使徒行伝

51 主だけを見つめて
使徒 17:10−15
ハバクク    2:1
T ベレヤに

 ヤソンを中心としたテサロニケ教会の人たちは、ユダヤ人が仕掛けた巧妙な罠によって、パウロとシラスをテサロニケ市内に匿い通すことは出来ない、と判断したのでしょう。(次の日の)夜のうちに二人をベレヤに送り出しました(10)。巧妙な罠とは、告訴理由が「暴動」と「帝国への反逆(不敬罪)」であり、もし、市当局者がそのどちらも却下するなら、それは帝国への不忠誠とされ、植民都市に保証された自由を剥奪される危険を背負うことになる。まして、帝国への義務を負う裁判官であるなら、訴えられた者たちを訴追しないなど、決して出来ないことでした。ユダヤ人は、金を払ってならず者を使ったことさえ不問にされるほどの、大きな告訴理由を見つけたと言えましょう。しかし、暴動はユダヤ人たちがならず者を使って引き起こしたことであり、反逆罪は、パウロがイエスさまを新しい王と言ったことによるのですが、それは来臨されたメシアのことであり、皇帝にとって代わる存在ではありません。これらは明らかにユダヤ人のこじつけなのですが、それは役人たちにも分かっていたのでしょう。ここでも裁判が行われた形跡はなく、ヤソンたちの処罰も行われず、ただ、ヤソンたちから保証金を取っただけです。主犯者たち(パウロとシラス)に家を提供してはならないと申し渡したとは思いますが、重大な告訴理由の割には、事はうやむやのうちに処理されています。恐らく、役人たちは、ユダヤ人側からの賄賂もあって、素早い決着という安易な方法を選んだのでしょう。ユダヤ人側もその決着で妥協し、使徒たちをテサロニケから追い出すことで、とりあえず騒動は収まりました。しかし、ユダヤ人会堂とテサロニケ教会の間には深い溝が出来、教会は後々までユダヤ人たちの激しい憎しみを背負うことになります。

 ベレヤは、テサロニケから80`ほどの山岳地帯にある古くからの小都市ですが、ローマ時代にはかなり繁栄していたようで、ユダヤ人も大勢住んでいました。テサロニケを逃れたパウロとシラスは、そこで身を潜めようとはせず、すぐにユダヤ人会堂を探し出し、福音宣教を開始します。「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。そのため、彼らのうちの多くの者が信仰にはいった。その中には、ギリシャの貴婦人や男子も少なくなかった」(11-12)


U みことばに立つ教会が

 ベレヤのユダヤ人がテサロニケのユダヤ人より良い人たちであったということですが、多くの注解者は、彼らがパウロの話を熱心に聞いて、その通りかどうか毎日聖書を調べていたことを理由としています。しかし、ルカの記述には、もう少し違ったニュアンスが感じられます。何よりも、彼らには、新しい教えに対する警戒心が感じられないのです。パウロたちの活動に対して、ユダヤ人会堂には、エルサレムや他のユダヤ人グループから「それは危険思想」との通達があったと思われますが、それは当然、ベレヤの会堂にも届いていたことでしょう。山岳地帯の辺鄙なところだから無視されていた、とは考えられません。

 にもかかわらず、彼らには、新しい教えに謙遜で積極的な姿勢が見られます。辺鄙なところで、小さな会堂でしたから、あまり危機意識を持たなかったのかも知れませんが、恐らくそれは、ベレヤ会堂の指導者の姿勢だったと思われます。ベレヤの教会には、唯一名前が知られている人がいます。第三回伝道旅行でパウロに同行した人たちの中に、ベレヤ人ソパテロ(20:4)とありますが、同一人物と思われる名前が、ロマ書16:21ではヤソンと並べて記されています。ヤソンは言うまでもなく、テサロニケのヤソンでしょう。ロマ書は第二回伝道旅行時にコリントから書き送られたものですから、そこにヤソンと並んでソバテロが同行していたとしても、自然なことと思われます。二人は以前から親交があったのではないか。激しいユダヤ人の迫害に耐え、イエスさまを信じる信仰を守り通したヤソンと同じように、ソバテロが、大きな期待をもって新しい教えに聞き入ったとしても、何ら不思議ありません。そんなソバテロがベレヤ会堂の指導者だったことを考えますと、ベレヤ会堂のユダヤ人が、新しい教えに対して、謙遜で積極的な姿勢を持つ「良いユダヤ人」だったことも、納得出来るではありませんか。

