使徒行伝

22 みことばを宣べ伝える
使徒  8:1−8
イザヤ 46:3−4
T 反キリスト者

 今朝は8:1-8からです。このテキストは、大切なところにさりげなく短い挿入句を入れるという、いかにもルカ文書らしい特徴あるもので、いくつもの断片的文章からなる挿入句ですが、特に1-4節は、とりわけルカの思い入れの強いひとかたまりのフレーズのようで、極めて重要な案件を含んでいると考えられます。聖書章句の区分けは、後世の印刷屋のいい加減なやり方によって寸断されており、この7-8章の区分けも例外ではありません。気がつきにくいのですが、7章の終わりにある二つの要素、「ステパノの殉教」と「サウロ(パウロ)の登場」を引き継いで語られる挿入句と覚えて頂きたいのです。これは、「キリスト者」と「反キリスト者」という、相反する二者の歩みを示しているのですが、それをルカは、互いに深く関わっていくものであるとして、平行記事にして取り上げています。一見何の脈絡もない、断片的文章のランダムな挿入に見えるのに、それがいつの間にか、一つの記事(ピリポ、特に5-8節の記事)に集積されていく。ピリポの記事に集約されるテーマ、それは、8章とその序文の役割を担った、今朝のテキストの中心主題と言えるのではないでしょうか。

 前置きはそのくらいにして、本文に入っていきましょう。
 「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた」(1)と始まりますが、これは、「証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた」(7:58)に続いて、改めてサウロ(パウロ)の登場を印象づけているようです。この時期パウロは、キリキヤ・タルソのパリサイ派ユダヤ人の家庭から、エルサレムに来て間もなくだったのでしょう。東のアテネとまで称されたタルソから、アテネに留学という道もあったのに、あえてエルサレム留学を選び、高名な律法学者ガマリエル門下生として厳格な教育を受け、熱心なパリサイ人たることに磨きをかけていました。ステパノの処刑の際に証人たちの着物の番をしたのは、そんなパリサイ人としての意識からだったのでしょう。律法に異議を唱えるなど、ユダヤ人として断じてあってはならないことと思っていましたから、そのような異端者を見過ごすことなど、出来るはずもありません。それは神さまに異を唱えることであると、固く信じ切っていたのです。ですから3節に、「サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた」とある行動は、彼にとって当然のことでした。律法学者を目指して留学して来た若者は、ここで立派な迫害者へと変身していったのです。彼は、当時のユダヤ社会における、「反キリスト者」像の代表でした。


U 二つの対立軸が

 1節前半と3節に記されるパウロの記事を「反キリスト者の歩み」とするなら、1節後半と4節は「キリスト者の歩み」ですが、この二つの対立軸を平行記事として描きながら、ルカはわざわざそれぞれの記事を間に挟みながら交差させています。なぜそんな面倒な書き方をしているのか、考えてみたいと思います。2節にその鍵が隠されていると思われますので、見ていきましょう。「敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ」と、ほとんどの訳がこうなっていますが、岩波訳では、そのことばの使い方から、「悲しんだ」とは盛大な葬儀を行なうことだったと、思い切った訳を採用しています。「しかし、信仰深い人たちがステパノを埋葬し、彼のために盛大な哀悼の式を行なった」 ところが、律法に異を唱えたということで、神さまに逆らった者として処刑されたステパノに、同じ信仰を表明する者たちが公式葬儀など出来るはずもありません。これはやはり新改訳のように、「悲しんだ」とするに留めたほうが妥当で、その葬儀は非公式だったと思われます。しかも、「信仰深い人たち」とは、どうもステパノの仲間(キリスト者)ではなく、彼の話を聞いて感動した人たち、つまり一般のユダヤ市民だったようです。ですから、そこも新改訳のように、「敬虔な人たち」と訳したほうがいいでしょう。2節をこのように聞きますと、パウロを中心とするキリスト者への迫害は、ユダヤ人社会全体の合意を得られたものではなく、激しいものではありましたが、一部の人たちによって引き起こされた一時的なものであったという、ルカの思いが伝わって来るようです。

 しかし、一部の人たちによるとは言え、迫害が始まったことは事実でしたから、「キリスト者」の歩みに交差させるように「反キリスト者」の歩みを取り上げたのには、いくつかの理由が考えられます。一つは、パウロを登場させることが目的だったということです。彼は9章にも熾烈な迫害者として再度登場して来ますが、同じ9章でイエスさまにお会いし、劇的な改心へと変えられていきます。そして13章以降、異邦人伝道者として使徒行伝の中心を担うようになります。その発端が迫害者であったと強調したかったのでしょう。「キリスト者」を迫害したことが、その変化の引き金になっているからです。


V みことばを宣べ伝える

 もう一つのことですが、この記事では「反キリスト者」の歩みよりも、「キリスト者」の歩みのほうにずっと重い比重がかけられており、彼らはこの迫害を機に、より広い地域への福音宣教を志し始めたと、ルカはそれを強調しているようです。2節については、先に触れたように、本文説明の手がかりということで省きますと、残った部分、「1節aと1節b」「3節と4節」の二つの平行記事が見えてくるのですが、こうなります。初めの平行記事は「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こった」と「使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」で、もう一つの平行記事は「サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた」と「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べ伝えながら、巡り歩いた」ですが、第一の平行記事では、1:8に「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで」と言われた宣教の、その初めの地域における活動が始まったことを告げ、同じことを強調、より明確にしたのが第二の平行記事であると見えて来るでしょう。

 ところで、3節にはまだ家々にクリスチャンたちが残っているのに、1節bで迫害のために散らされた人たちが、まるで全員だったような言い方をしていますが、それは恐らく、福音宣教が教会全体の責務であったと、そのことを強調するための言い方なのでしょう。つまり、宣教は教会全体が一つとなって担うべき務めであると、ルカは受け止めたのです。それは、宣教の発端もさりながら、異邦人教会、そして現代の私たちに対しての、彼の薦めではなかったでしょうか。

 それはステパノから始まりました。そのメッセージは迫害者によって途中で遮られましたが、処刑という、迫害者「反キリスト者」にとって異端者を根絶やしにする最終的かつ根本的解決方法も、「キリスト者」にとっては決して働きの終焉ではなく、その働きは時々に立てられた人たちによって継続されていくのだと、この挿入句は語っているようです。その意味で、5-8節のピリポの登場は、この挿入句の結語なのでしょう。「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた」(5)という記事は、8章全体の中心主題となります。そして、その中心主題は、やがてパウロへと移行していくのです。しかしこの記事には、もう一つの聞かなければならないことが語られています。「群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった」(6-8)とある記事に隠されている、神さまのお働きのことです。教会が全員一つとなって福音宣教のために働く。実はその背後には必ず、神さまの御手が働いておられると、これはルカの証言なのです。この神さまの背後の力こそ、教会の、今、始まった、新しい歴史の原動力なのだと、ルカの信仰が語られているのでしょう。