使徒行伝

11 主の大きな恵みが
使徒  4:32−37
イザヤ 40:6−11
T 財産共同体として?

 前回、4:23-31でルカは、その記事を、教会が歩んで行くべき方向を決定づけるものとして、取り上げたのであろうと触れました。教会が歩んで行くべき方向とは、もちろん、教会のオーナーであるイエスさまに喜んで頂く方向に他なりません。その最も大切なことを、初代教会、そしてルカも、見失いませんでした。初代教会が、直面した迫害という事態に祈りをもって対応したことは、そこにいらっしゃる主とともに歩むのだという、彼らの信仰姿勢ではなかったでしょうか。「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、みことばを大胆に語りだした」(31)とあるのは、イエスさまが、彼らの信仰を受け入れてくださったことを示しています。

 今朝のテキスト4:32-36は、その結果として見ていかなければなりません。「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた」(32)と始まるこの記事は、財産共同体と目される初代教会の形態を語るものではなく、もっと別なところに中心主題があると思うのです。ルカがここに込めた、そのメッセージを聞いていきたいと願います。

 この財産共同体の記事(32、34-37)の間に、「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった」(33)という奇妙な挿入句がありますが、何のための割り込みなのでしょうか。この部分だけを突いていても分かりませんので、とりあえず後回しにして、まずは財産共同体の、前半の部分からです。「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである」(33-35)と、この記事は32節に続きますが、初代教会が一時期とはいえ、このような財産共同体として機能していたことは確かでしょう。その原型は、イエスさまを中心とした、初期の弟子団にありました。ルカの福音書には、すでに富裕な女性たちがその財産を持ち寄って来て、イエスさまと弟子団を支えたという記録があります(8:1-3)し、イエスさまと弟子団の金入れをイスカリオテ・ユダが預かっていた(ヨハネ12:6)ことや、また、ガリラヤ湖から釣り上げた魚の口から見つかったスタテル銀貨を、イエスさまとペテロの神殿税として支払ったこと(マタイ17:24-27)など、イエスさまと弟子団には、財産共同体としての痕跡がたくさん数えられます。


U 目指すものは

 この記事は2:43-47に重なるのですが、そこでは、各個人が思い思いに資産や持ち物を売っては必要な人たちに分配していたと、個々人のわざとしての慈善活動が強調されていました。まだ、教会全体のこととして、その方法が確立していなかったのでしょう。それが、ここ4章の段階では、各個人が資産や持ち物(地所や家)を売った代金を直接必要な人たちに分配するのではなく、一旦、使徒たちに渡した後、使徒たち(後に実務者たちは別に選ばれた−6:1-)が各人の必要に応じて配分したのです。これは教会への献金という取り扱いであり、献金は、もちろん宣教の任に当たる者たちの経費という、本来の使途のためにも用いられましたが、さらに教会内での慈善活動という、幅広い分野でも活用されていた、ということなのでしょう。そして、その面がまるで献金活用のすべてでもあるかのように、必要以上に強調されています。もっとも、エルサレム教会はこの後もずっと貧しいディアスポラの人たちを抱え、海外の教会はエルサレム教会のためにと、特別な献金をパウロとバルナバに託して送り届けたほどでした。しかし、これはエルサレム教会の、しかもほんの初期だけのことで、この後、このような財産共同体に言及することはルカも避けているほどですから、現代にも財産共同体の存続を夢見る教団がいくつもあるようですが、これを教会の理想型とするには無理があろうかと思われます。

 しかし弟子たちは、イエスさまに招かれた時、すべてを捨てて従いました。12人の使徒たちや70人の働き人が任命され、彼らがイスラエルの町々村々に遣わされた時、イエスさまは彼らに、「お金も、二枚の下着もくつさえもいらない。滞在した家(弟子となる可能性のある)からのもてなしと支えだけで働いて来なさい」(ルカ9:3-5、10:4-8)と言われました。弟子たちは、イエスさまの教えを守るべく、意識的にそんな共同体を目指したのかも知れませんが、むしろ、そんな共同体を形成することで、目指すべきものを見つめようとしていたのではないかと感じられます。そして、彼らの目指したものは、「ひとりも乏しい者がいなくなるように」と、単純にまとめられています。しかしルカほどの人が、そんな「絵に描いた餅」のようなことを教会の理想とするのには、何らかの理由があったのではないでしょうか。どんなにすごい資産家でも、その資産を売って献金してしまいますと、次第に売るべき資産そのものが枯渇してしまいます。それに教会は、献金を消費するだけで生産性とは無縁ですから、「ひとりも乏しい者がいなくなる」ためにという、理想を掲げての献金生活に限界があることくらい、当然視野に入っていたはずです。


V 主の大きな恵みが

 もともと、神さまの国(メシア王国)を一つの財産共同体と考える傾向は、ユダヤ人(ユダヤ教)の中にもありました。その傾向を、初代教会も自然、継承していたのでしょう。彼らユダヤ人たちは、いくつもの苦難の歴史を神さまの恵みでくぐり抜けて来た、という思いを強く持っていました。エジプトでの奴隷の苦しみから主のあわれみによって逃れ、シナイの荒野で水と食料にも事欠く40年に及ぶ放浪に、主がピリオッドを打たせてくださった。バビロン捕囚からの帰還もそうです。神さまの恵みは彼らにとって、「水とパン」という非常に具体的なものでしたから、ユダヤ人だけが集まって誕生したばかりのキリスト教会が、そんな彼らのDNAを教会に持ち込んで来たとしても、やむを得ません。しかし、神さまの恵みというのは、本来、もっともっと大きく広いものではないでしょうか。異邦人のルカが、そのことに留意しないわけがありません。彼が不自然とも見える33節の割り込みを挿入したのも、教会は神さまの恵みによってのみ歩むところなのだと、そのことを強調したいためではなかったかと思うのです。彼の視野にあるのは、エルサレム教会の貧困ではなく、まして、ユダヤ人流の「水とパン」の恵みなどではなかった。ピリピやエペソやローマなど、異邦人の地に建てられた主の教会は、本来、主のものですから、主に信頼し、主に一切を委ねて、主とともに歩むのだと。ルカは、そんなキリスト者を目指して欲しいと願いながら、この記事を書き上げていったと思うのです。

 そして、もう一つの記事が加えられます。「キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」(36-37) 彼はキプロスという遠い外国の生まれでしたが、エルサレム市内に土地取得の権利を有する、祭司階級に属しており、イエスさまに屋上の間を提供した、マリヤの息子マルコとはいとこ同士でしたから、恐らく彼も、マルコの母と同じく金持ちの一人でした。「慰めの子」と呼ばれたとありますが、この言葉は「預言(勧め)の子」という意味をも併せ持っています。どちらも人々に神さまの恵みを伝える者という意味で、バルナバと呼ばれていました。彼は教会の働きが今後更に広がっていくことを十分承知して、その必要のために、大きな献げものをしたのではないでしょうか。その献金を、たくさんの人たちに知ってもらいたいと、ルカは彼をここに紹介しました。教会は、決して生産性に依存するところではなく、喜んで献げる人たちの献げもので十分足りるのです。主がそれを尊く用いてくださるのですから。ルカは、この献げることの意味を覚え、あなたも献げる人になって欲しいと願いながら、これを書いています。献げることで「ひとりの乏しい者もいなくなる」という、神さまの恵みを彼自身の経験として紹介しながら……。