使徒行伝

20 聞き従います
使徒 7:44−50
詩篇  119:105
T 手で造った家には

 ステパノのメッセージを聞いています。彼は、ユダヤ人のアイデンテティとも言えるものについて、語って来ました。一つ目は、ユダヤ人の父祖アブラハムからヨセフまでの族長たちを取り上げ、彼ら(ステパノ自身も含む)は栄光の神さまによって導かれて来た民であるから、その神さまを信ずる信仰に生きるべきであると訴えたことであり、二つ目は、彼らユダヤ人が、モーセを通して与えられた、神さまの戒め・律法を保有する民であるということでした。彼らは、律法が「生ける神さまのみことば」(38)であると聞き、その中に示されている神さまご自身を見つめなければなりませんでした。ですから、律法の中心は、「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」「自分と同じように、あなたの隣人を愛せよ」(ルカ10:27)である、と言われて来たのでしょう。ところが律法は、「〜しなさい」とか、「〜してはならない」という形で与えられましたから、いつの間にかユダヤ人は内容よりその字義に囚われ、それが律法主義という批判を浴びることになりました。神さまよりも、自分たちの思い通りになる、社会規律が優先されたのです。ステパノを裁判の席に引き出し、罪に定めようとしている人たちは、まさにその典型と言えるでしょう。

 そしてユダヤ人のアイデンテティには、もう一つのことがありました。メッセージ終盤にさしかかって彼は、そのもう一つに踏み込んでいきます。エルサレム神殿についてです。これは、「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません」(6:13)と彼を告発した人たちの、告発理由への弁明とも思われますが、恐らく、彼には弁明の願いなど少しもなかったように感じられます。そればかりか、「しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みにはなりません」(48)と、かえって神殿を否定するような言い方さえしているのです。何故でしょうか。ステパノは、神殿のルーツ、「幕屋」から始めていますが、神殿が抱える問題点をも合わせ、考えていきたいと思います。


U 神殿信仰か、それとも?

 「私たちの先祖のためには、荒野にあかしの幕屋がありました」(44) これは、定着場所を持たなかったイスラエルが礼拝用に造ったテントのことで、移動する時には分解し、滞在する時には組み立て、各部族がそれを取り囲むように、中心に据えて礼拝を守って来たものです。それは、モーセが神さまから命じられた設計図通り、聖所と至聖所とからなっていましたが、年一回大祭司が入るだけの至聖所には、シナイ山で神さまからモーセに与えられた十戒を刻んだ石の板が納められた、「契約の箱」が置かれていました。この石の板が「あかしの板」、箱が「あかしの箱」、そして、幕屋全体が「あかしの幕屋」と呼ばれました。「あかし」については後に触れますが、不思議なことに、同じ構造の神殿は、「あかしの神殿」とは呼ばれず、幕屋と神殿には根本的な違いがあるようです。

 もともと「神殿」は神々を祭るところで、古代社会では、壮麗さや大きさに差こそあれ、どの国や民族も「神殿」を保有していました。それは、彼らの宗教意識の発露というより、神々を中心に立てられた、彼らの文化の集約としての形態だったようです。イスラエルは、国を建てたからにはと、先住民のカナン文化に追いつき追い越せとばかりにその模倣に走り、それが、象徴として他に類を見ない壮麗な、「エルサレム神殿」に凝縮したのではと思われます。この神殿建設を最初に願ったのはダビデでしたが、彼はサウル王にいのちを狙われ、モアブやペリシテなど各地を転々と逃げ回っていた間に、カナン文化の高さに目を奪われたのでしょう。我々の国もそのような高い文化を目指さなければならないと、それが政治家としての彼のポリシーになっていたようです。ところが、彼がその建設を願った時、神さまから「それはいらない」(Uサムエル記7:2-7)と断られ、息子ソロモンの時に、ようやくその建設許可が出されました。しかもそれは、「神さまの住まう家」ではなく、人々が神さまに向かって祈る、「祈りの家」として建てられたのです。

