使徒行伝

33 キリスト者の歩みは
使徒 11:19−30
イザヤ 66:18−21
T 異邦人教会の誕生

 ローマ軍人コルネリオが、ペテロを招いてイエスさまのことを聞いた。そして、信じ、受け入れたというカイザリヤでの出来事を、ルカは、教会の歴史にとって、極めて重要な分岐点であると受け止めました。そしてルカは、教会が選択した方向を決定づける記事として、アンテオケを取り上げます。「地の果てまで」(1:8)というイエスさまによる福音の広がりが、いよいよ本格的に始まるのです。ここから使徒行伝は後半に入っていきますが、今朝のテキストは、その序章と言えるでしょうか。

 「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった」(19) この記事をルカは、8:4の「散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」につなげているようです。きっと、「フェニキア、キプロス、アンテオケまでも進んで行った」とあるその地名は、彼らが辿ったユダヤ、サマリヤからの延長線上だったのでしょう。フェニキアは、神殿や宮殿の建築資材として用いられた、糸杉で有名なところです。ガリラヤからも近く、海路を辿るとキプロスに至り、陸路を北に辿るとダマスコからアンテオケ(シリヤの首都)に至ります。ただ、8:4でもこの19節でも、彼ら伝道者たちは、ユダヤ人だけを宣教の対象としていました。それはユダヤ人の宗教意識によるもので、彼らは神さまとの関係を、ユダヤ人という枠の中だけで見ていたのです。パレスチナの外に目を向けたのは、海外居住のユダヤ人が増えていたからなのでしょう。

 そんな中で、アンテオケが、異邦人クリスチャンの中心教会として、教会の歴史という大舞台に登場してきます。「ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシャ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った」(20-21) 「キプロス人とクレネ人」、これはキプロス(地中海東端にある島)やクレネ(アフリカの地中海沿岸部にあるギリシャ植民都市)生まれのユダヤ人という意味です。そこはギリシャ文化圏でしたから、同じ文化圏のアンテオケで、ギリシャ人に会う機会も多かったと思われます。伝道者たちはギリシャ語でイエスさまのことを宣べ伝え、ギリシャ人にも福音が……とは、自然な成り行きでした。これはルカが待ち望んでいた展開ですが、それにしても淡々と書かれています。アンテオケ教会がルカの母教会だったからでしょうか。


U 聖霊と信仰に満たされて

 しかしルカは、その淡々とした記事の中に、「主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った」と、強い思いを込めた一文を添えています。この一文は恐らく、アンテオケ教会の一員で、教会誕生の様子を知る人の証言と思われますが、その証言をルカはそのまま記録しているようです。もしかしたら、その証言は、ルカ自身のものなのかも知れません。この書(使徒行伝)そのものが主のお働きの記録であるとルカが繰り返し語っていることも、ルカの信仰の原点が、「主の御手が彼らとともにあった」というところからのスタートであるなら、頷けるではありませんか。

 このように想像するなら、「この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして大ぜいの人が主に導かれた」(22-24)とあるアンテオケ教会の初期の動きが、手に取るように伝わって来ることも、なるほどと思わせてくれます。特にバルナバに関する記事では、彼が「りっぱな人物で、聖霊と信仰にみちている人であった」と、教会の大半の人たちの思いをそのままを記事にしているようですが、アンテオケ教会の草創期に、ルカ自身がそのように感じたひとりではなかったかと思われてなりません。ルカが師と仰いだ人はパウロでしたが、バルナバはその恩師と並ぶ信仰の大先輩です。ルカ(と教会の人たち)が、バルナバを通して主ご自身を見たことは間違いないところでしょう。

そしてバルナバも、そんな期待に応える働きを展開したと思われます。彼はキプロス生まれのユダヤ人でしたから、アンテオケとは同じギリシャ文化を共有していましたが、しかし、その共有するとろが全く同じというわけではありません。そこで働くには、もっと適わしい人物が必要であると考えたようです。彼が白羽の矢を立てたのはパウロでした。「バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」(25) キリスト者(クリスチアノス=クリスチャン)とは、キリストに似た者という意味で、バルナバが「聖霊と信仰に満ちている人」と呼ばれたことにつながります。パウロも……。そして、それはやがて、バルナバやパウロだけでなく、教会の人たちみながそのようになっていったのではないでしょうか。


V キリスト者の歩みは

 「そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。その中のひとりでアガポという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った」(27-30) クラウデオはAD41-54年の皇帝ですが、その治世に何回もの飢饉や原因不明の食物流通の不具合が起きているようですので、この「世界的大飢饉」がいつのことなのか、分かっていません。比較的安定した政治を行なったクラウデオ帝ですが、しかし、そんな飢饉のあおりを受けてか、民衆からの不人気のそしりは免れ得ず、それは、当時の社会情勢が決して安定したものではなかったことを物語っていると言えそうです。その不安定さは、特に食物流通に限れば、ユダヤのような帝国末端では、一層長引いたのではと想像します。アンテオケ教会の人たちは献金を集め、バルナバとパウロに託してエルサレム教会に送ります。エルサレム教会の窮乏を知ったからでしょうか。

 ところで、なぜこの「大飢饉」「エルサレム教会への献金」というアンテオケ教会の出来事に、預言者が登場して来るのでしょうか。或る注解者は、「飢饉が始まる前から献金を集め、それを貯めておいてエルサレムに送った」その根拠であろうと考えました。それもあったかも知れません。しかし、教会は、この預言者群の働き(アガポについては21:10も参照)を教会へのメッセージと聞いているのです。だからルカは「(彼らが)御霊によって預言した」と、わざわざ付け加えている。彼らがイエスさまの弟子であったかどうかは不明ですが、少なくとも彼らは教会を意識していましたし、ルカは、彼らが御霊(イエスさま)によって動かされたと認識していました。教会は、彼らのメッセージを、イエスさまが語られた(ルカ21:5-36)、終末的なことがらであると受け止めたのではないでしょうか。その危機に教会はどう対処しなければならないのか。それは極めて現代的な問いかけでもあります。

 飢饉は世界的でしたから、エルサレム教会だけでなく、各地の教会でもっと困窮しているところがあるに違いない。その状況を一番把握しているのは、母なるエルサレム教会であろうと考えたのでしょうか。きっとアンテオケ教会自身も、その飢饉の影響を受けていた筈です。しかしルカは、キリスト者たる者、どんな事態に置かれても(それが終末であっても)、他の人に、そして何よりも主に心を向けることを第一にすべきであると、私たちにエールを送ってくれます。「(贈り物を)エルサレム教会に送った」のは、神さまに!という意味なのではないでしょうか。ルカの目には各地の教会が映っていた、と思われてなりません。