使徒行伝

21 立ち上がって主が
使徒 7:51−60
      イザヤ 54:2−8
T あなたがたは……

 ステパノの説教の、ユダヤ人のアイデンテティに関する言及の最後で、彼らの神殿信仰に対する痛烈な批判を聞きました。それは彼らが、荒野の放浪時代の「あかしの幕屋」を神殿のルーツとしながらも、それを全く違ったものに変えてしまった。変えたというより、大切なものを失ってしまったという批判でした。彼らが失ったものは、神さまへの信仰でした。モーセに導かれながらもイスラエルは、エジプトの肉鍋を恋しがり、偶像崇拝に陥って、荒野をあてどなく放浪するより、奴隷の境遇であってもエジプト時代のほうが良かったと、ひたすらエジプトをなつかしがります。偶像崇拝は、エジプト宗教の大きな特徴でした。しかし、彼らが造った子牛像=聖牛はクレタ島の宗教でしたから、エジプト時代に戻るにはためらいもあったのでしょうか。しかしステパノは、そんな先祖たちのことより、それは、今現在のユダヤ人、彼を罪に定めようと告発している大祭司たち、サンヒドリン議会の人たち、リベルテン会堂の人たちの辿ろうとしている道だと言っているのです。そしてそれは、ルカが現代の私たちにも問いかけていることであると……。前回のことです。

 ステパノの説教の最後の部分に、こうあります。「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません」(51-53) この部分でステパノは、聞き手と自分が同じであるとしてきたこれまでの弁明を止め、「あなたがた」と、直接聞き手に語りかけ始めます。神さまの選民という、特別な民とされた彼らユダヤ人、モーセの律法もソロモンの神殿も、そんな彼らの神さまとの特別な関係を示すものでした。ステパノは、自分もその中に生まれ育てられて来たその民が、実は、自ら望んで神さまの民であることから離脱してしまった、と訴えています。律法を守らず、預言者に逆らい、神さまをないがしろにしている。「あなたがたは……」と何回も繰り返し責め立てているのは、彼らに徹底的な悔い改めを願ってのことではないでしょうか。しかし残念ながら、その願いは聞かれませんでした。彼のメッセージは、ここで途切れてしまいます。


U 城門とメモリアル教会は

 ルカは、「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした」(54)とその情景を描いていますが、アブラハムやモーセについて神妙に聞いていた人たちの、その本心が顕わになったということでしょうか。彼らは、耳をおおい、口々に激しい怒りの声を浴びせかけながら、ステパノを城外に引き出し、ついに「石で打ち殺し」てしまいます。ステパノの何に対して、彼らはそんなに激しく反応したのでしょうか。いくつかのことが考えられますが、一つは、「あなたがたは先祖たちと同様に……」と言われたことに、「聞きたくない」と拒否したのではないかと思われます。先祖たちとは、エジプトの肉鍋を恋しがり、偶像崇拝に陥っていった人たちのことです。先祖たちには、まだ幾分かのためらいが感じられるのですが、彼らには、そのためらいもなくなっているようです。そのぶん、「あなたがた」のほうが神さまから遠くなっている、と言えるのかも知れません。彼らは、ユダヤ人の歴史を語るステパノの話を神妙に聞いていたほど、先祖に誇りを持っていましたから、その先祖を否定されたことで、自分たちのルーツを否定されたと怒ったのかも知れません。

 もう一つのことがあります。ステパノはここに来て、初めてイエスさまのことに言及しましたが、そのイエスさまを「正しい方」と表現しました。それはまさに、自分たちを正しいとする告発者たちへの、挑戦状ではなかったでしょうか。石打ちの刑は、ユダヤの死刑方式で唯一のものでしたし、ローマは、被支配国の宗教的意味合いを持つ裁判には関与しないとして、ユダヤ人の裁決・実行を認めていましたから、それは判決に基づいて執行された(神さまへの冒涜を聞かないように耳を塞ぎ、町の外で執行、証人自身による刑執行など、)と言えなくもないのですが、この裁判は判事たち自身が中断していますので、刑執行は明らかに違法でした。にもかかわらず、この刑が執行されたのは、彼らの正しさを正当化するためでした。恐らく、「証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた」(58)という記事も、これは法に則って執行されたのだという、彼らの言い分だったのでしょう。その証人たちが偽りの証言をしていたことには、何ら触れられていないのですが……。箴言に「おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。愚かな者は英知を喜ばない。ただ自分の意見だけを表わす」(18:1-2)とありますが、まさにそれは、彼ら(現代の私たちも)の問題の中心を言い当てているようです。自分を正当化するために、反対者や批判者を徹底的に排除する。そんな彼らの自己中心的な人間性が、ここに顔を覗かせているようです。今、ステパノが引き出された城門はステパノ門と呼ばれ、石打ちの現場には、ステパノ教会というメモリアル教会が建てられています。まさに、その城門もメモリアル教会も、彼らユダヤ人を罪ありとし、現代の私たちをも同罪としてやまない、証人なのではないでしょうか。


V 立ち上がって主が

 ところで、この説教の最後の部分で、神さまのことを「聖霊」と言い換えている(51)のは、恐らく、この説教の相当部分が、ルカの手によるものであることを物語っていると思われます。「聖霊」は、ルカ第二文書(使徒行伝)の著しい特徴なのです。そのルカが、「今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となった」とイエスさまを指し示し、そこにステパノの殉教を重ね合わせているのです。

 違法な判決や刑執行についてばかりでなく、ルカはここに、ステパノの三つのことばを加えています。「主イエスよ。私の霊をお受けください」(59)、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」(60)の二つは、十字架上のイエスさまのことば、「父よ。わが霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです」(同34)と重なっています。それは勿論、この石打ちの刑に立ち会った人(サウロ=パウロだったかも知れない)の証言による、ステパノ語録が資料としてルカの手許にあり、原則的にはこれはステパノのものなのでしょうが、そこには恐らく、相当部分、ルカの手が加わっていると思われます。ルカの意図は、推測ながら、はっきりしているでしょう。彼は、目前に迫った迫害時代をにらみながら、世界各地の異邦人教会の人たちに、これがクリスチャンたちの辿る道なのだと、覚悟を求めているのです。そして、その時に、ステパノのようであって欲しいと願ったのではないでしょうか。ルカは何も記していませんが、この使徒行伝の後間もなく、恩師パウロを始め、何人もの使徒たち、弟子たちが殉教していきました。その人たちを見送りながら、彼は、ステパノ以外の殉教者(12:2にあるヤコブの殉教を除いて)について何も記していませんが、その人たちの死に、ステパノの殉教を重ねているのかも知れません。

 異邦人教会の人たちと現代の私たちに、ルカが聞いて欲しいと願ったことは、ステパノのもう一つのことばに込められています。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」(56) ステパノにその光景を見せてくださったのは、神さまでした。そのお方・イエスさまご自身が、私たちをも同じように迎えてくださるのです。それこそルカの聞いて欲しいところでした。ですから、「聖霊に満たされたステパノは……」(55)と、そのことをはっきりさせたのです。神さまの右の座に着かれたイエスさまが、「立ち上がって」迎えてくださる。それは、賓客を出迎える時の様なのでしょうか。パウロと同じように、信仰の走るべき行程を走り終えた後に、その光栄が待ち受けていると、覚えたいですね。