 ともあれ、彼らは、パウロの教えが本当かどうかを確かめようと、毎日、聖書を調べました。パウロのメッセージは、テサロニケ同様、旧約聖書の、特にイザヤ書や詩篇からのものだったと思われますが、苦難のしもべにしても、復活のメシアにしても、新約聖書の助けがなければ、その真相に触れるのは容易ではありません。「毎日」とは、パウロたちのベレヤ滞在がかなり長かったことを意味します。同時に、活発な議論も続いていたのでしょう。いっしょに祈る、そんなこともあったろうと想像します。次第に使徒たちへの信頼が高まっていくそんな交わりと祈りの中で、何よりも、主ご自身の働きかけがあった。主ご自身の働きかけがあって、彼らはパウロのメッセージを理解し始め、イエスさまが苦難のしもべであり、復活のメシアであると信じたのです。


V 主だけを見つめて

 「彼らのうちの多くが信仰にはいった。その中には、ギリシャの貴婦人や男子も少なくなかった」とあります。ユダヤ人より異邦人のほうがだんぜん多いようです。ピリピやテサロニケでもそうでしたが、イエスさまを信じる信仰が、確実に異邦人社会に浸透していっています。何よりも、パウロの伝道旅行とその目的を、主ご自身が支援しておられると感じます。そのお働きによって、ベレヤにも教会が誕生しました。それは、「みことばに立つ教会」でした。それは、ルカが何よりも期待していたことでしたから、小さな町の出来事でしたが、「毎日聖書を調べていた」と、ルカはこれを大切な記事として取り上げたと思われます。以後、教会がそのように立って欲しいという、ルカの願いが伝わって来るではありませんか。現代の私たちも、みことばに立つことを、何よりも大切にしていきたいですね。

 パウロのベレヤ滞在が、テサロニケのユダヤ人たちに知られてしまいました。追放した者たちがベレヤで宣教活動をしている。彼らの憎しみは再燃し、遠い道のりをものともせず、数人と思われますが、彼らはベレヤにやって来ました。「テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした」(13)とあります。彼らにとって、ベレヤは未知の土地ではなかったようです。テサロニケは商業都市であり、辺り一帯の物流センターのような所だったのでしょう。ベレヤの人たちがテサロニケに来ることも頻繁で、テサロニケの商人たちがベレヤに来ることも珍しいことではなかったと思われます。山岳地帯にある小さな町ベレヤは、自分たちだけで生計を立てていくことが出来なかった。80`も離れてはいましたが、テサロニケという大都市があるからその生計は成り立っていたのでしょう。もしかしたら、パウロを襲撃しようとやって来たユダヤ人たちは、そういった利害関係で、ベレヤの町の人たちと深く関わっていた。だから、彼らは町の人たちを扇動して暴動を起こし、教会を襲撃することが出来たのではないかと想像します。その襲撃を、教会は全く予想していませんでした。襲撃直前に気づいた教会の人たちは、素早く使徒たちを外に連れ出し、一気にアテネまで送り出しました。シラスとテモテは安全を確認し、ベレヤに止まりました。狙われていたのは、パウロだけだったのでしょう。

 案内人がパウロをアテネに連れていったその道筋は、海路だったか、陸路だったかは不明です。ある注解者は、海路を行くとみせかけて陸路を辿り、追っ手を撒いたのではと推理しますが、それほどの危険が迫っていました。そんな危険を回避することが出来たのは、ただ、主のあわれみによるのでしょう。主がともにいてくださるから、パウロはそんな主だけを見つめて働いていたのです。この混乱と不安に満ちた時代に、私たちもと願わされます。