使徒行伝

43 福音は教会とともに
使徒  15:6−12
イザヤ 66:18−23
T エルサレム教会会議

 アンテオケ教会が派遣した使節団一行の、特にパウロとバルナバが行なった、ガラテヤ地方での宣教活動の報告を聞いて、エルサレム教会の中に増え始めていたパリサイ派のユダヤ人たちが、強硬に申し入れをしました。「異邦人クリスチャンにも割礼を受けさせ、律法を守るよう命じるべきである」これに対し、使節団は断固反対の意見を述べ、報告会は俄然紛糾し始めました。

 「そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった」(6)とあります。「集まった」とは、彼らだけが別に集まったのかとも思いますが、5節ですでに全会衆が集まっているようですので、そうではなく、まるでパネリストのように、使徒たちと長老たちが全会衆の前に出て、討論したということではないかと想像します。きっと、そこに全会衆も加わり、「激しい論争があった」(7)という状況なのでしょう。これがエルサレム教会会議と呼ばれるようになった。そのように考えますと、12節に「(ペテロの演説を聴いて)全会衆は沈黙してしまった」とある状況が、なるほどと頷けます。教会会議と呼ばれていますが、議員が選ばれたり、議長を立てるなど、必ずしも近代的会議のような体裁が整っていたとは思われません。

 それにしても、「激しい議論」が巻き起こったことは、使徒たちや長老たちの間に異なる見解があって、異邦人は異邦人のようにという擁護意見よりもむしろ、パリサイ的な「ユダヤ人のようになるべし」という強硬意見が、強く指導者層に入り込んでいたと想像させてくれます。というのは、少し前のことですが、カイザリヤのコルネリオに招かれたペテロが、異邦人と一緒の食卓についたという非難の声が上がった時、ペテロの弁明を聞いて教会全体が、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」(11:18)と納得し、非難よりむしろ、異邦人教会の自由な気風を容認する動きが見えたのです。それなのに、この「激しい論争」の中には、そんな空気が全く感じられません。肝心のペテロが、この論争の間中、ずっと沈黙しているのです。コルネリオに会った時のペテロは、エルサレム教会に流れ始めたユダヤ人の血流にもまれ、すでに変身していました。ペテロの変わりようは「異邦人にユダヤ人の生活を強いた」と、ガラテヤ書(2:12-14)でパウロから責められています。それはこの会議の数年前、ペテロがアンテオケを訪れた時(44年?)のことでした。今やエルサレム教会は、パリサイ派の立ち位置に、ほとんどの人たちが同調していたと言って差し支えないようです。


U ペテロの証言・信仰のスタンスが

 しかし、激しい論争の末に、やっとペテロが重い口を開きました。
 「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお定めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです」(7-11)「初めのころ」とあるのは、ペテロがコルネリオに出会って、彼の一家がクリスチャンになり、その報告をエルサレム教会に持ち帰った時のことを指しています。「あなたがたの間で事をお定めになり」とは、新共同訳で「神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました」とあり、このほうが分かりやすいでしょう。このペテロのメッセージは、「神さまがしてくださった」と、そのことを中心にしており、ペテロやコルネリオの意向で事が為されたのではない、つまり、人の思惑が絡んでいるのではないという、弁証に溢れています。数年前、コルネリオとの食事を咎められた時に弁明した、それと同じ信仰のスタンスが、ペテロに戻ったと見ていいのではないでしょうか。その時のペテロの弁明、その中心部分を見てみましょう。「その人が私たちに告げたところによると、彼は御使いを見ましたが、御使いは彼の家の中に立って、『ヨッパに使いをやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人があなたの家にいるすべての人を救うばを話してくれます』と言ったというのです。そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。……こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう」(11:13-17)


V 福音は教会とともに

 「すると、全会衆は沈黙してしまった」(12)この全会衆の中に、パリサイ派出身の人たちが含まれていたのはもちろんのことです。すると、彼らのこの沈黙は何だったのか。考えてみたいと思います。少し理屈っぽくなりますが、この箇所には、「長老たちがペテロのことばに賛成したので、全会衆は沈黙した」と付け加えている古い写本(5~6世紀)があります。恐らくそれは、原典にはない付記、後世の加筆……、と思われますが、きっと付記を加えた人も、「この沈黙は何?」と悩んだのでしょう。そして辿り着いた思索が、この付記ではなかったかと想像するのです。その取り組みには、この会議の雰囲気を読みとるための、とても有効な鍵が隠されているように思われます。

 この会議では、使徒たちと長老たちが、「パネラーのように」会衆の前に出て(集まって)議論したのではないか、と想像しました。その議論を聞きながら、会衆もその議論に加わった。そんな中でごく自然に、会議のリーダーらしき人が生まれていったのではないか。イエスさまの弟・長老ヤコブが、そのリーダーだったのでしょう。すると、13節から始まるヤコブの演説と、それに応えた彼らの沈黙も、このエルサレム会議という文脈の中で理解することが出来るのです。

 ところで、ペテロの演説に続いてバルナバとパウロの演説が始まりますが、この会議の中では、パリサイ派クリスチャンとともに論争の一方の旗頭ですので、ペテロやヤコブと同じように重要な証言のはずなのに、奇妙なことに、ルカは彼らの証言をとても簡単な要約で片づけています。「そして、バルナバとパウロが、彼らを通して神が異邦人の間で行われたしるしと不思議なわざについて話すのに、耳を傾けた」(12)これは、4節に「エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行われたことを、みなに報告した」とあることの繰り返しです。つまり、二回目なのですが、ルカは一回目、二回目のどちらも、簡単な要約で終始しています。もちろん、第二回伝道旅行の詳細な記事はすでに載せていますので、確認したければ、(読者は)そこに戻ればいいわけですが、ペテロの演説をおっくうがらずにきちんと載せているのですから、いかにも片手落ちという印象が強いのです。そして、彼らの演説には、ルカが何よりも大切にしたはずの、福音というテーマが欠落している。更に、この会議の進行状況から、二人の記事をそっくり削除しても、会議の内容に変更はなかったのではないかと思われるほど、バルナバとパウロの影は薄いのです。

 使徒行伝の中心と位置づけたエルサレム教会会議、これは教会の歴史にとって、異邦人教会時代を迎える非常に重要な転機ですが、どうも、エルサレム教会の意志だけで通過してしまった、という印象を受けます。これはルカだけが受けた印象なのでしょうか。彼の師パウロも、会議のことについて、詳しい説明をルカにはしなかったようです。ですから、ルカのエルサレム教会への反発もあって、こんな奇妙な記事になったのではないか。しかし、それでも、教会の決定を重い事実と受け止めたのでしょう。福音は教会とともに。これがルカの、異邦人教会へのメッセージだと聞こえてくるようです。