使徒行伝

31 主のお働きの中で
使徒 10:44−48
イザヤ 57:15−19
T 主の証人として

 ペテロとコルネリオの出会いは、クライマックスを迎えます。「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に聖霊がお下りになった」(44) 「ペテロが話し続けている」とは、同行したヨッパのクリスチャンたち(11:12によれば、6人)のことを考えますと、当時、家々の教会で持たれていた「賛美と祈りとみことば」という、初代教会以来の素朴なキリスト教式集会が、ここでも持たれたのではと思われます。ただ、パンを裂く交わり・聖餐式(キリスト教会であることの証)は行われなかった。28節にあるあいさつ程度の短いメッセージとは別に、この二回目のペテロのメッセージが、イエスさまの証人としての十字架やよみがえり、更に罪の赦しにまで言及しているのは(34-43)、これがこの集会で語られる本格的なメッセージだったからではないでしょうか。「なおも………話し続けている」と言っているのは、このメッセージがもっと長いものだったことを示しています。

 ペテロが続けて話していた、その内容までは分かりません。しかし、11:18には「神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになった」とあり、3章や4章などにあるペテロの説教に準じていたとすれば、当然ここでも、「あなたがた(の罪)がイエスさまを十字架につけた」という、福音の核心部分にも触れたのではないかと想像します。それがあって初めて、「悔い改めて神さまに立ち返る」(3:19)、また「この方以外に救いはない」(4:12)と、聞くことが出来るからです。しかし、ペテロがユダヤ人に問いかけてきた「罪」は、イエスさまを十字架にかけて殺したという事実に対してでしたが、コルネリオたちがその現場にいたわけではありません。彼らの「罪」は、より根元的な、神さまに対してのものでなければならない、という認識が生まれていたのかも知れません。しかし、この部分をルカは削除してしまいました。もともとアラム語で語られたペテロの説教を、この集会ではギリシャ語に通訳されたようですから、ルカの手許にはかなり荒っぽいギリシャ語資料が残されていて、ルカはそれにほとんど手を加えていません。そんなこともあって、その辺りの認識は、ルカにとって未成熟と感じられたのでしょうか。

 しかし、コルネリオの家に集まっていた人たちはみな、そのメッセージを熱心に聞いていました。ところが、そのメッセージが中断されてしまうのです。聞いていた人たちに「聖霊がお下りになった」からです。彼らに聖霊が下ったことは、「彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いた」(46)と、ペテロに同行した人たちが確認し、それは聖霊のお働きによるものであると認定されました。


U 主の霊が

 ペテロは「私たちと同じように」(47)と、自分たちへの聖霊降臨(2:1-4)を思い出しながら言っているのでしょうが、それは、彼らが聖霊に満たされたことの承認、つまり、彼らはイエスさまに招かれて福音を受け入れた者たちである、ということの認定だったのでしょう。その認定は、ペテロと同行したヨッパのクリスチャンたちに一致したものでした。「割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた」(45)とあります。だからこそ、エルサレムの教会で、ペテロの行動が批判された(11:1-3)のです。彼らの認定に異議を唱えたということなのでしょうか。少なくともルカは、若干の反抗心を込め、そのように受け止めているようです。

 エルサレム教会のクリスチャンたちにとって、いくらヨッパの人たちが束になって証言しても、それを受け入れ難いのは、きっと、私たちの承認こそキリスト教会の唯一の基準となるべき、と考えていたからなのでしょう。それは、ユダヤ人世界におけるエルサレム優位の考え方が、教会にも入り込んでいたということに他なりません。まして、エルサレムの教会設立は、イエスさまのご命令によっていました。ルカがヨッパのクリスチャンたちの感覚を大切にしたのは、そんなエルサレムの「権威」に対する反感があってのことと感じます。ルカにとっての権威とは、そんな「人間的」なものではなく、神さまから来るものでなければなりませんでした。

 彼がことばを選びながら慎重に、しかし極めて大胆に《これこそもっとも大切なことである》としたのは、「みことばに耳を傾けていたすべての人々に聖霊が下った」という点です。2章にあるペンテコステの時にエルサレムで弟子たちに聖霊がくだった記事と並べてみますと、ルカの強い思いが伝わって来るでしょう。「五旬節の日になって、みなが一つところに集まっていた。すると突然、激しい風が吹いて来るような響きが起こり……するとみなが聖霊に満たされた」(2:1-4) この集まりは「みなが心を合わせ、祈りに専念していた」(1:14)というものでした。しかしそれだけでは、今、立てられようとしている異邦人教会にとって、極めて不安定な要素でしかありません。しばしばそれは、イエスさまを抜きにしても成立し得る、「宗教的要素」なのです。宗教には、エクスタシー(宗教的興奮状態)を霊に満たされたと勘違いすることがある。恐らく、当時の異邦人教会に、そのような擬似的聖霊降臨事件が起こっていたのではないか(現代も同じ)、と想像してしまいます。


V 主のお働きの中で

 起こりつつあるさまざまな問題を感じながら、ルカが《もっとも大切なこと》として掲げたのは、「みことばに耳を傾ける」ということでした。それは、エルサレム教会を中心とする使徒の時代を終え、教会の第二期とでも言ってもいい異邦人教会の時代を迎えて、何よりも神さまのお働きは、「みことばが聞かれる」中で押し進められなければならない、という思いを強く抱いたからと思われます。「みことば」(いくつかの翻訳がこのように訳している)とあるのは、「ことば」(ロゴス)に定冠詞がついているだけですので、この「ことば」は直接的には「ペテロが話し続けている」にかかっているのですが、それをわざわざ「(神さまの)みことば」としたのは、聞いた人たちが、そのメッセージを神さまからのものと聞いたことによります。これは、ルカの意識をしっかり受け止めた翻訳と言えるでしょう。語る者と聞く者がともにみことばを囲み一つ思いになって「聞く」、これが礼拝の中心なのです。その時、語る者は、主に招かれ、委託されてみことばの宣教者とされたのですから、語る責任があり、聞く人たちも、神さまの前でそのみことばを聞く姿勢を養わなければなりません。そもそも「みことば」は、イエスさまご自身のことである、と覚えておきたいのです。ヨハネが「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(1:14)、と証言している通りです。現代の私たちも、礼拝で「みことば」が語られ、聞かれているかと、問い直してみる必要があるのではないでしょうか。

 イエスさまのお声を直に聞いていた時代とは違って、異邦人教会の人たち(現代の私たちも)は、「みことば」(聖書とそのメッセージ)を通してでなければ、その教えに触れることは出来ません。聖霊に満たされるとは、その教えに直接触れる機会を頂いたということなのです。なぜなら、聖霊はイエスさまご自身なのだと、それはルカがこれまでに何度も繰り返し主張して来たことでしたから。ですから、「みことばに耳を傾けていた人たちに聖霊が下った」ことと、「聖霊に満たされた人たちはみことばに耳を傾けていた」ことの間に、時間差はないと考えていいのではないでしょうか。ペテロの説教を聞いている時に、主の霊が彼らの内に働かれ、彼らの福音理解を助け、深めた。だからこそ彼らは、自分たちの罪がイエスさまを十字架にかけたのだと、そして、その十字架が自分たちの罪の赦しであると聞くことが出来たと思われるのです。主のよみがえりを信じたことも、聖霊のお働きであることは言うまでもありません。ペテロは彼らの中に、その聖霊のお働きを認めました。そして、委託された使徒の権威をもって命じるのです。「イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けなさい」(48) それは、主への信仰の応答に他なりません。その信仰を私たちも共有したいではありませんか。