき、ユダヤ人たちはその船中を狙いました。それは恐らく、前回(第二回伝道旅行で)、彼らがパウロを捕らえ、総督ガリオのところに引いて行ったところ、「ユダヤ教がらみのことには関わりたくない」と、門前払いされたためと考えられますが、船中を狙ったということは、彼らが本気でパウロを殺そうと決意したことを意味しています。宣教の拡大とともに、反対の動きも活発になっていく。恐らくその原則は、今も変わらないのではないでしょうか。その本気の彼らに、パウロも本気で立ち向かおうとして、エルサレム行きを決めました。ある意味で、今、エルサレムに帰還するのは、その苦難に飛び込むためでもありましたが、パウロはそれを避けようとはせず、むしろ宣教のいい機会ととらえています。長老たちは、パウロの苦難を全部知っているわけではありませんが、少なくともいっしょに働いて、ある部分を共有していました。アジヤ州全域に教会が建てられたその相当部分は、彼ら長老たちの働きに依ったのではと思われますが、それだけに彼らは、パウロの苦しみをよくよく理解していたのではないでしょうか。祈りが生まれ、より強い絆が育ったことでしょう。エペソ教会が、この地域全体の中心教会としていちじるしく成長していったのは、しごく自然なことと思われてなりません。

 そうです。パウロ自身が彼らの手本となる伝道者でした。「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」、これが彼らの知っているパウロです。しかし、この言い方は、やがて殉教直前に、「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは義の栄冠が私のために用意されているだけです」(Uテモテ4:6-8)という言い方に変わります。そんなパウロの生き方に、私たちも倣いたいではありませんか。