使徒行伝

15 主への信頼を
使徒 5:33−42
詩篇  62:5−8
T 正しさの中で

 大祭司たちは、使徒たちを裁判の席に引き出しました。前回のテキスト(5:17-32)です。使徒たちが留置された獄舎は大祭司官邸にあったようで、恐らく使徒たちの裁判も、その官邸で行われたものと思われます。これは、サンヒドリン議会の要素を満たそうとはしていますが、アンナス一派の私的制裁という面が、極めて強くにじみ出ている裁判ではなかったかと感じられます。

 「彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った」(33)と始まる今朝のテキストは、その同じ場面でのことです。使徒たちの何がそんなに彼らを刺激したのか、推測してみましょう。ふたつあるのですが、まず一つ目です。「(使徒たちは)あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている」(28)とある大祭司の言葉には、「(イエスさまを十字架にかけたのは)我々ではない」という、彼らの言い分が透けて見えます。なぜか彼らは、イエスさまの血の責任を回避しようとしている。それは、前回、神さまによる血の報復を恐れている彼らの不安を指摘しましたが、宗教的には、リベラルな自由主義者だったサドカイ派の彼らが、意外と民間信仰に類する血の報復という、「呪い」に縛られていたことを示しているのではないでしょうか。ところが彼らは、そんな思いを人前に見せることが出来ず、それを恥ずかしいと思っていたのかも知れません。それなのに、使徒たちから「あなたがたが(イエスさまを)十字架にかけて殺した」(30)と指摘され、その不安を暴かれたと感じたのでしょうか。そしてもう一つ。前回、使徒たちにとって、彼ら大祭司たちは「敵」ではなく、福音を聞いて欲しい人たちであったと触れましたが、そのことばが、彼らには告発と聞こえたようです。大祭司官邸での裁判という、比較的私的要素の濃いものではありましたが、それでも法廷という公式の場で、本来、告発し、有罪であると判決をくだし、宣告する席に着いていた筈の者たちが、逆に告発され、神さまの前で有罪とされた。自分たちは神さまの名誉や権威を守る者であると自負していたのに、その神さまの前で、罪ある者とされた。自分たちの正しさが否定された。それが彼らの怒りの真因ではなかったかと思われます。現代のクリスチャンたちもしばしば陥る同じ危険性に、ルカは警鐘を鳴らそうとしていたのかも知れません。


U 福音との隔たりの中で

 もしここで、彼らの怒りが押しとどめられることがなかったなら、ステパノ(7:54-60)ではなく、この使徒たちが殉教者第一号になっていたでしょう。「殺そうと計った」とありますから、大祭司たちの怒りは、使徒たちを殺す寸前までいっていました。ところが、その裁判に同席していた律法学者・ガマリエルというパリサイ人が立ち上がり、被告たちを議会から退席させるように要求し、(恐らくサドカイ派の議員に向かって)演説を始めました。「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が400人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます」(35-39) この高名なラバン・ガマリエル(ラバンはラビ以上に偉大と認められるラビにつけられた呼称)は、穏健な律法学者として知られていました。当時、ユダヤ神学の主流はヒレル学派でしたが、ガマリエルは、その開祖・ヒレルの孫に当たる人物であろうと言われます。恐らく、パリサイ派やサドカイ派という立場を越えて、尊敬されていたのでしょう。大祭司たちは、彼の言葉にか、それとも、ラバン・ガマリエルという権威にかは分かりませんが、説得されてしまいました。

 これを「親キリスト派」の発言であると考える人たちがいます。そこから、彼は後年密かに洗礼を受け、クリスチャンになったという伝説が生まれました。彼は、チゥダとユダが起こした二つのメシア運動と、イエスさまを指導者として生まれた新しいメシア運動とを比べているのですが、その指導者たちがいづれも死んで、二つのメシア運動は挫折してしまったのに、新しい運動はいまなお続いているという決定的な違いを念頭に、使徒たちへの神さまの関与を感じつつ、警告したものと思われます。しかしその発言には、使徒たちが主張してやまない、福音との遠いへだたりがありました。イエスさまはよみがえられたということが、彼の中では全く問題にされていないのです。イエスさまのよみがえりは、使徒たちへの神さまの関与に関わる、中心部分なのですが……。彼はただ何となく、「神さまが関与しているなら……、その神さまを敵に回すことになる」、と言っているに過ぎません。彼は当時のユダヤ教神学者としては第一人者でしたが、それでも、神さまが生き生きと彼の中に存在していないようです。いかにも観念的になっているユダヤ人の神信仰が、浮かび上がって来るではありませんか。


V 主への信頼を

 観念的と言うなら、大祭司たちの信仰は一層そうでした。彼らは、ガマリエルには説得されましたが、その怒りは簡単には収まりません。議場に使徒たちを呼び入れ、「彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで」(40)、釈放しました。裁判は十分な審理を尽くされてはいないのに、彼らは、自分たちのメンツを立てることばかりを優先させて、「もしかしたら神さまが関与なさっている」と、今納得したばかりの意識はどこにも見当たりません。

 この「むち打ち」の刑は、恐らく議場の外、公衆の面前で行われました。それはパウロの場合のように、39回(Uコリント11:24)だったのでしょう。40に一つ足りないむち打ちは、ただ殺さないというだけの、非常に重い刑罰でした。40回はいけない。死んでしまうから。これが39回の理由です。ところが使徒たちは、「御名(定冠詞つき)のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て」(41)行きました。「その名」というのは、もちろんイエスさまの名のことですが、わざわざ婉曲な言い方をしているのは、恐らくユダヤ人の、「神さまの名は直接言わない」(十戒中の「あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはならない」に由来)とする語法によるのでしょう。それは、恐らくルカが採用した言い方ですが、もともと使徒たちが残した記録で、イエスさまを神さまご自身であると証言しているのです。むちで打たれたことは、そのお方の苦難を共有する者とされたことであると、彼ら使徒たちの喜びの理由はそこにありました。イエスさまは神さまと等しいお方であるという告白に、自分たちもイエスさまに等しい者とされたという喜びが重ね合わされています。大祭司たちは被告をむち打ったつもりだろうが、彼らが辱めたのは、(自分たちの)内にいらっしゃる主ご自身(聖霊であり、イエスさまであり、神さまご自身)なのだと、使徒たちは理解していました。だからこそ、尋常ではない痛みをも受け止めることができました。遠目ながら、イエスさまがむち打たれる様を見ていたそれは、ついこの間の出来事です。その時彼らは、震え上がって、自分たちもなどとは決して願えませんでしたが、主が(自分たちの中に)内在してくださっている今、たとえいのちを奪われようとも恐れることはないと、主への絶対的信頼に立っている様子が浮かんで来ます。

 彼らの仕える主は、その信頼に必ず応えてくださる。そんな安心があるからなのでしょう。(地上の)権威ある者から何度も禁じられたにもかかわらず、彼らは「毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続け」(42)ました。そんな安心を、私たちも共有したいではありませんか。