使徒行伝

57 一途な信仰に
使徒  19:8−20
イザヤ 52:11−12
T 宣教の拡大が

 神さまの深いご配慮から、ユダヤ人会堂からも忘れられていた人たちを見つけ出し、イエスさまの民に加えることが出来たパウロは、その弟子たちを引き連れて、ユダヤ人会堂に向かいました。エペソでの第二ステージです。多分、そこは、何ヶ月か前に「み旨なら、また戻って来ます」(18:21)と言って別れた会堂です。きっと以前と同じように、暖かく迎えられたのでしょう。恐らく、アクラとプリスキラの家に泊まりながら、3ヶ月の間、そこで神さまの御国・福音を話し続けましたが(8)、次第にパウロのメッセージは、律法主義に凝り固まったユダヤ人たちの神経を逆撫でし、メシア待望の信仰にも、彼らには違うメシア像が明らかになっていったようです。もちろん、福音を受け入れる人たちもいたことでしょう。しかし、ここでも彼らは心をかたくなにし、反抗の刃をむき出して、口汚くパウロをののしり始めました(9)。テサロニケやコリントなどの会堂から、回状が来たのかも知れません。

 しかしパウロは、その会堂には拘りません。少人数とはいえ、エペソにはすでに教会が立ち上がっていたからです。その会堂で生まれていた弟子たちも一緒に、市内にあったツラノの講堂に集会場所を移動し、そこで福音を伝え続けました。確かなことは分かっていませんが、ツラノは人の名前で、一般に開放された、貸し講堂だったのかも知れません。 恐らく、アクラとプリスキラの家には入り切れないくらい、集会に集まる人たちが増えていたということなのでしょう。彼らが宣教スタッフに加わったことは言うまでもありません。そして、アポロもコリントから戻って来ました。「これが2年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシャ人も主のことばを聞いた」(10)とあります。パウロの伝道旅行中、最も長い期間(計3年)がエペソで費やされました。これが、今回の旅行で、他の事柄を省いてまで、ルカがエペソを宣教の表舞台に選んだ、第一の理由だったのでしょう。「アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシャ人も」というのは、誇張ではなく、実際に、パウロも、スタッフたちも、教会の人たちも、周辺の町々村々から始まって、広くアジヤ州一帯(小アジヤの西側三分の一ほどの地域)にまで足を伸ばしていたからです。ペルガモ、サルデス、テアテラ、ラオデキヤといった町に、黙示録にある7つの教会が建てられたのは、この時期と思われます。


U 異教と迷信の町で

 ルカの記録は、エペソでの第三ステージに移ります。「神はパウロの手によって驚くべき奇跡を行われた。パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った」(11-12) こうした奇跡は、しばしば異教の魔術的臭いのするものですが、パウロもルカも、これに何の異議も挟んでいません。これはイエスさま(ルカ8:44)やペテロ(5:15)が行なった奇跡に類似していますが、ルカはこれを、平行記事として受け入れました。そして、この奇跡が記録された、もうひとつの理由があります。第一ステージで、パウロは聖霊の授与者(6)とされましたが、これは、パウロの使徒職を、主から認定されたものと言っているのでしょう。その認定を、ルカも受け入れました。この奇跡は、パウロが使徒とされたことの延長なのです。聖霊授与も奇跡も、恐らく、これまでもパウロの働きの中で行われて来たと思われるのですが、ここに来て、集中して紹介されています。きっとそれが、エペソという宣教の大舞台で、必要だったからではないでしょうか。ルカは、それほどの意義をエペソ伝道に感じているのです。エペソでの働きが多岐に渡り、人も時間もお金も方法も・・・つぎ込んで、総力を挙げて働かなければならなかった。そして、もうひとつ理由があります。ルカはここで何も触れていませんが、パウロの決別説教(20:18-35)を見ますと、この時ユダヤ人の攻撃が非常に激しかったことが分かります。そんな中で、パウロは今までのように逃げ回ることをせず、ひたすら宣教の働きに邁進しました。彼にとって、エペソでの3年は、苦難の時代だったと言えるでしょう。そんなパウロを、主が励ましてくださった。それが聖霊授与であり、奇跡であり、使徒職認定ではなかったでしょうか。ときには弱り、立ち上がることさえ出来なかったパウロです。

 きっと、パウロの奇跡に言及したからなのでしょう。ルカはエペソでの、際だったエピソードを紹介しています。「ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、『パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる』と言ってみた。そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の7人の息子たちであった。すると悪霊が答えて『自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどもおまえは何者だ』と言った。そして悪霊につかれている人は、彼に飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した」(13-16) 魔よけ祈祷師は、悪魔払いの祈祷師、魔術師、呪術師、魔法使いなどいろいろな言い方がされていますが、それに類した文書も多く、中でもエペソの名を持つ「エペシア・グラマタ」は、非常に良く知られていたそうです。古代エペソは、そういったことで有名でした。


V 一途な信仰に

 祭司長スケワのことは何一つ分かっていません。もしかしたらこれは、悪魔払い祈祷師たちのでっち上げかも知れません。ユダヤ教祭司が持つ、宗教的権威が目当てだったのでしょうか。その肩書きを名乗ることで、高収入になっていたと思われます。彼らだけでなく、そのたぐいの人たちは諸国を巡回していましたから、きっと当時、悪魔払いや魔術などには、多くの需要があったのでしょう。エペソは、この後に出て来るアルテミス神殿(世界七不思議のひとつに数えられる)とともに、異教・迷信世界の中心的な町(街?)と目されていました。そういった異教の、迷信人口が多かったためか、この事件はビッグニュースとして、たちまち広がっていきました。住民が、「悪霊さえも、パウロが伝えているイエスという神には敵わない」と、恐怖心を抱いたのは当然のことです。非常に多くの人たちが、この異教と関わっていたからです。「このことがエペソに住むユダヤ人とギリシャ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった」(17-19)とあります。銀貨一枚(1ドラクマ)は労働者1日当りの賃金と言われますから、5万ドラクマは現在の円に換算すると約4千万円。膨大な量の魔術関係の書物が廃棄されました。一種の魔女狩りようなことになっていたのかも知れません。イエスさまを信じる者たちが連鎖的に起こされ、その多くの人たちが、悪魔払いなどに関係していたと告白したからです。

 「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った」(20) 神さまのお働きだったのでしょうか。パウロの奇跡から始まった働きは、驚くほどの勢いで信仰者の群れを膨らませていきました。もっとも、その多くの改宗者たちが、そのままエペソ教会の忠実な一員として残ったかと言うと、必ずしもそうではなかったでしょう。「あなたがた自身の中からも、いろいろ曲がったことを言って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう」(20:30)と、パウロ自身も危惧しています。黙示録に描かれる7つの教会の問題点で、エペソ教会は、「あなたがたは、初めの愛から離れてしまった」(2:4)と言われます。きっと、大勢がいっしょに告白した中では、イエスさまを信じる信仰にも、落とし穴があったのでしょう。「愛」には、イエスさまを信じる信仰そのものとさえ言える、内容が含まれています。その部分が欠如していた……、それは現代の私たちの教会にも……。イエスさまを信じる信仰に、一途でありたいと願わされます。