使徒行伝

34 主がともにいてくださるから
使徒 12:1−24
詩篇   1:1−6
T ヘロデ・アグリッパ一世

 「そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」(1-2) このヘロデ王は、ヘロデ大王の孫・ヘロデ・アグリッパ1世のことです。彼は少年時代にローマで教育を受け、ローマ社交界の最上層サークル入りを果たしました。その時の友人カリグラが皇帝になったことから、ユダヤの王位を与えられ(AD37)、ヘロデ・アンティパスが追放された時やクラウデオが皇帝に就任した時には、その封地(領地)はパレスチナ北部からユダヤ・ペレアにまで広げられ、パレスチナ全域の王として、東方諸国の間に強大な地位を確立しました。その地位保全のために、彼は皇帝の友人という特権等を利用しましたが、ローマ社会の一員と見なされることを嫌い、ユダヤ人として東方の世界で生きる道を選んだようです。そんな中で、ユダヤ社会を守り抜き、民衆の安寧を求めるという姿勢を強めていきます。

 彼はユダヤ社会の事情に通じており、ナザレ人イエスの一派と言われる新しい集団・教会を嫌う(憎む)ユダヤ人感覚を良く知っていて、それが教会迫害に手を伸ばす理由になったのでしょう。もしかしたら彼は、ローマから独立した東方諸国の、統合王国建設を夢見ていたのかも知れません。その中心はもちろん、ユダヤ王たる彼自身です。クラウデオ帝から停止命令が出て挫折こそしましたが、エルサレム防衛を強化しようと、新市街のまわりに城壁を建設する計画に着手したり、帝国東部の属王たちを統合する動きすら見せました。ユダヤ民衆の歓心を得ようとする教会迫害は、彼のそんな思いから出たものと言えましょう。もっとも、その突然の死(23)はAD44年のことであり、ペテロの逮捕に続く事件であったとしますと、教会迫害はエルサレム新市街の城壁建設着手より後のことと思われますから、彼に多少あせりがあったのでしょうか。すでに絶頂期を過ぎていたのに、彼はそのことに気がつきません。

 そんなヘロデ・アグリッパのことを、ルカは何も説明しようとはしていません。きっと、読者である異邦人教会の人たちが、「ああ、あのアグリッパか」と、彼のことをよく知っていたからと思われます。


U 迫害の時代に

 教会迫害、その手始めに彼は、ヤコブを剣で処刑しました。このヤコブはゼベダイの子、ヨハネの兄弟ヤコブのことです。ペテロ、アンデレとともに早い時期にイエスさまの弟子になった人で、ペテロやヨハネのようには目立ちませんが、よく考えてから行動する沈着な性格が買われたのでしょうか。教会では重んじられていたようです。それにしてもなぜヤコブが……と、いろいろ想像したくなりますが、ルカが沈黙していますので、分からないという答えがベストなのでしょう。

 ヘロデは教会の情報をかなり正確に入手していました。それも、政治家として情報を手に入れていたようです。すでに、教会初期の「すべての民に好意を持たれ」(2:47)とあるエルサレム住民の意識は変化しており、教会への反感すら生まれていたと思われますが、彼が得たのはそんな人たちからの情報です。ですから彼は、イエスさまの教えを、救いにかかわる福音としてではなく、ユダヤ社会の和を乱す反社会的宗教として、教会はその不穏分子集団と見ていたのでしょう。当然、中心となる指導者(使徒たち)を調べ上げていました。ヤコブを手にかけたのも、そんな情報から、やり玉に上げるべき第一の人物と判断したのかも知れません。「それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった」(3)とあり、ヤコブ処刑後の街の様子や教会の情報などを再収集、分析しているのです。慎重な政治家でした。しかし、街の声とは裏腹に、教会に衝撃や動揺は見られず、普段と同じように(と、王の目には映った)祈りに専念していました。教会は、ユダヤ社会から憎まれ、必ずや新たな迫害があるだろうと覚悟していたのでしょう。彼らはステパノのことを忘れてはいなかったのです。そんな教会の様子に腹を立てたのか、それならペテロをと、王はエスカレートしていきます。


V 主がともにいてくださるから

 ヘロデ王のことに時間をかけ過ぎました。しかし、ルカの関心はヘロデには向いていません。イエスさまによるペテロの救出劇こそ、このところの中心主題であり、そこに教会の人たちの熱心な祈りが加えられています。「ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。ところで、ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた」(4-6) ヘロデがここまで厳重にペテロを拘束したのは、以前、サドカイ派の人たちがペテロとヨハネを捕らえた時に、「夜、主の使いが牢の戸を開き、彼らを連れ出した」(5:18)という情報があって警戒したためと思われます。それは神さまの関与を示す報告だったのに、彼はそのお方を無視し、二倍三倍にも監視を強化しています。この段階で、ヘロデはそのお方を敵に回してしまったと言えるでしょう。ルカの意識では、この時期の神さま・主とは、イエスさまを指しています。

 主のお働きが始まります。「すると突然主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、『急いで立ち上がりなさい』と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。そして御使いが、『帯を締めてくつをはきなさい』と言うので、彼はそのとおりにした。すると、『上着を着て、私について来なさい』と言った。そこで外に出て御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いはたちまち彼を離れた。そのとき、ペテロは我に返って言った。『今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ』」(6-11) 過越の祭りの時期に…、ペテロの熟睡、御使いの出現と退去…など、見たいところはたくさんありますが、今回は二つのことだけに絞ります。

 その一つ目です。主のお働きが、なぜ、ペテロの脇腹を叩いたり、帯を締めてくつをはきなさい……など、細かな指図をしてまで救いを実現しようとしておられるのでしょうか。頑丈な鎖がはずれ、鉄の門がひとりでに開いたのは主の力を示す奇跡ですが、ペテロを安全圏に移すまでそんな力を行使されてもよかったと思われるのに、そうはされていない。5:19で「主の使いが彼らを連れ出した」と結果だけの報告だったことを考えると、この記事は異常なほどペテロを介入させています。或る注解者はそれを《ほかの場所で新しい働きに就かせるため》と指摘しますが、きっと、その通りなのでしょう。「主がともにいてくださる」と、ペテロにもう一つの信仰を重ねさせてくださったのです。もちろん、そこには教会の祈りがあったことも忘れてはならないでしょう。

 二つ目です。救い出されたペテロは、エルサレム教会の中心となったマルコの母マリヤの家に行きました(12-17)。熱心に祈っていた人々は驚きますが、ルカはその驚きを隠そうとはしていません。それは、そんな教会が、しかし、この出来事の証人となったという彼のメッセージなのでしょう。続く虫に噛まれて息が絶えたというヘロデの死(18-23)は、「神さまに栄光を帰さなかったからである」と言われ、神さまを恐れる者と恐れない者の対比、これが12章に描かれたルカの中心メッセージでした。ですから、「主のみことばは、ますます盛んになり、広まっていった」(24)とある挿入句は、異邦人教会(現代の教会をも含む)への励ましのエールではと聞こえてくるのです。