 しかし、それが文化面だけの継承であるなら、問題なかったのかも知れませんが、神殿は神々を祭るところという・中心的要素は根強く残っていましたから、文化とともに、同時に、異教の神々も入って来ました。エルサレム入城の折りにイエスさまが、神殿の庭で商売をしている人たちの屋台をひっくり返し、「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした」(ルカ19:46)と言われました。それは神殿の堕落の様子を物語っているのでしょうが、また、根強く残っていた異教的要素がうかがわれる一幕ではなかったでしょうか。異教の神殿が娼婦の巣窟で、豊穣信仰として売春行為が行われていたことは知られていますが、一説には、エルサレム神殿でも類似の行為があったとさえ言われています。そして、「聖なるところをけがした」(6:13)という告発者の言い方には、神殿崇拝さえも見られるのです。幕屋時代の神さまへの素朴な信仰は、神殿に引き継がれなかったと言っても、断じて言い過ぎではないでしょう。


V 聞き従います

 祈りの家という面でも、「朝の祈り」、「夕べの祈り」というように、一日に何回もの定例宗教行為が義務化されていて、神さまへの信仰は後退するばかりでした。神殿なのに、そこに神さまがいらっしゃらない。現代の教会も同じことを、警告として聞かなければならないのではないでしょうか。教会は人々を集めて、礼拝など宗教行事を行なう場所ではないのです。そこに神さまご自身としてのイエスさまがいらっしゃるか。それが何より大切であると、肝に銘じておきたいのです。

 宗教行事を行なう。神殿はまさに、そんな宗教施設になっていました。それは礼拝形式が、祭壇に犠牲を献げるということで、生じてしまったのかも知れません。神殿前には「祭司の庭」というところがあって、そこで人々が献げようと連れて来た動物たちが屠殺され、祭壇で焼かれます。ものの本によると、ものすごい臭いが立ちこめていたそうです。それは、狩猟や牧畜を生業とする人たちの世界では珍しいことではありませんし、イスラエルでも、祭司が人々と神さまの間に立って、人々の信仰を神さまに献げるという古くからの礼拝形式で、レビ記などを見ますと、神さまの要求でもありました。そんな習慣を持たない者たちがその善し悪しに触れることは出来ませんが、幕屋と根本的に異なるのは、そこからは、神さまのことばが語られないということではなかったかと思われます。

 いや、昔は語られていたのでしょう。神殿奉献時にソロモンが祈った長い祈りは、人々へのメッセージでもありました。そして、モーセの律法も、預言書も、知恵の書も、もともとは、繰り返し人々に読み聞かせるものだったのです。詩篇がユダヤ人会堂・シナゴグの礼拝で歌われる賛美として整えられたことをご存じでしょう。箴言は預言者からのメッセージでした。比較的新しい新約聖書さえも、いろいろな集会で読まれ、説明され、何よりも聞かれるものとしてまとめられて来たのです。幕屋が「あかしの幕屋」と呼ばれたことは、そこから神さまのメッセージが語られたことによるのでした。

 「あかし」とは、神さまから私たちへのメッセージ・宣言を意味します。そのメッセージが語られ、聞かれているか。神殿のことではありません。これは、異邦人教会を愛してやまなかった使徒行伝の記者ルカから、現代の私たちへの問いかけなのです。私たちが週の初めの日に守る礼拝では、神さまのことばが語られ、そして聞かれる。そこに応答としての賛美があり、祈りがある。献げものも。私たちはただ、「アーメン」と聞くべきなのです。しかし、私たちはその「アーメン」を、しばしば「同意します」という意味と勘違いすることがありますが、神さまからのメッセージに、「神さま、あなたもそうお考えですか。私も同感です」などと言うことが、適切かどうかは明らかでしょう。アーメン、それは、「あなたに聞き従います」との信仰告白でありたいと願います。神さまに向かう祈りの家で……。