使徒行伝

13 主が働かれるとおりに
使徒 5:12−16
詩篇 9:19−20
T 多くのしるしと不思議なわざが

 今朝のテキストは、ルカ文書に多く見られる挿入句の一つですが、そこにはほとんど例外なく、短く要約された記事の中に、重要な彼のメッセージが込められています。この箇所も同じと思われます。そのメッセージを聞いていきたいのです。これを読みますと、不自然な部分があることに気づかれるでしょう。それは、二つの記事が入り組んでいるための不自然さと思われますので、まず整理してみましょう。「また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行われた。ついに、人々は病人を大通りへと運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。また、エルサレムの付近の町々から、病人や汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた」(12a,15,16) 「みなは、一つ心になってソロモンの廊にいた。ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった」(12b,13,14) こう整理しますと、話の筋道がすっきりして、分かりやすくなります。

 まず第一のところからです。ここでは、ペテロの奇跡的な「力」が強烈にアッピールされていますが、その要素は、アナニヤとサッピラの記事(5:1-11)におけるペテロの役割にも見られるもので、これは、古代世界に共通な、カリスマ的人物に魔術的力を期待する、民間信仰の反映と考えられます。初代教会に加わった人たちの、特にまだ福音を十分に理解出来ていない新来者たちが、そういったカリスマ的指導者像を、ペテロに求めたことはほぼ間違いありません。そういった声を、ルカはそのまま記事にしました。事実、ペテロには、そのような「力」が備えられていたからです。まだ教会の歴史は始まったばかりで、そのような混沌とした部分が生々しく残っていました。しかし、そのペテロの「力」は、実は、イエスさまの「力」そのままではと感じます。イエスさまは、イスラエル全土の町々村々を巡回されて福音を宣べ伝え、病いに苦しむ人々を癒されました。イエスさまのなさっていたことをペテロが引き継いでいると、ルカにはそんな意識があったのではないでしょうか。ペテロだけでなく、使徒たち全員がそのような活動を行なっていたと思われます。初代エルサレム教会は、イエスさまのお働き第二期の舞台になっており、ペテロはそのイエスさまのお働きを代行しているのです。「多くのしるしと不思議なわざ」とは、教会誕生時から使徒行伝の中心主題に上げられていた、聖霊(=イエスさま)のお働き(2:18-19)でしたが、時間を重ね、そのお働きが一層拡大されているのだと、この記事には、その証言という意味も込められているのでしょう。


U 成長の陰に

 二番目の記事も、エルサレム教会のもう一つの大きな特徴、交わりに触れたものです。「一つ心になってソロモンの廊にいた」とは、教会が信仰共同体(2:43-47、5:22-35)を目指していたことを暗示しているのでしょう。使徒たちの説教を聞き、賛美や祈りをともにしていたという、次第に整えられつつある「礼拝」のためばかりでなく、献金の分配など教会活動のほとんどが、この神殿域で行われていたであろうと推測されます。何千人にも膨れあがった教会の人たちが、一堂に集まることの出来る場所が、そんなにあるわけではありません。ソロモンの廊はその意味で、誕生したばかりの教会にとって、もちろん、何千人という人たちが一度に集まったとは考えにくいのですが、2〜3百人程度に分割しますと十分可能でしたから、自前の会堂を持たない教会は、かなりの期間その場所を利用していたと思われます。家の教会としてはいくつものグループに分かれており、普段はそのグループごとに集まっていましたが、ペテロの話を聞くために、ソロモンの廊に出かけたということなのでしょう。そこは、たくさんのユダヤ人も集まって来ましたから、彼らへの宣教のチャンスでもありました。「主を信じる者はますますふえていった」とは、そのことを物語っている。そして、その広がりが、「エルサレム付近の町々から」と一番目の記事に加えられて、これは、イエスさまの宣教命令(1:8)に基づき、福音が外の世界に広げられていることを示しているのでしょう。ただし、この段階では、使徒たちが宣教師として外の世界に出て行ったということはないのですが、次のステップへの足がかりになったとは言えるでしょう。

 そのように、二つの記事はともに初代教会の成長ぶりを強調しているのですが、その成長に水を差すかのように、「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかった」(13)という記事が挿入されている。「ほかの人」とは、「信じない者」「町の人々」「非キリスト者」などと解釈されていますが、これは「神の国の外にいる者」というニュアンスが強く、ある注解書が指摘したように、「敵意を持つユダヤ人」と思われます。続く「その人々」とは違う人たちのようですから、この訳は、「ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを称賛していた」(新共同訳)が妥当でしょう。そう聞きますと、順調に見える初代教会の歩みには、その動きをセーブする影の部分が大きくのしかかっていたという、ルカの証言が伝わって来るようです。この挿入句が、アナニヤとサッピラの記事と迫害の記事の間に挿入されているのは、その影の部分を見落とさないようにという、ルカの、異邦人教会に対する配慮ではなかったかと感じられてなりません。


V 主が働かれるとおりに

 ところで、話の筋道を分かりやすくするために、この挿入句を二つの記事に分割整理するところから始めました。実は、いくつかの写本もそのように本文の入れ替えを行ない、記事の整理をしているのですが、恐らく原典は、組み替えをしない不自然なままのテキストであって、このような組み替えはルカの本意ではないと思われます。ルカほどの文筆家が、わざわざふたつの記事を整理しないまま、まるでひとつの記事のように取り扱っている。きっとルカの胸中には、秘められた何らかの理由があるのでしょう。その理由を探っていきたい。彼のメッセージが聞こえるなら幸いです。

 言えることは、これはルカの創作ではなく、恐らく、当時の状況を目撃した人の残したメモを、あまり手を加えないまま、この挿入句としたということなのでしょう。それは、初代教会の意識がそのまま読者たちに伝わるようにとの、ルカの希望ではなかったかと思われます。その「意識」から、ルカ自身が彼らのメッセージを聞きました。そしてそれを、後世の信仰者たちも聞くべきであるとしている。そのルカの聞いたメッセージを、私たちも聞きたいと思うのです。このメモを残した人は、ソロモンの廊での集会に加わっていました。そこで、使徒たちが手を置いて病人をいやすなどの、「多くのしるしと不思議なわざ」を目撃していましたから、それがそのままこの記事になった。彼は見たままを、その通りに記録したのです。但し、彼(つまり、初代教会の人たち)の意識として、教会のわざとしての重さには順位があり、第一に「多くのしるしと不思議なわざ」があり、共同生活を意図する「交わり」はその次ぎなのです。結果として、多くの人たちが教会に加わって来ました。町の人たちがペテロのカリスマ的「力」に期待して、たくさんの病人を大通りに連れ出し、せめてペテロの影にでもかかるようにとしたのも、そのようなことがあったからでした。ルカは、その単純な記録の中に、ともすれば、スマートにものごとを整理し、取捨選択する異邦人教会(現代的合理的教会)の教会形成に、ある意味で「異」を唱え、主が働かれるそのままの素朴な教会を目指して欲しい、と願ったのではないでしょうか。ルカ自身がスマートな現代人でしたから、一層そんなスマートさから脱却して、荒々しいまでに素朴な方向に憧れたのかも知れません。教会というところは、どうしても人の知恵や常識がまかり通ります。しかし、教会は主が働かれるところと覚えたいではありませんか。