使徒行伝

17 輝きを私たちも
使徒  6:8−15
イザヤ 55:1−5
T 主の証人として

 「さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた」(8)と、今朝のテキストは始まります。7章の主人公・ステパノの登場です。教会が選んだ執事は7人でしたが、ステパノとピリポ(8章の主人公)を除いて、他の人たちの行動記述は一切なく、恐らく、代表選手として、この二人が他を補っているのでしょう。そのためか、ステパノとピリポの働きの分野は、全く違っています。ルカは、転機を迎えた教会の新しく歩み始めた道筋を、この二人に見たと思われます。まず、その一つの方向、説教と殉教の道を歩んだステパノからです。

 彼が「恵みと力に満ちて(信仰と聖霊に満たされ)、不思議なわざとしるしを行なっていた」とは、使徒たちと同じところ(2:43)に召し出されたことを指しているのでしょう。それは、最初の迫害を経験した教会の人たちが、「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください」(5:29-30)と祈った祈りが、具体的になってなったということで、使徒と一般信徒たちの境目が取り払われ、教会全体が主の証人として歩み始めたことを意味していると思われます。誕生からいくらも日が経っていない教会には、まだ十分に福音を理解したとは言い難い人たちがたくさん入会していましたが、迫害を契機に彼らの信仰には、使徒たちのようになりたい、つまりイエスさまに倣いたいという、筋金が一本通り始めたということではないでしょうか。ステパノの記事は、そのような教会の人たちがこれから辿ろうとする、苦難の道筋を暗示しているようです。使徒たちが彼ら7人の執事たちの上に手を置いて祈った、いわゆる「按手」は、普通に言われている権威の授与などではなく、これから彼らが受けるであろう苦難に向けて、「主がともにいてくださいますように」という、励ましではなかったと思われます。


U 宗教的暴力に

 ステパノの活動の波紋は、さっそく反対する人たちの間に広がっていきました。「ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリア人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。そこで、彼らはある人々をそそのかし、『私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた』と言わせた」(9-11) その人たちは、「リベルテンの会堂に属する人々」と言われます。リベルテンとは「自由にされた人々」の意で、解放奴隷を指しますが、それはBC60年少し前に、将軍ボンペイウスによってローマに連れて行かれ、間もなく解放された大勢のユダヤ人奴隷とその子孫が、こう呼ばれたことに端を発しています。ところがパレスチナには、ローマだけでなく、クレネ、アレキサンドリヤ、キリキヤ、アジヤの各地からも帰国していた、多数の「自由にされた人々」がいて、彼らはリベルテンという独自の会堂を持っていたようです。いわゆる、ヘレニスト・ユダヤ教徒たちの群れと考えていいでしょう。彼らは、ユダヤ教徒としてはいい加減でルーズな自由主義者でしたが、そんな宗教生活を過ごして来たことへの反動でしょうか、帰国して大半が、非常に熱心な保守主義者になっていったようです。間もなく登場する、キリキヤのタルソ出身のパウロが、熱心なキリスト教迫害者になっていたことを見ても、頷けるでしょう。

 彼らはステパノに神学論争を仕掛けましたが、それは恐らく、自分たちの教えとは異質なものを感じたからと思われます。しかし、それが何なのか彼らは見極めることができません。自己主張のあまり、福音を聞く姿勢に欠けていたからではないでしょうか。それは、イエスさまに論争を仕掛けていったパリサイ人や律法学者の場合と同じでした。彼らは、「知恵と御霊」によって語ったステパノに、どうしても対抗することができません。そして彼らは、対抗できないと見るや、偽証人を立て、ステパノを告発しました。「彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた」というものです。そればかりか、「民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕え、議会にひっぱって行った。そして、偽りの証人たちを立てて、こう言わせた。『この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません』」(12-13) 律法と神殿が、彼らの宗教の核心部分になっている様子が窺われますが、律法のことはともかく、実は、当時のユダヤ人にとっての神殿との付き合いは、かなり形骸化していました。当時のユダヤ人たちの宗教生活は、シナゴグを中心に展開されていたと考えていいでしょう。ところが彼らリベルテン会堂の人たちの、神殿への思い入れは真剣なものです。それは、神殿に詣でることが出来なかった、長い外国生活があってのことでしょう。ステパノを逮捕し、サンヒドリン議会での裁判に持ち込むために、民衆と律法学者ばかりか、長老たちにも働きかけているのは、祭司出が多い長老たち(サドカイ派)が、神殿を宗教活動の中心としていることを、念頭に置いたのであろうと思われます。

 しかし彼らの、自分たちの宗教を「守りたい」という気持ちは分かりますが、偽証人を立て、人々を扇動してというのなら、それは宗教的暴力でしかない。現代の私たちも、教会生活の形骸化や、自分を正しい者として、他を咎める信仰による宗教的暴力に陥らないよう、気をつけていたいものです。


V 輝きを私たちも

 そしてルカは、彼の持つ資料から、彼らの言い分として、もう一つのことを加えます。「『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣習を変えてしまう』と彼が言うのを、私たちは聞きました」(14) 恐らくこれは、全くの偽証ではない。事実、イエスさまはエルサレム入城時に、「(宮の)石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません」(マタイ24:2)と言われ、長老や律法学者たちへの攻撃は先鋭的なものでした。そして、それに近い言い方を、ステパノがしたと思われるのです。しかし、それがどんな言い方だったのか何も触れないまま、ルカは、私たちに一つの筋書きを提供しようとしています。耳を澄ませて聞いていきたいと願います。

 リベルテン会堂の人たちは、長老たちがイエスさまを裁いたのと同じ方法(偽証)を用いて、ステパノを罪に定めようとしました。ステパノの攻撃は、イエスさまがなさったのと同じ、長老たちに向けられたものでしたから、ステパノがイエスさまに重なって見えたのかも知れません。しかし、その重なりをルカは、もっと積極的に押し進めているのです。つまり、今ステパノは、何としても福音を受け入れようとはしない、ユダヤ人の頑迷な体質によって告発され、殺されようとしている。リベルテン会堂の人たちは、イエスさまを十字架にかけた民衆や長老や律法学者たちであり、ステパノはイエスさまであると、ルカはそんな重なりを描きながら、それが私たちへのメッセージである、聞いて欲しいと願っているのです。ルカは、「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた」(15)と、新たな展開(7章)の始まりに向けてこの項を閉じますが、人々の目は、怒りと憎しみに、青白く燃えていたことでしょう。にもかかわらず、その目は、ステパノの御使いにも似た輝きを見るのです。これは、次章の長い長い説教を聞くための備えだったのでしょうか。その輝きは、変貌山のイエスさまの輝きでした。彼は、神さまの栄光に包まれていたのです。

 ステパノは、新しい転機を迎えた教会の、一方の道筋であると触れましたが、ルカが愛する異邦人教会は、ステパノのように、イエスさまが歩まれた道を歩かなければなりませんでした。現代の私たちもです。しかし、恐れることはない。「わたしがともにいる」(マタイ28:20)と約束してくださったお方が、今も私たちのすぐ側にいて励ましてくださっていると、これがルカのメッセージなのです。ですから、輝きのないこの時代に、私たちも、彼と同じように輝いていたいではありませんか。