使徒行伝

42 ただ恩寵によって
使徒  15:1−5
申命記 7:9−13
T エルサレム教会会議・発端

 「さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と教えていた。そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい論争が生じたので、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった」(1-2) 後世に「エルサレム教会会議」と呼ばれる会議が行われます。15章はこの会議が中心主題として取り扱われ、ルカはこれを、使徒行伝の一つの中心と位置づけているようです。

 「ユダヤ」はエルサレムを指しています。パウロとバルナバが一回目の伝道旅行を終えてアンテオケに帰って来る前からなのでしょうか。エルサレム教会から「ある人々」がアンテオケ教会に来て、クリスチャンになって間もない異邦人たちを教えていました。この人たちは、パウロの証言によりますと(ガラテヤ2:12)、エルサレム教会で指導者(の一人)になっていたイエスさまの弟・長老ヤコブが派遣したようです。そのころ、エルサレム教会にはパリサイ派出身の人たちが多くなり、教会の目指す姿勢が、律法を重視する方向へと傾いていました。「ある人々」とは、そんなパリサイ派出身のクリスチャンを指しているのでしょう。イエスさまを信じる新しい群れの指導教会・エルサレム教会という名前は、今や歴史から姿を消そうとしているのですが、彼らはそのことに気づかず、まだ「初代教会・母なる教会」として、「子教会」への指導権、発言権があると信じて疑わないのです。そして、「子教会」であるアンテオケ教会の人たちも、「母なる教会」に対して敬意を払い、エルサレム教会の使徒たち、長老たちの決定に物事をゆだねようとしている。しかし、このエルサレム教会会議の決定を機に、エルサレム教会は歴史の表舞台から降り、アンテオケ教会を初め、異邦人教会の時代になるのですが、この記事は、パウロの登場とともに、教会歴史の転換期と位置づけていいのではないでしょうか。

 律法を遵守すべきとする彼らが、アンテオケ教会の異邦人クリスチャンに求めたのは、「割礼」でした。割礼はすべてのユダヤ人男性に求められていたものでしたから、それは、ユダヤ人になることと同じだったのです。つまり、クリスチャンになることは、異邦人がユダヤ教の改宗者になることの延長線上にある、と考えたのです。彼らにとってキリスト教とは、ユダヤ教キリスト派でしかなかったのではないでしょうか。


U 異邦人教会の時代に

 彼らが教え、アンテオケ教会が変わりかけている。そんな時にパウロとバルナバが帰って来た、と思われます。自由でのびのびしていた教会が、妙にぎくしゃくしていることに気づいたパウロは、その原因が、エルサレムから来たパリサイ派ユダヤ人教師にあると見抜きました。パウロも、そんな彼らの世界で生きてきたからです。ところが、よみがえりのイエスさまから福音の使者に任命されたパウロは、かつてクリスチャンたちを迫害した、がちがちのパリサイ派闘士ではなく、「救い」はイエスさまを信じる信仰によるのだと、福音の闘士になっていました。パウロは、割礼によらなければ救われないとする、彼らパリサイ派クリスチャンたちに猛反発していきます。そして、パウロといっしょに働いて来たバルナバも、もちろんパウロに与します。

 アンテオケ教会の人たちは、問題解決には、ここでのパリサイ派クリスチャンとの論争では埒があかないと見極め、「パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった」(2)のです。「母なる教会」の意識から変えていかなければならないと、パウロを初めアンテオケ教会の人たちは決意し、派遣された幾人かは、その中心に立った人たちだったのでしょう。教会が以前の状態に戻るには、そんな彼らの努力があり、多少時間はかかったと思われますが、アンテオケ教会は立ち直りました。ですから、「教会の人々」(3)が総出で見送り、一行はエルサレムに向けて出立しました。

 一行は船に乗らず、陸路を辿っていますが、これは、冬を迎えて航路が閉ざされていたからと思われます。ここで面白いことにルカは、エルサレムに向かう途中の、道々でのことを挿入しています。「フェニキヤとサマリヤを通る道々で、異邦人の改宗のことを詳しく話したので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした」(3) ここに言われる「すべての兄弟たち」とは、特に指定されてはいませんが、フェニキヤとサマリヤの各地に建てられた教会の人たちと考えていいでしょう。サマリヤはもちろんのこと、フェニキヤのツロとシドンにはイエスさまも行かれており、その後弟子たちが伝道した折りに、異邦人教会が各地に建てられていたと考えていいかと思われます。パウロたちが訪れたのは、そんな異邦人教会ではなかったでしょうか。使節団の結成・派遣は、これが単なるアンテオケ教会だけの問題ではなく、異邦人教会全体がかかわる重要な問題だと、その認識をルカは、この小さな挿入句で強調したのではないでしょうか。


V ただ恩寵によって

 この使節団の一員に、ルカがいた可能性を想像するのです……。もしそうだとするなら(そうでなくても)、各地の教会がパウロの報告を聞いて非常に喜んだというのは、ルカ自身もその喜びを共有したわけで、異邦人教会時代の到来を、ほんの少し先取りしての喜びだったのではと思われます。

 アンテオケからエルサレムまでの陸路の旅は、せっせと歩いておよそ20日ほどですが、使節団は途中諸教会に立ち寄って、一ヶ月近くかかったと思われます。そして、エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行われたことを、みなに報告しました(4)。ところが、そこに喜びの記述がないのは、ほぼ同じころに、アンテオケを退去した「ある人々」が、パウロたちより10日前後早くエルサレムに着いていたことによるのではないでしょうか。彼らは使節団がエルサレムにやって来ることを知っていましたから、使節団より少しでも早く着いて、対策を立てなければなりませんでした。その対策が立てられたのでしょうか。パウロたちの報告を聞いたパリサイ派の者で、信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」(5)と主張しました。

 この主張は、アンテオケに派遣された「ある人々」が教えていたことと同じですが、律法を前面に押し出すことで、ユダヤ人が神さまの選びの民であるという、彼らの基盤が浮かび上がって来るようです。割礼もそうですが、律法は、神さまとユダヤ人との契約と受け止められていました。「私がきょう、あなたがたに命じる命令ーおきてと定めーを守り行わなければならない。それゆえ、もしあなたがたが、これらの定めを聞いて、これを守り行なうならば、あなたの神、主は、あなたの先祖たちに誓われた恵みの契約をあなたのために守り、あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたをふやし、主があなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われた地で、主はあなたの身から生まれる者、地の産物、穀物、新しいぶどう酒、油、またあなたの群れのうちの子牛、群れのうちの雌牛をも祝福される」(申命記7:11-13) 「もし、あなたの子らが、わたしの契約と、わたしの教えるさとしを守るなら、彼らの子らもまた、とこしえにあなたの位につくであろう」(詩篇132:12) これがユダヤ人にとっての救いでした。彼ら民族の最大の汚点、「バビロン捕囚」の苦難は、律法を守らなかったことによると経験していましたから、「いのちがけで律法を守る」、これが彼らの信仰でした。

 しかし、パウロは、真っ正面からその信仰に異を唱えます。「人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる」(ガラテヤ2:16) ただ恩寵によって。この立ち位置は、そんな戦いを通して私たちに伝えられて来たのです。覚えたいですね。