使徒行伝

55 目を高く上げて
使徒 18:24−28
ミカ      :1−5
T 福音宣教の視野に

 「さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた」(24) アフリカ大陸の地中海沿岸にある、ローマに次ぐ世界第二位の都市・アレキサンドリヤが、福音宣教という働きの中で、ルカの視野に入って来ました。しかし、まだその都市はルカの視野に入ったというだけで、使徒行伝にその名が記されるのは、ここと使徒1:9、27:6、28:11の4回だけで、残念ながら、宣教の働きがそこまで拡大していたという痕跡は見当たりません。福音宣教の拡大という点では、ローマの方が先でした。ただ、28:11に「船首にデオスクロイの飾りのあるアレキサンドリヤの船で出帆した」とありますから、ルカもしくは初期教会が、これからの宣教目的地として、具体的にその地を視野に入れていたのでしょう。「デオスクロイ」は良く知られた航海の守護神でしたから、そんな異教の神々の名が、宣教者たちを刺激したと思われます。初期教会が、きわめて早い時期にそこに働き人を投入したことは、ほぼ間違いありません。伝説によると、アレキサンドリヤへの伝道は、福音書記者マルコが先駆けだったようです。パウロ殉教後のことだったのでしょうか。この町は、使徒後教父の時代(2~3世紀)を支える、非常に重要な拠点となりました。

 アレキサンドリヤはギリシャの植民都市で、交易都市、学術都市としても栄えており、ユダヤ人もギリシャ人と同等の権利が認められていましたから、ユダヤ人も多数いて、有名なユダヤ人学者フィロンが教える、ユダヤ人学校もありました。もしかしたら、ここに登場して来たアポロは、そこで教育を受けたのでしょうか。ただし、「アレキサンドリヤ生まれ」とあるだけで、アポロがそこから直接エペソに来たとは限りません。むしろ彼は、エルサレム?でヨハネの教えに接したであろうと思われます。いづれにしても、ルカを始め初期教会の目が、外に向かって大きく開かれていった時期だったのでしょう。ルカやシラスがパウロの一行から離れていたのは、そんな時期に、さらに大きく成長し、働き人として整えられるためだったのでしょうか。アポロの登場は、そんな時代の期待を担っているかのように感じられます。「聖書に通じていた」、それはもちろん旧約聖書のことでしょう。彼はそれを、ユダヤ教学者のようにではなく、キリスト者として学んでいました。ただ、彼は、イエスさまを、バプテスマのヨハネが証言したメシアとして告白した、ユダヤ人グループに属していたのではと思われます。「この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」(25)とあります。


U 夢の舞台に立って

 教会の目が外に向かって大きく開かれるだろうと、そんな期待が膨らんでいたこの時期に、パウロの第三回伝道旅行があり、ルカは、期待の扉をこじ開ける舞台として、エペソを選びました。小アジア全体への宣教を願いながら、更に遠く、アレキサンドリヤや遠くスペインにまでもと、そんな夢を視野に入れての舞台です。ローマにはすでに小さな教会が誕生していたようですから、その夢は必ず実現するにちがいない。小アジア第一の都会(首都)エペソは、そんな舞台にふさわしかったのでしょう。そのころ、恐らく、パウロやアポロだけでなく、たくさんの人たちが、イエスさまのことを宣べ伝えたいと、いろいろな地方の町々村々を巡り歩いていたと思われます。そうしたそこかしこでたくさんのドラマが生まれ、ルカの耳にもそんなドラマがいくつも届いていたと思われますが、彼が選んだのは、エペソにおけるドラマでした。

 エペソにやって来たアポロは、それが自分の務めであるとばかりに、安息日にユダヤ人会堂に出向きます。礼拝で話をするためでした。「雄弁なアポロ」とありますから、これまでに何度も諸会堂で話をしてきたのでしょう。会堂には、遠来の客にメッセージを依頼するという習慣がありました。彼は、ユダヤ人や異邦人の会衆が何を聞きたがっているのか、よく知っていました。「彼は大胆に話し始めました」(26)とあるだけで、彼がどんなことを話したのかは推測するだけですが、恐らく、重箱の隅をほじくるような律法の話ではなかった。当時、ユダヤ人会堂での最大の関心事は、メシアの来臨であり、メシアによる王国の復活と、それに伴う海外でのユダヤ人の地位向上という、きわめて現実的なものでした。イエスさまのことも、おおっぴらにはできなかったものの、そのことに関連するのではないかと、内々手探りされていたと思われます。アポロはそのイエスさまのことを話しました。

 彼の説教は人々を引きつけました。もっと聞きたいと願う人たちに、礼拝とは別に、そうした人たちを集めて話をしたようです。12人(19:7)ほどの人たちがイエスさまを信じ、ヨハネの名によってバプテスマを受けました。この人たちのバプテスマについては、アポロからではないとする見解もあるのですが。


V 目を高く上げて

 アポロの話を、アクラとプリスキラが聞いていました。彼らは自分の家を開放して、そこに小さな教会が出来ていたと思われますが、それはまだ先のことだったのでしょうか。安息日(土曜日)にユダヤ人会堂で行われる礼拝を守っていたようです。ここのユダヤ人たちは、パウロの話を聞いて、もっと聞きたいとパウロを引き留めたくらいですから(18:20)、アクラとプリスキラをも喜んで受け入れ、彼らはこの会堂で大切な役割を担うことになったのではないかと想像します。彼らはアポロの話を聞いて、感心すると同時に、彼のイエスさま理解に足りないところを鋭く洞察しました。礼拝後、彼らはアポロを自宅に招きました。「神の道をもっと正確に彼に説明した」(26)とありますが、それは恐らく、プリスキラではなかったかと思われます。「神さまの道」とは、イエスさまの十字架とよみがえりを信じることで、罪から救われ、御国の民となるという福音のことでしょう。それは、彼らがパウロから時間をかけてしっかり教えられた、福音の全容でした。

 アポロは、イエスさまを、バプテスマのヨハネが証言したメシアである、と信じ告白していましたが、イエスさまの十字架とよみがえりにまで踏み込んだ福音は、聞いていませんでした。きっと彼は、アクラとプリスキラの家に何日も泊まり込んで、福音の全貌を熱心に聞いたのでしょう。イエスさまを信じ、受け入れていたアポロにとって、彼らが語る、旧約聖書とパウロたちが書いた新しい文書(「正確に」は、その意味と思われる)を駆使した「神さまの道・福音」のメッセージは、耳新しく、吸い取り紙が水を吸い上げるように、彼の足りなかったところを満たしてあまりあるものでした。彼のメッセージに、いのちが吹き込まれたのです。「そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである」(27-28) アポロがアカヤ(恐らく、コリント)に行きたいと願ったのは、コリントから来ていたクリスチャンの勧めがあってのことだったようです。アクラとプリスキラの後押しもあって、アポロはアカヤに渡りました。そこで彼は、聖書に立脚した、力強いメッセージを展開したことは言うまでもありません。プリスキラの教えが、彼を力強い福音の勇者に育て上げたのでしょう。後にパウロはエペソからコリントに手紙を書き送っていますが、そのとき、アポロはパウロのもとにいて、いっしょに働いていたようです。エペソ教会とコリント教会の間に、深いつながりがあったことも頷けるではありませんか。

 ルカがエペソを舞台に、アポロの働きを挿入したのは、パウロのエペソ伝道(19-20章)が念頭にあったからです。しかし彼は、更にその先を視野に入れていました。動き始めた時代は、現代にも重なります。今、この激しい移り変わりの中で、私たちは、何を、どんな所を視野に入れようとしているのでしょうか。