使徒行伝

54 主のお働きを
使徒 18:18−23
ヨエル 2:12−14
T 働き人たちへの恵みが

 1年8ヶ月あまり働いたコリントをあとに、パウロたち宣教団とアクラとプリスキラ夫婦は、海路シリヤに向かうべく、港町ケンクレヤに着きました。一行にテモテは加わっていましたが(19:22)、パウロから「同労者、愛する医者」(コロサイ4:14、ピレモン24)と呼ばれたルカは、ピリピで別れたままですし、あれほどの苦労をともにしたシラスの名前も、一行の中に見当たりません。もしかしたら、シラスはコリントに残ったのでしょうか。ルカは、第三回伝道旅行の途中、トロアスで再び合流しますが、シラスは、ペテロの手紙(第一)に、ペテロの働きをよく知る忠実な筆記者(シルワノ)として、10年以上経ってからの再登場です。シラスはローマでパウロやペテロと合流していますが、恐らくそれは、パウロやペテロ殉教の少し前のことです。苦労を重ね、経験を重ね、それぞれ主の有能な働き人に育てられて来たのでしょう。ルカはこの使徒行伝の著者として、シラスはパウロ書簡の筆記者シルワノとしても知られるようになりました。この伝道旅行は、パウロにとって、さまざまなこと、多くの人たちとの出会いばかりでなく、計画通りに行かなかったことや苦難、死の危機からのぎりぎり逃れたこともありましたが、それらは決して無駄ではありませんでした。たくさんの恵みを主から頂いたからです。そして、主は、この働きに関わった人たち全員にも、多くのことを教えてくださったのです。主の恵みは、ルカにも、シラスにも、テモテにも、そしてアクラとプリスキラにも、十分だったであろうと思われます。

 この後、一行はエーゲ海を渡り、エペソに着きます。何の記述もありませんが、そこでアクラとプリスキラは一行から離れ、エペソに留まりました。コリントでユダヤ人グループから閉め出され、商売に差し障りが生じたため、新天新地を求めたのでしょうか。彼らはエペソ教会にしばらく留まり、ローマに行った後、再びエペソに戻り、エペソ教会の重鎮になったようです。特に妻プリスキラにとって、パウロからの教えが大きかったのでしょうか。18節以降、使徒行伝、ロマ書、Tコリント書、Uテモテ書に5回出て来る彼らの名前は、コリント書を除いて、「プリスキラとアクラ」になっており、彼女の活躍が浮かんで来るようです。彼らは、今で言う信徒伝道者となり、ルカ同様、パウロにとって忠実な、最高の同労者になっていたのでしょう。


U パウロの誓願は

 そうした主からの恵みによって誰もが変えられていった、その多くの変化を、パウロは自分自身にもと願ったのでしょうか。ケンクレヤで彼は「一つの誓願を立てて、髪をそり」(18)ました。この誓願は何を意味していたのでしょうか。剃髪とは、ナジル人の誓願(民数記6:2-)のことで、一定期間飲酒を避け、頭髪を剃らないと誓うものです。期間が満ちて剃髪するときは、エルサレム神殿でということですから、彼の誓願はこれから始まるのでしょう。彼はエルサレムに行こうとしていました。そのエルサレムで何が起こるのか。もしかしたら、ユダヤ人の襲撃を受け、次回の伝道旅行が困難になるかも知れない。各地のユダヤ人による福音宣教への妨害は、だんだん激しくなっていったからです。マケドニヤの報告は、エルサレムのユダヤ人に届いているにちがいない。事実、第三回目の伝道旅行を終えて彼らがエルサレムに戻って来たとき、それは起こりました。今回、どんなことが起こったとしても、この働きを続けたい。主がそれを許してくださるように……。それが誓願の内容ではなかったかと想像するのです。きっと、彼が願ったのは、摩擦が起こらないようにということではなかった。摩擦自体、すでにコリントで主は回避させてくださったからです。必要とあれば、主はまたそれを回避してくださるに違いない、とパウロは疑いません。彼は、回避ではなく、働きの拡大を願ったと思うのです。そしてそれは、第三回伝道旅行終了時に実現しました。パウロは内外のユダヤ人たちに捕らえられて告訴されるのですが、第四回目の伝道旅行は、彼が願っていた以上の所・ローマに向かって進み始めます。パウロは、誓願の内容を誰にも(ルカにさえ)黙っていたと思われますから、ルカは、その結果について触れようがありません。しかしルカは、その誓願を主が聞き届けてくださったであろうと、ただ「誓願を立てていた」とだけ挿入しました。これは、ルカが主を信頼していた証しなのでしょうか。

