使徒行伝

49 主の祝福のもとに
使徒 16:25−40
ゼカリヤ  2:8−9
T 祈りと賛美の歌声に

 ピリピの牢獄で鎖につながれたパウロとシラスが、神さまに祈り、賛美の歌を歌っているとき、「突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした」(26-27) 前回の続きです。地中海沿岸でも、地震は珍しいことではありませんでした。エーゲ海の入り組んだ地形は、何回もの大地震による名残と思われます。しかしこの時、獄舎のとびらが全部開いて、囚人たちを壁に繋ぎ止めていた鎖が、ことごとく解けてしまいました。ルカは足かせには言及していませんが、これも開いてしまったと思われます。ルカは、「目をさました看守」と記し、看守が熟睡していたことを暗示していますが、恐らく、何回もの大きな地震を経験して来た看守が、囚人たちに足かせをかけ、牢獄のとびらを閉めて鍵をかけ、安心して詰め所に引き上げ、深い眠りに就いてしまったのは、地震でこれらがことごとく開いてしまうなど一度もなかった、と言っているようです。そして、こうしたことは、パウロとシラスの救出、また、看守の救いに関与された、神さまに起因する奇跡であると告げています。それは、極悪な囚人たちが誰一人逃亡しなかったことにも現われており、この出来事すべてが、神さまの手のもとで動いていたと言えるのではないでしょうか。パウロとシラスが入れらた「奥の牢」は、一室だけではなく、他にもあって、重大犯の囚人たちが同じフロア(半地下牢?)におり、だから彼らは、パウロたちの祈りと賛美を聞いていたのです。そして、別のフロアの囚人たちも逃げ出していません。真夜中のことでしたから、地下牢から聞こえて来る賛美の歌声に、引き込まれていたのでしょうか。不思議なことと言わざるをえません。

 大急ぎで、灯りも持たずに獄舎を見回った看守は、扉が全部開いていたため、囚人たちが逃げてしまったと思い込んでしまいました。中の様子に気づかないほど、気が動転していたのでしょうか。しかし、それでも、さすがローマ軍人です。囚人の逃亡などあってはならないこと。夜が明けたなら、責任を問われるのは必至。それは、死をもって償わなければならないことでした。何よりも彼は、獄吏としての誇りが傷つくことを恐れたのでしょう。剣を抜いて自殺しようとしました。


U 主イエスさまを

 これを見たパウロは、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」(28)と叫びました。何ということでしょう。囚人たちは扉が開いたのに、誰一人逃げ出していませんでした。重大犯の囚人たちまでも……。彼にとって一介の犯罪人(重大犯)だったパウロとシラスが、こともあろうに、彼らを捕らえた「敵」である自分の身を案じてくれた。あり得ないことが起きていると、看守の驚きは、開いた扉を見たとき以上のものでした。彼は、あかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスの前に、震えながらひれ伏しました(29)。彼が震えたのは、人知をはるかに超えた、力ある方の存在を感じたからでしょうか。そのお方の前で、自分は何とちっぽけな者であることか。看守の務めに誇りを持っていた彼は、その誇りとともに、頑固に守って来た正義までも無に帰したと、知らされたのでしょう。そんなものは、この人たちの前で通用しない。彼は、自分を罪ある者とさえ感じたのかも知れません。

 そして、ふたりを外に連れ出して言いました。「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」(30) 自分は救われなければならない。それは、生きることも、そして、死ぬことさえ出来なくなった彼の悲痛な叫びです。使徒たちの答えは、簡潔で明確でした。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(31) 重大犯罪人が、先生(主)に昇格しています。「救い」、それがどういうことなのか、彼に分かろう筈はありません。しかし彼は、救いがあると聞きました。それが知りたい。大きな地震の直後ですから、下役(奴隷?)や同僚の役人たちも多数駆けつけていた中で、彼は、もはや彼らの耳目すら気にしていません。彼は、使徒たちを丁重に自宅に招き、そのむちで打たれた傷を治療し、家族とともに、「主のことば」(32)を聞いたのです。使徒たちが話したのは、もちろんイエスさまの福音でした。「真夜中」(25)が12時ころとすれば、イエスさまのことを証するのに、時間はたっぷりあります。彼と家族は、それが彼らの生きる唯一の道であると、全身全霊、思いを込めて聞いたのでしょう。そして、信じました。イエスさまこそ私の救い主であると。そう告白した彼と家族(下役・奴隷も?)は、バプテスマを受けました。ピリピにおける使徒たちの宣教が実を結んだ、第二の事例です。彼らの喜びを見たパウロとシラスは、むち打たれた痛みや牢獄の足かせも、すべて主から出たことであると、それらを主の前に尊い価値あるものと受け止めたのは、疑いないことでしょう。

 「それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ」(34) 食事は、もしかしたら、聖餐式だったのかも知れません。「喜んだ」ということばが、それを暗示しています。バプテスマと聖餐、それは、彼らがピリピ教会に迎え入れられたという証言なのでしょうか。31-34節でルカの記述に若干混乱があるのは、彼らがバプテスマを受けるまでのことが、決して整然と行われたわけではなかったことを物語っているようです。


V 主の祝福のもとに

 「夜が明けると、長官たちは警吏たちを送って、『あの人たちを釈放せよ』と言わせた。そこで看守は、この命令をパウロに伝えて、『長官たちが、あなたがたを釈放するようにと、使いをよこしました。どうぞ、ここを出て、ご無事で行ってください』と言った。ところがパウロは、警吏たちにこう言った。『彼らは、ローマ人である私たちを、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それなのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。とんでもない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです』警吏たちは、このことばを長官たちに報告した。すると長官たちは、ふたりがローマ人であると聞いて恐れ、自分で出向いて来て、わびを言い、ふたりを外に出して、町から立ち去ってくれるように頼んだ」(35-39) ここには地震や看守の救いのことが何も触れられていないので、これは、ペテロの時(5:18-、12:3-)と同様に、脱獄物語のひとつの類型と考えられます。なぜルカがこんな記事を書き加えたのか。想像ですが、夜中に起こったことには何ら言及せずに(同僚たちは、知っていた)、長官たちが異例の決着をつけようとしていることに対し、パウロたちの逮捕時に異例の取り扱いをした(22-23)ことと合わせ、権力に対する教会側の対抗(そこには、必ず神さまの恵みがある)を提示する目的があったのでは、と思うのです。パウロが「私たちはローマ人である」と明らかにしたことも、彼らがパウロたちを不法に取り扱ったとの抗議であり、長官たちに謝罪を求めたことも、それはきっと、残されるピリピ教会のために、パウロとシラスの無罪を勝ち取っておかなければならなかったからでしょう。ローマ市民に、むち打ちの刑は適用されないのです。同時に、これから必ず起こるであろう不当な迫害に対し、ルカは、教会には取り得る手段があると、暗示しているように感じられてなりません。

 長官たちが謝罪に来たため、これ以上ことを荒立てないために、彼らはピリピを去ることにしました。しかし、その前にしなければならないことがあります。「牢を出たふたりは、ルデヤの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った」(40) 投獄から出獄までの経緯説明など、話すべきことはたくさんあったでしょう。しかし、祈りとともに彼らは、ピリピ教会からも、主の祝福にゆだねられて出発したかったのでしょう。それこそ、今後、ピリピ教会が辿る責務でしたから……。