使徒行伝

27 新しい基地に向けて主が
使徒 9:19b−30
イザヤ 66:18−21
T 宣教者パウロ

 「サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた」(19b)という記述は、主ご自身がパウロを福音の宣教者として選ばれたという、アナニヤの証言によって実現したのであろうと、前回触れました。ところでガラテヤ書に、「(主が私を召された時、私は)先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました」(1:17)とあります。「数日の間……」が、アラビヤに出て行く前後のどちらかは、アナニヤによるパウロの紹介とその受洗の次第が、ダマスコ在住のユダヤ人クリスチャンたちに説明されたことと照らし合わせますと、アラビヤに行く前と考えたほうが妥当かと思われます。何のためのアラビヤ行きなのか、それは、主との交わりと祈りのためではなかったろうかと想像します。ダマスコに境を接していた近隣のアラビヤと言えば、砂漠地帯でしたから……。或る注解者は、宣教のためにナバテア王国に行ったのだろうとするのですが、恐らくそうではありません。主を纏うというか、主とともにある歩みを願ってのことではなかったかと思われます。それが彼の力の源泉でした。その期間は、そんなに長くはなかったでしょう。

 そして、ダマスコに戻るとすぐに、力のこもった働きが開始されました。「そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた」(20) 「イエスは神の子である」とは、クリスチャンになったパウロが到達した信仰告白なのでしょう。彼は、クリスチャンたちがイエスさまをそう呼ぶことに反発して、強烈な迫害者になったのですから、この信仰告白は、彼の神観が根底から変えられたことを意味しています。これを聞いた人々は、驚きました。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか」(21) パウロの変身を誰よりも驚いたのは、熱心なユダヤ教徒たちでした。ですから、イエスさまを信じる信仰に同意し受け入れたかどうかは別にして、彼らはパウロの信仰告白の証人になったと言えそうです。以前、ダマスコのユダヤ人たちは、大祭司の通達を受け取っても、一向にエルサレム当局の意のままにはならなかったと触れましたが、自由主義者が大半を占めていたダマスコのユダヤ教徒たちも、パウロがますます力を増して「イエスさまはキリストである」(22)と論証しているため、パウロの宣べ伝える福音を〈信じるか、反発するか〉という、二者択一の選択を迫られていきます。「うろたえた」(22)とは、そのことを意味しています。


U 二つの選択

 「多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた」(23-24) 「多くの日数がたって後」とは、恐らく、ガラテヤ書(1:18)に言われるダマスコでの3年間を指していますから、ユダヤ人たちほとんどが福音を聞き、相当数の人たちが信じ、或いは信じる方向に傾いていたであろうと思われます。しかし、ダマスコのユダヤ人社会のそんな動きに、ユダヤ教の正当派指導者たちは、危機感を募らせていったのでしょうか。恐らく、指導者たちは強硬派(保守)に凝り固まっていき、次第にその声が大きくなり、ついにパウロを殺す方向に走り始めました。殺すことではその芽を摘み取ることが出来ないと、彼らは、かつてエジプトの圧制者・ファラオのもとで、経験したはずですのに……。しかし彼らは、「殺す」ことを選択しました。それは、彼ら権力者たちの、憎悪の深さ示すものではないでしょうか。そこには、神さまの啓示から出発したユダヤ教という、彼らの原点のかけらすら残っていないと感じられるではありませんか。「相談」とは、二者択一、どちらを選択するかという、ユダヤ教徒としての方向の確認をも含んでいたと思われます。恐らく、町のおもだったユダヤ人が集まって、決定したことなのでしょう。大祭司たちエルサレム当局が呼びかけても動かなかったダマスコのユダヤ教界が、反キリスト教という方向に固まりました。「反パウロ」という要素が、かなり強いものだったように思われます。そして、その動きに、パウロの宣教に心動かされた人たちや迷っていた人たちも、説得されてしまいました。こうなると、個人の意識などは無視されてしまう。集団による意志の決定は、しばしば悲しい結果を生み出します。これは、イエスさまの教会でも、気をつけておきたいですね。しかし、「その陰謀はサウロに知られてしまった」とは、親パウロの人たちによる、密かな通報あってのことでしょう。

 「そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せて町の城壁伝いにつり降ろした」(25) パウロのダマスコ脱出は、遊女ラハブによる斥候の脱出劇(ヨシュア記2:15)を再現する方法で、実行されました。パウロ自身が脱出を望んだかどうかは分かりませんが、彼の「弟子たち」は、パウロを失うことにおびえていたのかも知れません。いづにせよ、ダマスコという舞台はここで閉じられます。


V 新しい基地に向けて主が

 ダマスコを脱出したパウロが向かった先は、エルサレムでした。そこで彼はクリスチャンたちの仲間に入ろうとしますが、「みな彼を弟子だとは信じないで、恐れていた」(26)と、警戒心を隠そうとはしません。きっと、エルサレムのクリスチャン社会にはダマスコからの情報が届いており、パウロが福音の宣教者として変身したことも、知られていただろうと思われます。しかし、パウロはたったひとりでダマスコを脱出してきたのです。他に手だてのないまま、迫害者時代の知識を生かして、クリスチャングループに近づいたのではないでしょうか。クリスチャンたちは、その近づき方を危険だと記憶していましたから、しばらくは静かだったエルサレムに、再びあの凶暴な迫害者が戻って来たと、警戒したのも無理からぬことです。そんな警戒をされることは分かっていたはずエルサレムに、なぜパウロは戻って来たのでしょうか。エルサレムは教会発祥の地であり、エルサレム教会はいわば母なる教会でしたから、そこで宣教者としての認知を得ることは重要だろうと考えたのかも知れません。そこには先輩伝道者の使徒たちがいましたから、彼らとの面識を得ることは、これからこの世界に生きようとするパウロにとって、ことのほか必要だったのでしょう。そして、エルサレムでも福音を宣べ伝えたいという願いもありました。ところが、エルサレム教会は、警戒して、仲間うちに迎えてくれようとはしません。

 「ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した」(27) バルナバとの出会いです。彼のことは4:36-37で、土地を売って献金した、キプロス生まれのレビ人として紹介されました。教会が海外に出ていくのも間近であろうと、このギリシャ語を話す人は、その任にふさわしい人がきっと出るにちがいないと、待っていたのでしょうか。パウロに関する情報を、丹念に収集していました。パウロがエルサレムに戻って来たと聞いて、恐らく、自分からパウロに接触していったのでしょう。彼を使徒たちに引き合わせ、主が彼を異邦人伝道者に選ばれたことや、ダマスコで3年間、宣教に従事していたことなどを説明しました。その様子は、アナニヤに重なってきます。アナニヤと連絡を取り合っていたのかも知れません。アナニヤの証言で、パウロがダマスコのクリスチャン社会に受け入れられたように、バルナバは、エルサレムでその役割を担います。そしてそれは、もしかしたらダマスコだったかも知れない異邦人伝道の基地が、アンテオケ(11:19-20)に変更され、バルナバとパウロという二人三脚に開花していきます。パウロはエルサレム教会に場所を得て、宣教を開始しました。しかし、エルサレムのユダヤ人たちも彼を殺そうとつけ狙い、彼はタルソに逃れます。それは、アンテオケへの道筋でした。今、主ご自身がバルナバをお用いになってアンテオケに……と、新しい福音宣教の道備えが始まったのです。