使徒行伝

35 今、主のお働きを !
使徒 12:24−13:12
詩篇 2:1−12
T 教会世界の広がりが

 前回、挿入句「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った」(12:24)は、現代の私たちも含め、《神さまを恐れる者たち》へのエールではなかったかと聞きました。しかし、それはまた同時に、誕生したばかりのアンテオケ教会の働きを念頭に置いていると思われます。ルカは、11:30で「彼らはそれ(支援)を実行して、バルナバとサウロの手によって(エルサレムの)長老たちに送った」と記し、一時止めていたアンテオケの記事を再開します。「任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから(アンテオケに)帰って来た」(12:25)

 11:30と12:25の間には、ヘロデ・アグリッパによる使徒迫害の記事がありますが、バルナバとパウロのエルサレム滞在は、その最中のこととされています。それにしては、再登場するパウロの記事に迫害への言及がないのは何故なのか不明ですが、ある注解者は、パウロたちのアンテオケ帰還が、ヘロデの死後、恐らく46年頃(飢饉の頃)のこととして、ショックを和らげる期間を経てのことであったろうと推測しています。しかし、その迫害がエルサレム教会の力を殺いだことは否めず、ペテロの退場(12:17)は、エルサレム教会が教会歴史の表舞台から退場したことと重なっています。代わって異邦人クリスチャンを擁したアンテオケ教会が登場し、その立て役者として、バルナバとパウロの再登場も、自然な流れだと感じさせてくれます。

 「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟(幼友達)マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい』と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した」(13:1-3) このような名簿は、1:13の使徒名簿、6:5の教会執事名簿に続いて三回目ですが、それだけに、彼らを重んじたアンテオケ教会の一つの意識が伝わってくるようです。バルナバ、シメオン、ルキオ、サウロの4人はデアスポラのユダヤ人で、ヘレニズム世界に生きており、マナエンはパレスチナ生まれのユダヤ人でしたが、国主ヘロデ(アンティパス)の幼友達でしたから、彼もヘレニズム世界の影響を受けていて、この名簿は、アンテオケ教会がその活動の場として、ヘレニズム世界を見据えていたことを物語っています。


U 伝道者パウロの歩みが

 彼らは預言者や教師と呼ばれました。エペソ4:11によりますと、いづれも教会の役職と思われますが、その区別は?となると、はっきりしません。教師については、現代の私たちにも違和感なく腑に落ちるでしょう。ところが、預言者となりますと、そのイメージは旧約的でしかありません。ルカ時代の預言者とはどんな人たちだったのでしょうか。旧約的な預言者は当時まだ健在で、現役として活躍していました。11:27-28に記される人たちはその一例です。しかし、ここにかい間見える教会の組織図は、彼らアンテオケ教会を担う人たちが、時間をかけて造り上げて来た、エルサレム教会の到達点(現在)から始めようとしていたのではと映って来ます。その意味で、預言者(教師も)は旧約的な存在に加え、神さまのことばを伝え、解き明かす人たちではなかったかと思われます。それは、次第に出来上がりつつあった「新約聖書」(まだ書簡であったり、福音書の断片的な一部であったが)をテキストに用いながら礼拝でメッセージを語る、極めて現代的な意味での説教者に近いと感じさせてくれます。もちろん「預言者」と呼ばれるくらいですから、洞察力にもすぐれていました。「聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい』と言われた」とあるのは、彼らの中の誰かが預言者として語ったのでしょう。アンテオケ教会の大きな特徴でしょうか、神さまのことばが、聞かれるべき中心に位置づけられている。そこで彼らは断食と祈りをし、バルナバとパウロの上に手を置いてから送り出しました。ふたりの上に手を置く、つまり按手は、彼らふたりを神さまの恵みに委ねたことを意味します(15:40参照)。以後、彼らはその恵みのみに依り頼みつつ、福音の伝道者として全行程を走りぬきました。

 「ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った」(4)《パウロの第一次伝道旅行》と言われる、宣教活動の開始です。これを皮切りにパウロは4回もの伝道旅行を行ない、ローマで殉教するのですが、伝説では、遠くスペインにまで足を伸ばしたと伝えられます。殉教直前に書かれたと思われるテモテ第二の手紙には、「私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のたえめに用意されているだけです」(4:7)とあります。今、伝道者パウロの歩みが始まりました。


V 今、主のお働きを !

 キプロスはバルナバの故郷であり、また、ステパノのことから起こった迫害で散らされた人たち(11:19)によって、福音がもたらされていました。そんなことも考慮してでしょうか。主は彼らをキプロスに導かれます。「サラミスに着くと、ユダヤ人の会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師に出会った」(5-6) 東西に細長いキプロスのサラミスは東端、パポスは西端です。島全体を巡回してとあり、かなり時間をかけて働いたのでしょう。しかし、それにしては、キプロスでの働きをほとんど省き、このユダヤ人魔術師とのことを、まるでこの段落の中心でもあるかのように取り上げている。「この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとパウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした」(7-8) 彼はバルイエス(アラム名)ともエルマ(ギリシャ名)とも呼ばれていたようですが、どちらでも通用するほど有名な、実力派の魔術師だったのでしょう。総督お抱えになったことも、実力のうちと頷けます。ユダヤでは魔術や占いのたぐいは厳しく禁じられていましたが、現実にはたくさんの魔術が行われていたようです。しかも、海外のユダヤ人世界でのことですから、シンクレティズム(宗教混合)現象があり、その背景のもとで、魔術といった神秘宗教がはびこっていたのかも知れません。エジプト、フェニキヤ、ギリシャの中間点にあるキプロス島で、その傾向は一層著しかったのでしょうか。

 魔術師である彼は、また預言者を自任していました。きっとユダヤ人の誇りが、魔術師より預言者を格上としていたのでしょう。ルカが彼を「にせ預言者」と言ったのも、そのためです。ですから彼は、総督に招かれてやって来たパウロ一行を、彼流に警戒しました。その力を恐れたと考えていいでしょう。そしてパウロは、まさに彼が恐れた本物の力を、行使するのです。聖霊に満たされたパウロは、彼を睨みつけて言います。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる」(10-11)「するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った」(11) この時からサウロが、ラテン語名パウロ(小さき者)で呼ばれるのは、それがヘレニズム世界での働きだからなのでしょう。この記事は、その世界で彼が主に召し出された本物の伝道者であると、強烈にアッピールしているのです。13:1にある役職名簿に、恐らく最年少だったために末席に名を連ねたパウロが、しかし、ここで聖霊に満たされたパウロが、この記事の主役なのです。この出来事を見たキプロスの総督が、「主の教えに驚嘆して信仰にはいった」(12)のは、そんなパウロをお用いになった、主ご自身のお働きでした。現代も同じ主のお働きを!と、期待したいのです。