使徒行伝

28 主のみわざの広がりを
使徒 9:31−43
イザヤ 26:7−9
T ピリポが歩いた道を

 「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った」(31) 「さてペテロは……」(32-)とペテロの記事に入る前に、ルカは小さな挿入句を差し挟みます。この挿入句は、パレスチナ全域に教会が増え広がり、教会が前進し続けていくさまを簡潔に描写しているようですが、新共同訳では「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」とあり、「平和を保ち」「基礎が固まって」と、クリスチャンにとって、迫害が一時休止し平和な時代を迎えている中で、教会がしっかりと教えるべきことを教え、信仰生活のイロハ指導を行ない、教会の「基礎」を固めていることが強調されています。ですから、この挿入句では、教会の著しい宣教活動と基礎固めという、二つのことが取り上げられているのです。その二つの要素が、パウロの記事(9:1-30)とこの挿入句に続くペテロの記事(32以下)をつないでいるのでしょう。今朝はペテロの記事の、二つのステージを見ていきます。

 31節に、「基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」とありますが、他の挿入句にも見られるように、この言い方は、必ずしも額面通りに聞く必要はありません。むしろ、平和な時代を迎え、今こそ成長の時なのだと、その成長を先取りしたフレーズと聞いたほうがいいでしょう。

 そんな教会の成長を願ってでしょうか。エルサレムに留まっていた使徒たちが、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤと、各地に建てられた教会を巡回し始めました。ペテロの記事はその一こまです。「さてペテロはあらゆる所を巡回したが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った」(32)と、ルダでの活動が紹介されます。ルダはパレスチナの地中海沿岸から少し内陸に入ったシャロン平原の、サマリヤとユダヤの境目辺りに位置する町ですが、地中海沿岸部にあるガザ、アゾト、カイザリア(8:40)と聞きますと、エチオピアの宦官に洗礼を授けた後にピリポが辿った道筋です。ペテロは、ピリポが歩いた道を辿り、ピリポの働きで誕生したクリスチャンたちを励ましながら巡回し、ルダにやって来ました。そこは(多分、ヨッパやカイザリアも)ユダヤ人の町ですが、エルサレムを中心としたユダヤ人社会からは遠く離れた、むしろ異邦人の感覚に近い地方でした。


U 立ち上がりなさい

 「彼はそこで、八年の間も床に着いているアイネヤという人に出会った。彼は中風であった。ペテロは彼にこう言った。『アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。』すると彼はただちに立ち上がった」(33-34) このアイネヤは、恐らくクリスチャンでした。福音の伝播は、「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土……」(1:8)という図式でしたから、エルサレムから遠く離れたルダやヨッパのようなユダヤ人の町にも、少数ながらクリスチャンが誕生し、エルサレム教会と同じように小さな家の集会が始まっているという報告が、エルサレム教会まで届いていました。その報告をもとに、ペテロはサマリヤとユダヤ地方にある家々の教会を巡回していたと思われます。だからこそ、ペテロは、「イエス・キリストがあなたをいやしてくださる」と言ったのでしょう。そして、アイネヤもまたペテロのことばをイエスさまを信じる者として理解しました。「イエスさまがいやしてくださる」、この信仰がペテロとアイネヤに共通要素となっていたのは、かつてイエスさまが同じ中風の人をいやした(ルカ5:17-26)ことなどが、家々の集会で何度も語られていたからなのでしょうか。彼は今まで、それをどこか遠くで起こったおとぎ話のように聞いていましたが、今、イエスさまの一番弟子と目される使徒の口から、「立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい」と聞き、イエスさまも「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われたのだと、その奇跡の発端を思い出したのかも知れません。ルカは、この時のペテロを、見事なまでにイエスさまに重ね合わせています。そして、アイネヤにもまた、その不思議な重なりが起こったのだろうと想像します。「立ち上がりなさい」と、彼は聞きました。ですから、彼は「ただちに立ち上がった」のです。この記事は、聞いて立ち上がるまでの時間を全く感じさせません。ルカはこの出来事の資料を見て、「立ち上がりなさい」と言われてすぐにアイネヤが立ち上がったと、理解したのではないでしょうか。但し、「そして自分で床を整えなさい」が何を意味していたか、その辺りは曖昧です。ある注解書は、「食卓の用意をしなさい」ではないかと、思い切った訳を提案しているのですが……。

 「ルダとサロンに住む人々はみな、アイネヤを見て、主に立ち返った」(35) サロンはシャロン平原のことでしょうね。それがルダ近辺のことであったとしても、かなり広範囲までこの出来事が伝わっていたことが窺えます。そして、これが福音伝播につながっていったとルカは締めくくります。


V 主のみわざの広がりを

 ルカはペテロの記事をもうひとつ伝えます。内陸部ルダから地中海沿岸(約10`)に出てきますと、小さな漁村ヨッパ(今はイスラエルの首都テル・アビブの一部)に行き当たり、これはそこで起こった出来事です。「ヨッパにタビタ(ギリシャ語に訳せばドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。ところが、そのころ彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。ルダはヨッパに近かったので、弟子たちは、ペテロがそこにいると聞いて、人をふたり彼のところへ送って、『すぐに来てください』と頼んだ。そこでペテロは立っていっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、『タビタ。起きなさい』と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。そこでペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちとを呼んで、生きている彼女を見せた。このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた」(36-42) この奇跡は、ルダでのアイネヤと同じですので、たくさんの説明は不要かと思います。タビタのよみがえりは、イエスさまがカペナウムの会堂司ヤイロの娘をよみがえらせたケース(ルカ8:43-56)に重ね合わせられています。ルカはここに、ペテロの祈る姿を載せていますが、これもイエスさまのなさったことという証言なのでしょう。

 いくつか問題点をピックアップしておきたいのですが、そこから、この記事を選んだルカのメッセージが浮かび上がって来るようです。37節でタビタの遺体を「屋上の間に置いた」とあるところを、新共同訳など多くは「安置した」としていますが、ヨッパの弟子たちは恐らく、ただ「置いた」だけでした。ルダでのアイネヤのことを聞いていたからなのでしょう。ペテロに「すぐ来てください」と願ったのは、単なる葬儀依頼でなく、何らかのいやし、悲しむ人たちへのいやしの希望(期待)があったことは間違いありません。もしかしたら、「よみがえり」への期待も含めて……。タビタの家の集会(多分)に集まるクリスチャンを、弟子(38)と聖徒(41)と言い換えながら強調していることも含め、彼らの信仰が彼女のよみがえりにつながっていると聞こえてきます。もう一つは、タビタという名前をわざわざ「ギリシャ語でドルカス」と(ルカ自身が)説明し、やもめたちがその呼び名を日常で使っている(39)のは、恐らく、ギリシャ語圏への宣教を視野に入れてのことであるとの、この後ペテロがヨッパにしばらく滞在した(43)ことも含め、ルカの強い意識なのでしょうか。異邦人に福音が……。私たちのところまで伝えられた福音の、新しい時代が動き始めました。ここから、その鼓動が聞こえて来るようではありませんか。