使徒行伝

36 わが主、わが神よ
使徒 13:13−25
出エジプト 3:13−15
T パウロの地へ

 「パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた」(13-14) パウロの第一次伝道旅行、バルナバのエリア(キプロス)からパウロのエリア(小アジヤ地域)へと舞台が移ります。「パウロの一行」とあるのは、指導者がバルナバからパウロに移ったことを示しています。ここからは、パウロを中心とした働きの記録です。小アジヤの奥地に行くためには、高い海岸山脈を越えなければなりません。ピシデヤのアンテオケ自体、海抜1200bのところにあるのです。若いマルコの戦線離脱も、その辺りに原因があったのでしょうか。大きな苦労を伴ったこの伝道旅行に、重苦しい人間関係も加わってしまったと言えそうです。しかし、新しいリーダー・パウロは、そんなことにはめげません。ピシデヤのアンテオケは、大きな町でした。安息日にユダヤ人会堂に入って行きますが、礼拝を守る(加わる)ためだったのでしょう。そこで多分、祈りや律法朗読など礼拝の前半を終えたところで、会堂管理者たちが説教を依頼してきました。彼らをラビと見たのでしょうか。パウロが立ち上がります。

 「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々、よく聞いてください」(16) パウロの一回目のメッセージが始まりました。このメッセージは、16-25、26-37、38-41の三部に分けられるようです。長いところですので、二回に分けて聞いていきましょう。今朝はその第一部、16-25節からです。

 この第一部は、イスラエル建国という、語る者と聞く者とに共通な、歴史認識の確認から始まります。それはステパノの説教(7章)でも同じですが、ステパノは、アブラハム、ヨセフと、いわゆるイスラエル前史とも言える歴史を詳細になぞることから始め、モーセ、ダビデ、ソロモンまで根気よく話しました。しかしパウロは、そんな細かなことには全く触れようとしていません。その必要がなかったのです。デアスポラ(海外在住)のユダヤ人たちは、パレスチナに居住していない分、なおさら、自分たちのルーツを知ることに熱心だったのでしょう。細かなことをいちいち説明しなくても、彼らはその歴史を良く知っていました。礼拝所であり教育の場でもあった町のユダヤ人会堂が、先祖たちの歴史を繰り返し教えて来たからと思われます。そして、その学びは、パウロの経験でもありました。彼はエルサレムに留学して、人一倍熱心なキリスト教迫害者になっていきましたが、それはきっと、キリキヤのタルソで、そのような教育を受けたためだったのでしょう。


U 御腕を高く上げて

 「この民イスラエルの神は、私たちの先祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました。そして約40年間、荒野で彼らを養われました。それからカナンの地で、七つの民を滅ぼし、その地を相続財産として分配されました。これが約450年間のことです」(16-19) 450年という期間は聖書にはなく、多分、ヨセフスの「古代史」からのものでしょう。ユダヤ人の教育には、古くからたくさんの多様なテキストが用いられていたようです。ユダヤ人の知的レベルが非常に高いのは、そんなところから来ているのかも知れません。また、「七つの民を滅ぼし」とありますが、これはしばしばイスラエル批判に結びついて来ました。しかし、その七つの民族ですら前の住民を滅ぼし追い出していたわけで、古代社会の民族闘争に現代感覚を持ち込み、善し悪しを云々することは適当ではありません。もっとも、現代のイスラエル建国問題には、似たような極めて深刻な要素が絡んでいることも事実ですが……。

 しかしパウロは、それらのことには簡単に触れるだけで、モーセの名前さえ上げずに素通りしていきます。彼の関心は、福音を語ることにありました。イスラエル建国の歴史は、福音の前史なのです。その福音前史でパウロがまず掲げたのは、神さまが「御腕を高く上げて」、イスラエルをカナンでの建国にまで導いてくださったということでした。「(神さまは)サウロを退け、ダビデを立てて王とされた」(22)とメッセージが続きます。そこで引用された「わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する」(22)は、Tサムエル13:14、詩篇89:21、イザヤ44:28にあるメシア関連の箇所を、パウロ自身の言葉でつなげたものです。彼はそれを神さまの約束と聞いたのでしょう。続けてパウロは、「神はこのダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました」(23)と、メッセージの中心に踏み込みます。福音の始め、それはまず、イエスさまが私たちのところに来られたということなのです。福音前史の中で、神さまの最大のお働きは、救い主イエスさまを私たちのところにお送りになったということでした。いや、もっと踏み込んで言いますと、神さまが「御腕を高く上げて」イスラエルの歴史に関わったのは、それを端緒にイエスさまを擁し、私たち・全人類の救いに着手されたということなのでしょう。パウロのメッセージには、その救済史が次第に形を為しつつあると言えそうです。


V わが主、わが神よ

 これはまだ福音前史なのでしょう。パウロは、イエスさまがどんなお方なのか、特定しようとしています。「この方がおいでになる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に、前もって悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。ヨハネはその一生を終えようとするころ、こう言いました。『あなたがたは、私をだれと思うのですか。私はその方ではありません。ご覧なさい。その方は私のあとからおいでになります。私は、その方のくつのひもを解く値打ちもありません』」(24-25) このヨハネは、四福音書が《荒野で叫ぶ者の声がする。主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ》とイザヤの預言(40:3)に語られた人であると口を揃えている、そのバプテスマのヨハネのことです。多くのユダヤ人にとって、彼は文句なしにすぐれた《神さまの人》でした。それは、ヨハネがどんな人に対しても、王にさえへつらわず媚びもせずに神さまの側に立ち、鋭く悔い改めを迫ったからです。そのヨハネがイエスさまのことを証言していると、パウロはイエスさまの証言をヨハネにさせたのです。イエスさまにバプテスマを施したヨハネは、これ以上はない最高の証言者でした。

 ヨハネは「その方」という言い方をしていますが、間もなくおいでになると期待されていた、そのお方がメシア・油注がれた者であると、ユダヤでは誰もが分かっていたのでしょう。その方がおいでになる時、その方が私たちを救ってくださるのだと……。そんな期待が高まるほど、その時代は混乱し、不安に満ちていました。そのような中で、ヨハネこそ「その方」ではないかという声が高まっていましたが、彼は「私はその方ではありません」と否定します。これはI am not.という言い方ですが、非常によく似たI am.という言い方を、イエスさまがしておられる(ルカ22:70、マルコ14:62)のです。これは、モーセが「あなたのお名前は?」と神さまに質問した時に、神さまが「わたしは、『わたしはある』という者である」(出エジプト3:12-15)と答えられた、その「わたしはある」という神さまの宣言を、イエスさまはご自身のものとされている、と聞かなければなりません。バプテスマのヨハネが「その方の前でくつのひもを解く値打ちもない」と言ったのは、「ある」お方に対して、自分は「ない」存在でしかない、という告白ではなかったでしょうか。 実は、ヨハネのこの部分は、各福音書にはない表現ですが、それを加えることで、「イエスさまは、神さまご自身である」という福音の中心課題に迫っていく、それは、恐らく、パウロ神学の発露であったろうと思われます。そんな師匠の信仰を引き継いだのでしょう。ルカは、余分なことを差し挟まず、ヨハネの証言をもって、パウロのメッセージの第一部を閉じます。そのメッセージを、筆者ルカ自身も心を込めて聞いていたのでしょうか。