使徒行伝

52 探し求めるなら
使徒   17:16−34
エレミヤ 23:23−24
T アレオパゴスの丘に

  「さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた」(16-17) ふたりとは、ベレヤで別れたシラスとテモテです。案内して来たベレヤ教会の人たちも帰って行き、パウロは、憧れのアテネをあちこちと見てまわり、そのうちに、たくさんの神像が祭られていることに気がつきました。ギリシャ神話を有する町です。ユダヤ人会堂を見つけますと、彼の宣教者魂に火がつきました。会堂に入っていつものように話すとともに、町の至るところにある広場でも、宣教を開始します。「毎日論じた」とありますから、かなりの期間、居合わせた人たちと議論していたのでしょう。広場にいたエピクロス派やストア派の哲学者たちも、パウロの話に興味を持ったようです。「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか」「彼は外国の神々を伝えているらしい」(18)と、彼らには、福音は全然分からなかったようですが……

 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行きました。「広場(アゴラ)」はギリシャ人哲学者にとって特別な意味を持ち、そこで彼らは自分の哲学を語り、賛同者を得るのです。しかし、アレオパゴスは、そんな自由闊達な広場ではなく、ギリシャの国会議事堂であり、「評議会」と呼ばれていて、そこは裁判審理を行なう場所でもありました。エピクロス派は、苦痛、恐怖、情熱などに心を乱されずに過ごす、静かな一生を人生最大の快楽と捉え、その快楽を追い求めていましたが、そこに神々の入る余地はありません。神々と無関係な哲学と言えるでしょう。ストア派は、汎神論に立って、世界霊魂を一応神としていましたが、人間理性の優越性を説き、いづれも福音とは相容れない思想でした。彼らは、パウロが新しい宗教をアテネに持ち込もうとしている、と思ったのでしょうか。或る人たちは、その審理のためにパウロをアレオパゴスに連れて行った、と考えています。そこには、有力なアテネ市民、哲学者、本職の裁判官まで連なって、評議員たちも招集されたのでしょうか。アテネには、異なる神々を広めることは死刑に当たる罪、とされた時代がありました。ソクラテスは、その咎で処刑されています。ルカは、「外国の神々」に悪霊を意味する「ダイモニオン」を用いていますが、それは、古い時代の因習を引きずった、アレオパゴス評議会への挑戦状だったのかも知れません。


U 知られざる神を

 しかし、アレオパゴスに連れて行かれたのは、裁判のためではなかったようです。哲学者たちはこう言っています。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものなのか、私たちは知りたいのです」(19-20) もしかしたら、審理だったのでしょうか。「外国の神々…」は、告訴状とも考えられます。しかしルカは、格言にもなっている彼らの好奇心を強く出すことで、その可能性をうち消そうとしているように感じられます。ルカはこう付け加えています。「アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた」(21)アレオパゴスの丘は、広場(市場という意味がある)より静かな環境だったのでしょう。

 ともあれ、パウロは居合わせた人たちに話し始めました。そのメッセージは、哲学者のように鋭い論理に満ちたものです。ルカはこれを、恐らく、その時直接聞いた人のメモから再現したのでしょう。彼自身がまるで哲学者でもあるかのように、「高度のギリシャ語を駆使し、洗練された文学的表現に富んでいる」と、或る注解者のコメントがありました。その辺りのことはよくは分かりませんが、パウロは力いっぱい福音を語ったにちがいありません。聞いてみましょう。

 「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう」(22-23)と始まります。「知られない神々に」という祭壇が、実際、アテネで発掘されたそうです。或る注解者は、ギリシャ人が、「知られない恩恵者としての神が、感謝されないことに怒るのではないか、もしくは、人間に顧みられなかったという復讐の動機を神に与えるのではないかと恐れた」と推察していますが、「呼びかけられたいと願い、呼びかけに応じて(人間の願いを)聞き届けようとしている神々の名前が欠落しないように」建てられた祭壇なのでしょう。パウロはこれを、復讐の恐れのない、まるで次元の違う、唯一の神さまに置き換えようとしています。そうすることで、これを、ギリシャ人の宗教心をはるかに超えた、福音のメッセージの導入部分にしたのでしょうか。「宗教心にあつい」という賛辞は、彼らの耳に心地よく聞こえたことでしょう。ある意味で、確かにそうだったのですから。


V 探し求めるなら

 「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです」(24-25) パウロは、これまで「あなたがたが拝んでいるもの」と中性(ギリシャ的)の神を語ってきました。つまり、彼ら哲学者たちに哲学者として接してきたのですが、ここで、福音宣教者として、焦点を唯一の神さまに切り替えました。彼は、哲学者としてではなく、神さまから遣わされた使徒として、福音を伝えたかったのです。これは、パウロが今まで何度も語ってきた、旧約聖書に基づく、まことの神さまについてのメッセージです。「神は、ひとりの人(アダム)からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代(季節)と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら(探し求めさえすれば)、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません」(26-27) 創造の神さまと、その神さまを探し求めなければならないことを、彼は明確に語りました。聖書に通じた宣教者・パウロの本領が薫り高くにじみ出ているではありませんか。

 「皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と言っているとおりです」(28新共同訳) この二つの詩は、いづれも古代のギリシャ詩人二人のものですが、そこに言われる、多分、ストア派の汎神論的神秘主義の神々を、パウロは聖書の神さまに置き換えています。「そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこでもすべての人に悔い改めを命じておられます」(29-30) ここに来てパウロは、まことの神さまは、町のあちこちに建てられている、金や銀や石で造られた偶像の神々とは断じて異なると、もはやそれを隠そうとはしません。たとえアテネの(無知な)賢人といえども、その神さまの前で悔い改めなければならない。聴衆もメッセージのトーンが変わったことに気がついたでしょう。「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです」(31) メッセージは、一気に福音の核心へと進みます。しかし、イエスさまのよみがえりに触れたとたん、聴衆の態度が一変します。ある者はあざ笑い、ある者は「またこの次ぎに聞こう」と言って立ち去りました。まるで現代そのものではありませんか。こんな中でも、何人かの人たち(評議員も)が信じたのです。主が応えてくださったからではないでしょうか。