使徒行伝

46 神さまを知ることを
使徒 16:1−10
ミカ 4:1−5
T テモテ・異邦人伝道へ

 「それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った」(16:1) 「先に主のことを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、また訪ねて行って、どうしているか見てこようではありませんか」(15:36)という、パウロの提案から実現した再訪です。もっとも、今回は陸路を通りましたので、パウロの故郷・キリキヤのタルソにも寄っています。「シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた」(15:41)と、それが目的で陸路を選んだのかも知れません。ともかくも、パウロの第二次伝道旅行のスタートです。帝国街道を西に向かいますと、まず、デルベに着きますが、デルベでは特別な事がなかったのでしょう。次の宿泊地ルステラに向かい、何日か滞在したのでしょうか。そこで、マルコに代わる助手・テモテに出会います。「そこにはテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシャ人を父としていたが、ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシャ人であることを、みなが知っていたからである」(1-3)とあります。

 後にテモテは、アンテオケ教会に次いで異邦人への主要伝道基地となる、エペソ教会の牧師になりますが、30代前半の若いテモテはその牧会につまづき、辞任したいと悩みます。そんなテモテに、殉教直前のパウロが二通の手紙を書き送りました。その第二書簡はパウロの絶筆になりますが、テモテへの愛が隅々に感じられます。彼に割礼を受けさせたのは、これから行く先々で、ユダヤ人との接触が不可欠だったからでしょう。キプロス生まれのマルコもそうでしたが、テモテはギリシャ人を父としていることで、一層ギリシャ語に堪能で、ギリシャ語文化圏の諸習慣にも通じていました。それに、彼はその地方のクリスチャンたちの間で「評判が良かった」のです。近隣とはいえ、別々の文化を形成していた町で、各教会には、それぞれの個性が育っていたと思われます。そんな町々の教会で良く知られていたとは、テモテが若くしてそれらの教会に頻繁に出入りしていたことを暗示させます。共同の集会が開かれていたのかも知れません。コロサイ教会とラオデキヤ教会の行き来は良く知られていますが、そんな交わりがこの地方にも生まれていたのでしょう。テモテはそんな共同の場で活躍していたと想像します。この記事にデルベのことがほとんどないのも、共同の交わりを考えれば、納得出来ることです。パウロを迎え、その集会等の連絡に、若いテモテが走り回ったとしてもおかしくありません。すでにパウロの働きの一翼を担っていたのでしょうか。


U 異邦人社会における教会

 そのテモテの働きが実を結びました。「さて、彼らは町々を巡回して、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を守らせようと(守るように)、人々にこれを伝えた」(4) この一文は、王の勅令や神さまの命令に用いられたと同じ表現を使用することで、ルカの使徒通達を非常に重んじている様子が窺われます。ヤコブの演説には冷淡だった彼が、なぜこの通達をそんなに重んじたのか、考えてみなくてはなりません。使徒通達、その中心は、「偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避ける」(15:29)というものですが、この禁令はユダヤ人の律法厳守生活の中心をなすものでした。それが異邦人教会にも課されたことが、問題の中心なのです。ここには、異邦人社会で教会が誕生しますと、その教会には多数のユダヤ人が含まれる、という図式が予想されています。特にエルサレム教会には、クリスチャンになってなお律法厳守を生活信条とする、ユダヤ人が多数いました。

 彼らは、福音とは別に、「律法を守る」ことで主に喜ばれようとしていたのではないでしょうか。それが彼らの信仰でした。そんなユダヤ人を念頭に置いてと思われますが、ルカは、パウロが「自分の前に置かれる物はどれでも食べなさい。しかし、もしだれかが、『これは偶像にささげた物です』とあなたに言うなら、そう知らせた人々のために、また良心のために食べてはいけません」(コリントT10:27-28)と教えたその教えを、しっかり受け止めたようです。使徒通達は、原則、律法からの自由ですが、ユダヤ人のつまづきにならないように、彼らの忌み嫌う事を避けるようにしてほしいという、エルサレム教会からの要望と考えていいようです。もともと異邦人とユダヤ人の問題は、ペテロとコルネリオの食事に端を発していました。使徒通達は、その食卓を違和感なく共にすることが出来るように、その辺りのことを念頭に置きながら決定したものなのでしょう。「エルサレム教会会議」・「使徒通達」といかめしい呼び方がされていますが、これは、ユダヤ人問題を抱えるエルサレム教会からの、切なる要請と聞いていいのではないでしょうか。そこには、「命令形」がまったく用いられていないのです。きっとルカは、異邦人クリスチャンの信仰意識のためにも、この通達を受け入れるべきと考えたのでしょう。異邦人社会における、教会の倫理レベルを高く保っていくためにも。


V 神さまを知ることを

 「こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った」(5) この表現はルカ挿入文の定型ですが、実際、ルカオニヤ地方の諸教会は日毎に勢いを増していました。その背景の一部に、この使徒通達があったのでしょうか。それは、ここから、教会の中心がユダヤ人から異邦人に移行していったことを意味しているようです。異邦人教会の広がり、それは、パウロやシラス、そして、ルカが願った方向だったことは言うまでもありません。テモテを加えた理由もそこにありました。

 この第二回目の伝道旅行で、パウロの目が、ヘレニズム文化の中心地である西部に向き始めます。「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ、ガラテヤの地方を通った。こうしてムシヤに面した所まで来たとき、ピシデヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。それでムシヤを通って、トロアスに下った」(6-8) この短い証言からは、パウロが何を意図していたのか明確に聞き取ることは出来ませんが、ムシヤ地方(アジヤ州の北西部)の東端まで北上して、そこから小アジヤの北部中間のビテニヤ地方に行こうとしたのは、東に向かって戻るコースでしたから、彼の目が小アジヤに向いていたことは明らかでしょう。ビテニヤにはヘレニズムの高い文化を持つギリシャ風の都市が各地にあり、ユダヤ人居留地もあったそうですから、パウロの伝道意欲を駆り立てる絶好の土地だったわけです。ところが、「聖霊によって禁じられた」(どのようなことだったのか、分かりませんが)と、何回も行く手を阻まれる出来事が起こり、なかなかパウロの思い通りにはいきません。仕方なく西に進路を変え、トロアスにやって来ました。そこは小アジヤ西端の大きな港町です。

 そのトロアスで、「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください』と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである」(9-10) きっと一行は、今後のことを探りながら、何日もトロアスに留まっていたのでしょう。「私たち」とありますから、その一行にはルカも加わっていました。旅の途中で合流したのでしょうか。その全員が、これを主の意図するところと確信したのです。マケドニヤは、ギリシャ文化をヘレニズムという世界規模の文化に引き上げたところです。それは、かつてないほど人間の知恵を結集した、最高の文化と言えましょう。しかし、そこには決定的に足りないものがあった。人間に優った、神さまの知恵を知ることです。すぐれた文化は、福音を知ることで、一層磨きがかかる。現代とて同じです。すでに各分野で崩壊し始めている現代文化は、こうした時にこそ、神さまを知ることで、その流れを一段高いレベルへと高めることが出来るのではないでしょうか。神さまを知ることで、私たちも、そんなレベルを目指したいではありませんか。