 ともあれ、その日は安息日でした。エペソでパウロは、シリヤ行きの船に乗る前の、ほんの少しの時間を礼拝に当て、(ユダヤ人との摩擦を警戒したのか?)アクラとプリスキラを戸外に待たせたまま、ユダヤ人会堂に入っていきました。ところが、そこで語ったイエスさまの福音が、予想に反して、好意的な反響を得たのです。「人々は、もっと長くとどまるように頼んだ」(20)のです。


V 主のお働きを

 しかし、パウロたちが乗る船の出帆時間が迫っています。「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」(21)と言って別れを告げ、彼はエペソから出帆します。「主、赦し給うなら」(ヤコブ4:15)というのが、あらゆる面に渡って彼の優先条件でした。この会堂の人たちは、そんなパウロに好感を抱いたのでしょう。ユダヤ人会堂の全員が、何が何でもパウロに反対するという悪意に満ちていたかというと、そうではありません。行く先々の会堂で、彼のメッセージを聞き、受け入れた人たちは、決して少なくはなかったのです。イコニオムでも、ルステラでも、ベレヤでも、ピリピでも、テサロニケやコリントでさえ……。ヤソンやソステネのことを考えますと、パウロという人物に好感を抱く人たちが、たくさんいたことも頷けるではありませんか。

 エペソに残ったアクラとプリスキラは、そこに店を構えたのでしょう。恐らく、その会堂の近くに。彼らは家を開放して宣教活動をしていたようですが、会堂から何人もの人たちが加わって、新しい教会の誕生です。市内には別の教会があったと思われますが、この新しい群れが、エペソの中心教会となりました。一方、パウロは「それから、カイザリヤに上陸して、エルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った」(22) エルサレムでは、教会へのあいさつと、神殿での誓願成就の儀式が行われたのはいうまでもありません。恐らく、諸教会から託された献金も届けられたと思われます。ユダヤ人はなりを潜めていますが、今回、彼らとの摩擦を回避されたのは、主ご自身ではなかったでしょうか。そして、無事アンテオケに帰って来ました。第二回伝道旅行が終わりました。その報告は、エルサレム教会ではなく、アンテオケ教会でなされたのでしょう。

 「そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた」(23) 第三回伝道旅行への出発です。「しばらく」とありますが、そんなに長い時間があったようではなく、むしろ急いで出発した印象を受けます。それは旅行中も同じで、22-23と19:1だけで直線距離にして約1000`ですが、今回はルカオニヤの中央線ではなく、ガラテヤ、フルギヤ地方の教会を巡回、北部のアナトリア高原地帯(奥地・19:1)に迂回しながら、それでも記事らしいものは何もないまま、淡々と「エペソに来た」と記されます。もしかしたら、これはルカが意図的に編集したものであり、この旅行はエペソでの働きに焦点を絞ってまとめた、ということなのかも知れません。ですから、マケドニヤやギリシャにも足を伸ばしているのに、その記事(20:1-3)は素通りに近いのです。パウロは、前回、大急ぎでエペソから船出しなければならなかったことに、悔いが残っていたのでしょう。「主、赦し給うなら」と別れたエペソにもう一度 ! そんなパウロの心中を理解し、ルカは、他のことを一切省いて、エペソに急いだのです。主のお働きを、彼はエペソで確かめたかったのではないでしょうか。異邦人教会のこれからの働きのために。