使徒行伝

24 主は慰めを
使徒 8:26−40
イザヤ 56:1−8
T 主の指示は?

 8章の主人公ピリポの記事、25節まではとても小さなものですが、それは、ピリポがサマリヤ伝道の発端になったという証言でした。ルカの目は、彼の動向をじっくり見据えていたのでしょう。ルカの手許には、ピリポに関するいくつもの資料があったと思われますが、前回、その中から一つ、「魔術師シモンに関する記事」を取り上げました。そして、もう一つは、「エチオピヤ女王カンダケの高官に対する宣教の記事」です。今朝はこの記事を取り上げていきます。

 「ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。『立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい』(このガザは今、荒れ果てている) そこで、彼は立って出かけた」(26-27・新改訳) ガザの町は、ツロの方から地中海沿いに南下してきますと、そのままエジプト方面に行く道とエルサレムに行く道に分かれる分岐点でした。ルカが使徒行伝を執筆していた当時、もうそこは寂れていたようです。まず、この新改訳にある二つの問題点を指摘しておきましょう。一つは【南】ですが、これは【正午】と訳し得る言葉で、【南】という場所(方向)の指定よりも、時間指定であろうと考えられます。方向の指定は、もう一つの問題点で扱われています。そのもう一つの問題点とは、( )に入れられている部分です。新改訳でこれは、ルカが彼の時代のこととして付け加えたとされていますが、もしそうだとしても、もともと原文にあるのですから、括弧に入れるのは奇妙なことでしょう(原文に括弧が用いられていた痕跡はない)。新共同訳など他のいくつもの訳では、【そこは寂しい道である】となっていて、これは方向指定なのです。そこには【今】というルカ時代を設定するような言葉はなく(原文にもない)、括弧も使われてはいません。これは、文法的に、【ガザ】にも【道】にもかかる言い方ですが、ピリポは、ガザに下るいくつもの道のうち、当時すでに荒れ果てて人通りの少ない道に行くよう指示されたと考えますと、【道】という訳に軍配を上げたほうがいいのではと思われます。少なくともこの記事でピリポは、【ガザ】という町そのものに全く関わっていないのですから……。もっとも、【ガザ】は【財産管理者】をも意味する言葉ですので、その意味で、女王カンダケの高官との出会いに対する、神さまのご計画を暗示させているのかも知れません。伝道者ピリポは、人通りの少ない荒れ果てた道に、よりによって真昼のカンカン照りに出かけました。彼はこれを、主からの明確な時間と方向の指示であると受け止めたのです。


U 深い苦悩を抱いて

 ピリポは主の導きに従いました。「立って」という言い方は、天使の命令に用いられたのと同じ動詞ですから、ピリポの従順さが強調されていると聞かなければなりません。

 「するとそこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた」(27-28) ピリポは前方にその財務官の馬車を見かけました。すでに放棄されたような、荒れ果てたでこぼこ道です。当時の馬車では、どんなに立派な装飾が施されていても、乗り心地がいいはずはなく、スピードも知れています。「御霊がピリポに、『近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい』と言われた。そこでピリポは走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえて」(29-30)きました。「あなたは読んでいることがわかりますか」(30)「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」(31) 宦官はピリポに、馬車に乗って預言者のことばの意味を教えてくれるよう懇願しました。「預言者は、だれについてこう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか」(34) 彼が読んでいたのは、「苦難のしもべ」として知られるイザヤ書53章でした。「ほふり場に連れて行かれる小羊のように、また、黙々として、毛を刈る者の前に立つ子羊のように、彼は口を開かなかった。彼は卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである」(32-33) 昔のエチオピヤは現在のスーダンで、そこにはユダヤ人の植民都市がありましたから、その影響を受けた多くの人たちが、ユダヤ教シンパになっていました。それは当時の国々で珍しいことではなく、コルネリオ(10:1-)やルデヤ(16:14-15)や多分ルカ自身も、そんなひとりだったと思われます。この宦官は礼拝のためにエルサレムに出かけて行くほどでしたから、栄光の神さまに何か特別な強い思いを抱いていたのでしょう。それが彼の深い苦悩に由来していたであろうことは、この旅行に「苦難の僕」諸書を携行していたことからも推察されます。


V 主は慰めを

 それは恐らく、彼が宦官だったからでしょう。宦官は男としての生殖機能を去勢された人で、女王の宮廷役人には普通だったようです。しかし、その国でいくら高い地位の権力者であったとしても、ユダヤの律法は受け入れてはくれません。申命記には、「こうがんのつぶれた者、陰茎を切り取られた者は、主の集会に加わってはならない」(23:1)とあります。ですから、わざわざ礼拝のためにエルサレムまで出かけながら、ユダヤ人(神さまの民たち)の集会に加わることはなく、離れたところでひとり礼拝を守っていたと思われます。彼はユダヤ人以上に敬虔な礼拝を献げながら、しかし、自分は神さまから遠く離れた者だと感じていました。読んでいたイザヤ書はギリシャ語訳でしたから、ピリポとは通訳なしにギリシャ語で会話したのでしょう。そんな彼ですから、ユダヤ人の友人もいたと思われますが、その「苦難の僕」について、誰も答えることが出来ない。実は、彼らも知らないのです。それでも彼らは、集会の輪の中に入ることが許された神さまの民でした。もしかしたら、彼がわざわざエルサレムの礼拝に出かけて行ったのは、苦難の僕が誰なのかを知りたいという、その願いのためではなかったかと想像します。当時の聖書は羊皮紙の巻物か、パピルスの綴じ本のいづれかでしたから、携行していたのはイザヤ書53章を含む数章だったと思われます。その中にこうあります。「主に連なる外国人は言ってはならない。『主はきっと、私をその民から切り離される』と。宦官も言ってはならない。『ああ、私は枯れ木だ』と。わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶ事を選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前を与え、絶えることのない永遠の名を与える。……わたしの祈りの家で彼らを楽しませる」(56:3-7)

 彼にとって、これは終末における慰めでした。恐らく、自分以上の苦難を負わせられた「彼」の贖罪を通して、その慰めが得られるのだろう。しかし、その「彼」が誰なのか分からない。栄光の神さまの慰めは、自分には隠され閉じられたままであると、彼の深い苦悩が伝わって来るようです。

 しかし、初対面のピリポに解き明かしを願ったのも、主のご計画ではなかったでしょうか。ピリポには、贖罪の主がどなたであるか分かっていました。彼は「この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝え」(35)ました。さほど長い時間ではありませんでしたが、この宦官にとって、それは十分充足した時間でした。川を見つけたのでしょう。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか」(36)と、彼はもう一直線です。「そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマ(洗礼)を授けた」(38) そしてルカはさりげなく、「水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った」(39)と、この記事を淡々と閉じます。この宦官は外国人最初の受洗者になりましたが、その名は最後まで記されませんでした。栄光は、神さまだけのものなのです。